当研究室の歴史的沿革
当研究分野は、神戸大学地球科学科(当時)発足当初、伊東敬祐先生により岩石学鉱物学講座として開設された。私(郡司)が神戸に来
たのは確か1987年だから、もうだいぶ経つが、それ以降の知っている範囲について由来を示しておこう。
私が助手着任当初、伊東敬祐教授・藤井直之助教授・高安秀樹助手という体制だった。その翌年には藤井さんが地球物理学講座の教授に
(後に名古屋大学理学部へ教授として転任)、高安さんが当講座の助教授になった。その後、
木上淳さん(京大理学部数学科)が大学院
の連携講座の助手として赴任し、すぐに京大教養部(現在京大人間科学部教授)に転任した。そのポストには戎崎俊一さん(東大理学部
宇宙科学)がついたが一年ぐらいで東大教養学部へ転任した(現在理化学研究所主任研究員)。引き続きこのポストは当該講座が利用で
きることになって、
池上高志さん(東大理学部物理学科)が大学院の連携講座の助手として赴任してきた。高安さんは東北大学工学部の
教授として転任した(現在ソニーコンピュータサイエンス研究所主任研究員)。池上さんはしばらくして東大教養学部の助教授として転
出した。いつの頃からか地球科学科は地球惑星科学科と名称を変え、地球科学大講座と惑星科学大講座の二大講座制をとるようになっ
た。このとき当分野は、非線形科学分野と名称を変えた。1999年伊東さんは退官して函館みらい大学(公立)の学長になった。その
後郡司が教授になり、同分野の助教授として小松崎民樹さんが1999年7月シカゴ大学からやってきた。
この間、多くの学生が博士号をとった。私が赴任した当時、伊東さんは博士課程の学生をとらない方針だった。藤井さんが指導していた 博士課程の院生は中野司さん一人だった(正式な書類をみるとちょっと違っていたので以下修正:小松崎)。
余談
私が伊東先生に出会ったのは、東北大大学院博士課程の終わり頃だった。熊本でやった研究会で、地震、非線形力学系をやってる物理学や地球物理学の研究者が集まっていた。私は鳥海先生(現東大理学部教授)に誘われて、知り合いの全くいないこの研究会に参加し発表した。昼もみんなと離れて一人でカレーを食べていると、伊東さんが目の前に座り、「郡司さんですか?」と声をかけてきた。伊東さんもカレーだった。私は「はい、そうです」と答えたと思う。そしてその後、会話は全くなく、互いにカレーを黙々と食べ続けた。
その後伊東さんのところでゼミをやることになり、仙台から神戸大学に出掛けた。柴谷篤弘先生が集中講義をしていて、その前座として発表したように思う。伊東さん、藤井さん、高安さん、柴谷さんと私で、神戸ポートピアホテルの中華料理屋で、夜景を見ながら夕飯をごちそうになった。ホテルまでは高安さんの車だった。高架になってる高速道路を初めて経験した私は、都会ってすごいと思っていた。キンメダイの蒸し物に油をかけたのが出てきた。そんな豪華な食べ物を初めてみた私は、都会の夜景に圧倒されながら、神戸ってなんかすごい、と思っていたが、ただ黙々と食べていた。その後またゼミに呼ばれた。2日目かなんか、また皆なで夕飯を食べに行こうと言われ、私も「はい」と答えたのだが、一人になったらなんか急に歩き出してしまってそのまま仙台に帰ってしまった。
神戸大に着任した当日、前日物理学科の友人としこたま飲んで、新幹線の切符を買ったら、2000円しか残らなかった。それで神戸大へのお土産として笹かまぼこを買った。神戸大に着いて早々、朝から何も食べてないし、伊東さん、高安さん、藤井さんもいなかったのでとうとうお土産の笹蒲鉾を食べてしまった。包みなおして、後で伊東さんに渡し、「すみません、3枚食べてしまったんですが」と言う私を笑って許してくれた。私は、「さらにすみませんが、給料日までお金が一円もないので貸してくれませんか」と、余りにも無遠慮なことを聞いた。伊東さんは1000円しか持ってなかった。そしたら藤井さんが銀行のカードを貸してくれた。