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塾長木曽出張編
(2016年度)




2月初め、中央線特急「しなの」に乗って、

塾長が木曽福島に日帰り出張しました。木曽は塾長の母方の古里で、塾長は小学校時代に何度かお盆休みで遊びにきた場所です。

今回の出張は微生物発酵を利用した食品科学の研究では我が国屈指の研究者である岡田早苗先生(東京農業大学名誉教授)との面談と木曽地域の発酵食品生産に関する情報収集です。岡田先生の背景にあるちょっとレトロな建物内に木曽町地域資源研究所が設置されています。岡田先生はその研究所の所長をされています。


この建物は今から100年以上まえに「旧帝室林野局木曽支局庁舎」として建てられてこの地帯の御料林を管理・経営する場所でしたが、5年ほど前に木曽町が買収し現在では「御料館」という通称で上記の研究所はもとより町民のレクリエーション、生涯学習そして地域振興のための様々な活動を支援する場所となっています。

岡田先生はこの研究所に来られて2年ほどだそうですが、町ぐるみのサポートのおかげで実験室内は最新の実験器具、分析機器が装備されていました。

岡田先生は目下この地域特有の漬け物「すんき」に関する研究に取り組んでおられます。これまでの研究成果を岡田先生からこの漬け物から分離される乳酸菌群がヒトの健康にとても良い事をしていること等を丁寧にご教示頂きました。


実験台には沢山の寒天平板。「すんき」から乳酸菌が沢山分離されているようです。

岡田先生は分離された乳酸菌株の発酵能力を最新の分析機器で調べられています。

この建物の2階には資料館があり地域に棲息する野生動物の剥製や、地域の精巧なジオラマが展示されています。驚いた事にこのジオラマは明治時代に作成されたもので、材木を手彫りで彫って作られています。


研究所見学の後、なんと岡田先生ご自身の運転で「すんき」の体験ツアーをさせて頂きました。研究所からだらだらと上り坂の国道を登り続け、雪の積もった白樺林をぬけると、

御岳山の麓にある「開田高原(かいでんこうげん)」に到着、標高1100メートル、夏場は格好の避暑地だそうですが、今はすっかり雪景色です。

まずは国道沿いにある食堂にご案内いただきました。


そこで地元の冬期の名物食の「すんきとうじそば」をご馳走していただきました。大きな土鍋になみなみの出汁、

その水面に「すんき」が大量に浮いています。「すんき」は他の漬け物のように食べる前に水で洗わない、漬け汁も全部一緒にして食すのだそうです。この鍋の出汁には乳酸菌の菌体が沢山「浮遊」しています。

土鍋の脇には食堂お手製の蕎麦が笊にもられて控えています。蕎麦はもちろん十割です。


土鍋のもう片方には何やらミニチュアのラクロススティックのようなものが置かれています。「投じ籠」と呼ばれるものだそうです。

土鍋に蓋をして出汁をすこし沸騰するぐらい温めます。この加熱によって漬け物由来の乳酸菌は死滅してしまうのですが、「乳酸菌は死菌体でもヒトの健康に有効」なので大丈夫だそうです。

蓋をとり、おもむろに「投じ籠」に蕎麦を適量充填


これをだし汁に「投じ」て、蕎麦をしゃぶしゃぶと湯掻きます。「とうじ」という言葉は蕎麦を出汁に「投じる」というようなのが語源だそうです。

適当に浮いている「すんき」も適量籠にすくって、

乳酸菌体が沢山入った出汁も適量しゃもじで足して、「いただきます」という感じです。お味は「すんき」の酸味が絶妙に出汁とマッチしてなんだか和風のトムヤムクンスープ的(酸味のある海鮮鍋の出汁のよう、まったく辛くないですが)。蕎麦の歯触りと漬け物の歯触りを両方同時に楽しめ、もう何杯でもいけそうなあっさり感でした。地元では各ご家庭ごとに自家製「すんき」を越冬食として作られているそうです。おかげで風邪もあまり引かない、そして周りは植林だらけなのに、なぜか春先の花粉症の悩みもないそうです。乳酸菌パワーの御陰かも!?


昼食後はいよいよ「すんき」の製造現場見学です。岡田先生の案内で 有限会社エイチ・アイ・エフ 様の工場にお邪魔しました。

写真中央の方が代表取締役社長の松井淳一 さん、白作業着姿が従業員の方々です。漬け込みのお忙し所にもかかわらず仕事を中断して頂きたいへん恐縮です。

「すんき」の原料は3つの地元在来の赤カブです(地元発刊「すんき」新聞の写真)。通常のカブに比べと葉の柄が長いのが特徴です。「すんき」にするときはこのカブの根の下3分の2ぐらいを切り落とし、残りの3分の1を葉ごと漬けるそうです。岡田先生曰く「すんき」に限らず殆んどの植物はその葉や茎に乳酸菌が「共生」しているのだそうで、ちょうどそれは我々人間の皮膚にブドウ球菌類が常在しているのと同じで、彼らによって植物もヒトも病原菌の侵入が阻まれているそうです。ヒトが乳酸菌を利用するようになって5000年と言われていますが、植物はもう何億年も前から乳酸菌を利用していたのです。


切り落とされたカブの根っこ部分はもったいないので他の食材として使われるようです。

大きなビニール袋にスンキを封入、できるだけ空気を抜いた状態で適度な温度管理で樽内で発酵させます。発酵時間は僅か24時間!という短さです。

出来上がった「すんき」は冷蔵保存して発酵がさらに進むのを防ぎます。「すんき」の特徴はなんといっても漬ける際に塩を一切使わないことです。ですのでそのまんまの味わいは酸っぱさのみです。京都の漬け物の「すぐき」と同じと思っている方はかなりビックリされるようです。その酸っぱさも酢やレモン汁とことなり何か旨味のある味です。岡田先生曰く「乳酸菌が乳酸だけでなくコハク酸という有機酸を発酵過程で産生しているからです。ホタテ貝を食べるとほんのりコクのある甘みを感じますが、それがコハク酸です。」。 なるほど、なるほど。道理で先ほど食した「とうじそば」の出汁が海鮮鍋ぽく味わえたのはそのせいなのだと納得。さらに興味深いのはこのコハク酸の産生はカブの根っこの一部分を含めて発酵させることと関係あるそうです。発酵の世界は実に奥が深いのです。


見学終了間際に松井社長から岡田先生に「すんき」の漬け汁がはいったペットボトルをもらいました。この漬け汁を松井社長さんは「種(たね)」と呼んでいましたが、このボトルには生きた乳酸菌が沢山浮遊していて、これを冷蔵保存し次の冬の漬込みの際に種菌として使用されるそうです。ヨーグルトでいえば「スターターカルチャー」ですね。漬け汁はアセロラジュースのような赤みを帯びています。これはカブの根の表面の色素がしみ出して色がついたそうです。乳酸菌だけでなくこの色素(ポリフェノール?)もヒトの健康に良い作用があるのではないかと感じました。

帰りの特急までの待ち時間がちょっとあったので、岡田先生のご案内で木曽の地酒屋さんを訪問。「中乗りさん」というお酒を試飲させて頂きました。芳醇なかおりが口に広がる良いお酒でした。「すんき」料理に会いそうです。

さらに地元のお味噌屋さんにも案内して頂きました。


店内には岡田先生が作成されたお味噌の発酵過程をやさしく解説したパネルが貼られていました。木曽福島に来られて数年ですが、岡田先生はすっかり地元の皆様に慕われているようです。岡田先生「毎年12月にこの町ですんき漬けコンクールというのが開催されます。今年はこのイベントを是非観に来てください。」と有り難いお誘いを頂きました。

駅への帰りすがらに目にした木曽川沿いの家並み。「崖家造り」といって、家が川にせり出したように建てられています。床を張り出すことで狭い谷間の土地を少しでも広く使おうという暮らしの知恵だそうですが、「すんき」も同じぐらい立派なこの土地の生活の知恵なのだと感じました。

その家並みの屋根の向うをふと見上げれば、標高2,956m、中央アルプスでは最高峰の木曽駒ヶ岳が夕日を浴びデーンと座していました。岡田先生、松井社長、木曽町のみなさんのおもてなしに大感謝! テレビやネット、書物で知るよりやはり実体験が一番勉強になりますね。是非またお邪魔させて頂きます。