成人ヒト腸内ビフィズス菌群構成の分析とその遺伝的多様性

 ヒト腸内には400種類以上、約100兆個もの腸内細菌が棲みつき、複雑な生態系を形成している。それら腸内細菌の生態系は花畑 (くさむら=叢)に例えて、腸内細菌叢(腸内フローラ)と呼ばれている。腸内フローラ内の細菌種やその菌数はヒトによって異なり、 その状態は宿主の生理・腸内菌の相互作用・食物・薬物・気候などにより常に変化している。また、腸内細菌から産生される酵素により、 毎日摂取される食餌成分や腸内に分泌・排泄される生体成分が様々な物質に変換され、生体側に吸収されている。腸内フローラを構成する さまざまな腸内細菌群はお互いに共生又は拮抗関係を保ち、その宿主である生体とも相互関係を築きながら、宿主の健康や疾病にきわめて 密接な影響を与えている。腸内細菌群は宿主とその腸内環境への働きにより、潜在的に病原性がある細菌(悪玉菌)と宿主に有益な影響を もたらす細菌(善玉菌)とその中間的な特性をもつ細菌の大きく3グループに分けられる。
 ヒトの腸内フローラの細菌構成は、消化管内の環境条件の違いにより各部位で異なるが、大腸内はpH 8.5付近で、酸素がなく強い嫌気的状態であるため、 BacteroidesBifidobacteriumEubacteriumPeptococcaceaeClostridium などの嫌気性菌が最優勢になりその菌数は108〜1010 / gに上る。そして、大腸内優勢菌群の一つであるビフィズス菌(Bifidobacterium) は生体の健康において重要な役割を果たしている。 ビフィズス菌は腸内細菌の中でも、生体に有用な働きをする善玉菌であり、腸内細菌叢のバランスを制御する働きを担っていると考えられている。 ビフィズス菌の主な効用としては、整腸作用、感染制御、免疫賦活、ビタミン・カルシウムの吸収、発ガン抑制、コレステロールの抑制などが 現在報告されており、最近ではその宿主への効果に注目して、ヨーグルトやサプリメントの中に宿主の腸内細菌叢の制御を通して宿主に有益な影響を もたらす微生物、「プロバイオティクス」としても利用されている。
 現在、ヒト腸内とビフィズス菌の相互関係の解明の一環として腸内ビフィズス菌叢の研究が進展し、腸内に存在するビフィズス菌の 菌種レベルでの解明がかなり進んでいる。ヒト腸内ビフィズス菌種構成に関しては、ヒトの年齢的推移と腸内ビフィズス菌種構成の変動、 地理的に異なるヒトのビフィズス菌種構成の違い、薬剤投与や疾病などの有無でのビフィズス菌種構成の比較などが調査されている。さらに、 分子生物学的手法のめざましい発展により、ビフィズス菌種の同定のみならず多くのDNA型別法を用いて菌株レベルでの解析が行われてきている。 その中で、Pulsed field gel electrophoresis(PFGE)を用いたDNAフィンガープリンティングはビフィズス菌において現在最も有用な菌株識別法 として報告されている。
 現在上記のごとく分子生物学的手法を用いて、ヒトに有用であるプロバイオティクス株の探索や市販されているプロバイオティクス株の同定、 経口投与したプロバイオティクス株の追跡調査あるいは腸内ビフィズス菌叢のさらに詳細な解明(菌株の変動、遺伝的多様性など)などの 菌株レベルでの研究が行われている。しかしながら、腸内ビフィズス菌叢の菌株構成に関する報告は未だ少なく、その構成や変動において見解の一致 を得ていない。さらに、過去に報告されている研究では、菌種未同定の菌株に対する分析にとどまっており、菌種間又は菌種内におけるビフィズス菌株 の関連性が明らかとならず、ヒト腸内におけるビフィズス菌群の動態について包括的な所見は得られていない。
 そこで本研究では、15ヶ月にわたり12人の成人ヒト糞便中からビフィズス菌を分離し、属・種特異的なPCRを用いて種レベルまで同定を行った上で、 同種内のビフィズス菌株に対してPFGEを用いたDNAフィンガープリンティングを行いそれらの株の識別を行った。 そして、ヒト糞便内ビフィズス菌種・菌株構成の分析と、長期モニタリングによるヒト糞便内ビフィズス菌群の変動について調査した。

修士論文要約

 15ヶ月にわたり12人の成人ヒト糞便からビフィズス菌を分離し、PCR法による種レベルでの同定を行った上で、同種内のビフィズス菌株における PFGEを用いたDNAフィンガープリンティングを行うことにより株の識別を行った。そして、ヒト糞便内ビフィズス菌種・菌株レベルでの構成と、 長期モニタリング試験によるヒト糞便内ビフィズス菌叢の変動について調査した。
 15ヶ月間の成人糞便ビフィズス菌叢の菌種構成及びその変動調査の結果より、成人糞便サンプルから主に検出されたビフィズス菌種はB. longumB. catenulatum group、B. adolescentisであり、時としてB. bifidumB. breveが検出され、その構成は各被験者で異なっていた。 また、6ヶ月又は15ヶ月にわたり各宿主の糞便内ビフィズス菌叢がほぼ一定の菌種構成を保っている傾向が示されたことから、成人糞便ビフィズス菌叢は、 菌種レベルにおいて宿主特異的なものであり、その構成は少なくとも数年間にわたり安定していると考えられる。
 続いて、15ヶ月にわたる同菌種内での(本研究では、B. longumB. catenulatum groupに対して)ビフィズス菌株のPFGEによる系統群の構成及び その変動調査の結果より、各被験者はその被験者特有の系統株を複数系統保有しており、それらが15ヶ月間腸管内に存続していることが示唆された。 また、同種内での分析を行うことでビフィズス菌種により腸内に存在している株の系統的な多様性が異なることが示唆された。 さらに、食品由来B. longum株とヒト糞便由来B. longum株のPFGEパターン比較の結果より、食品由来株と同一系統を示す 成人ヒト糞便由来株は検出されなかった。
 以上の結果よりヒト腸内ビフィズス菌叢は宿主特異的な構成を形成しており、長期間にわたり定着している所謂「土着」のビフィズス菌群から 構成されていることが明らかとなった。加えて、食品由来ビフィズス菌株が検出されなかったことより考察される点として「土着」ビフィズス菌株は 定着でき、外来ビフィズス菌株は排除される何らかのメカニズムが「土着」ビフィズス菌群あるいはヒト腸内に備えられている可能性が示唆された。 この定着のメカニズムに関しては、バクテリオシンや糖発酵能のような他菌株との生態学的競合・栄養的競合や腸細胞への付着、免疫反応を含む多くの因子 の可能性が考えられる。

 
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