操作的時間と意味論的空間の相互参入システムに関する研究

 ユートピアの語源であるエレホンは可能的にさえ想定できない、「どこでもない場所」であるからこそ、「いま・ここ」なる 刹那を示唆している。まず「どこでもない場所」を論理的に書けない文、自己言及文として定義しよう。ここから、論理 的自己言及とフレーム問題の両者を見出し、前者に時間、後者に空間を見出すべく立論する。その上で、フレーム 問題と論理的自己言及の接合を、空間と時間の相互参入システムとして定式化した。 はじめに自己言及文から出発する。ここではグリムに倣い、自己言及を明示的に与えた文、「この文は偽であると同様 に真である」を出発点としよう。我々の観点で、この文は世界性を逆照射する装置である。素朴懐疑論者は、指し示 しはそもそも二重だ、と指摘する。それは指し示しが全体概念に言及するとき明示的となる。自己言及文における「こ の文」は部分でありながら、両義的に全体を指し示す。だから矛盾を(例えば不動点として)厳格に指し示せるというわ けだ。対してクリプキの懐疑論者は、「この文」が指し示す全体さえ懐疑する。例えば黒板に「この文は偽である」と書 かれているとしよう。それ以外に「じゃない」という落書きもある。この落書きは文の全体に含まれるか否か、それは自 明ではない。全体への懐疑は、このようにフレーム問題を帰結する。矛盾を厳格に指し示すには、全体の指し示しが 可能であることを認めねばならない。クリプキ的転回では、しかし、論理的自己言及の前提を、フレーム問題との接合 によって無効にする。逆にフレーム問題はとりあえず状況を確定する認識主体を前提とするが、認識主体(我)の確実 性は論理的自己言及によって解体される。だからフレーム問題もまた論理的自己言及を無効にしている。論理的自 己言及とフレーム問題とは、互いに論理的カテゴリーを異にしながら補完し合っているわけではない。両者は相手の 根拠を無効としながら、相手の言明を根拠なく可能としてしまう装置である。

論理的自己言及とフレーム問題を、各々時間形式と空間形式に置き換える。自己言及の矛盾を時間軸の導入によ って無効とするといった議論は、スペンサーブラウンやグリムによってなされてきたが、ここでは対角線論法との関係 から、立論した。自然数濃度と実数濃度が対等かを問う際、対角線論法は全体が規定できると仮定する。例えば実 数を無限数列で表し、無限列を縦に数え上げられると仮定する。ここで対角成分をとって全ての数を変え、これを未 知の無限数列として数え上げの或る場所に置く。対角成分との交点が、矛盾を帰結するというわけだ。対角線論法が、 「全体を規定可能と仮定し、矛盾を帰結してこれを退けた」と考えよう。その上で、帰結である不定な全体を先取りし、 証明が直接矛盾を帰結しないように論理的操作を変更する。このとき論理的操作を変更された証明過程自体が、 不定な全体のモデルとなる。

第一の論理的操作変更、それはORに関するものだ。対角線論法では、ずらされた対角成分が全体に付加される。 付加される以前の全体と以後の全体は同じか、という懐疑がここに成立可能である。論理操作ORは、全体と全体の 否定(空)に関して、全体を帰結する。規定可能な全体への懐疑は、全体OR(NOT全体)>全体といった、全体の 無際限さを提案している。つまり全体概念に関して、フレーム問題を指摘している。第二の論理的操作変更、それは ANDに関するものだ。対角線論法では、全体AND(NOT全体)=NOT(全体)=空、を前提として議論している。 この限りで、対角成分(全体)とそれをずらした無限列(NOT全体)との交点に矛盾が発見される。ここに、全体AND (NOT全体)>空、すなわち全体を部分に分割しようとしても仕切れない、といった懐疑の介在する余地がある。した がって、ANDを「全体AND(NOT全体)>空」を満たすよう変更した場合、ここでも証明において矛盾は帰結され ず、証明過程自体が全体に関する分割不可能性のモデルとなる。論理操作ANDを再定義するとき、論理的自己 言及が不動点として指摘する矛盾は、分割不可能性に関する操作へと読み替えられる。

以上の考察から、対角線論法にフレーム問題(不定な全体)を見出す操作は、ORの変更で定義され、論理的自己 言及(分割不可能性)を見出す操作は、ANDの変更で定義される。いずれも対角線論法を解体し、「全体=分割さ れた部分の総体」という枠組みを解体することで、不定な全体概念を構成している。

我々は対角線論法の替わりに、論理的文「この文は偽であると同様に真である」を採用した。まずグリムに倣い、ウカ チェビッチ論理でこれを表そう。いまやウカチェビッチ論理でのORの変更でフレーム問題を見出す操作が定義され、 ANDの変更で論理的自己言及を見出す操作が定義される。こうして一つの論理的文から、二つの形式、空間形式 と時間形式が双対的に得られる。時間形式は変形テント写像として得られる。同様に空間形式は有名なテント写像と して得られる。論理的に「どこでもない場所」から、論理的自己言及とフレーム問題を見出すとき、各々、時間を創る 形式、空間を創る形式が得られた。クリプキ的転回とは、第一に指し示しという単独のできごとに論理的自己言及とフ レーム問題を見出し、第二に両者を接合して懐疑自体を無効にする懐疑であった。我々は第一の点を構成し得た。 第二の点は、時間形式と空間形式との相互参入によって表される。それは、時間形式が産出する状態を、空間形式 の境界条件として参入させる操作で構成される。我々はこれを時間・空間相互参入システムと呼ぶ。時間・空間相互 参入システムは、頑健性と創発的振る舞いを共立させ、状態によって力学系(時間形式)それ自体を変えていく。同 様のシステムを空間形式をも時間形式と考えて二つのマップを合成すると、頑健性や創発性は全く得られない。後 者のようなモデルを想定すると、システムを安定させるための或る種の超越者が必要となる。我々は世界内存在とし てのモデルによって、超越者を想定する必要がない描像を得たことになる。