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 朝霧歩道橋群集なだれ事故経過
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新聞記事及び新聞などに掲載された証言など
(神戸:神戸新聞)
備  考
左の写真は、北側(朝霧駅の改札口からいったん出て約30メートル東のところ)から、歩道橋、会場(大蔵海岸、南側)をのぞむ。JR朝霧駅付近から海岸側がやや低く傾斜し勾配1/35程度。左側は東、右側は西。橋の真正面(やや東)の上に花火が見えた。向かって右側の一番奥付近が、南西角(最初に転倒が生じた地点)。この歩道橋は公道。 駅-歩道橋-階段の図面

会場案内図(HP上)

大蔵海岸位置図
2000年12月31日 「もう、動けない時間は一歩も動けないっていう感じでしたよ。それこそ、じりじりでもなく、一歩も動けない、前にも行けない、後ろにも行けない、手も抜けられない、ていう感じで。赤ちゃんをかばうのに一生懸命で、こういうふうにされていたり、お母様が子供の顔を、こうやっておさえて、こうやってなでらっしゃったりとかね」   「階段の下と、橋の真ん中と連絡状態はどうなっているのか、たくさん人数がいても、ぜんぜん機能していないじゃないかと強く(警備員に)いったところ、警備員と警察は連絡がとりようがないですからね、と言われて」(年末のカウントダウンの時に歩道橋にいて混雑を体験した20才代くらいの主婦、朝日放送7月23日ニュースステーション)
「年末のカウントダウンの時もね、歩道橋いっぱいだったんで、あぶないなと思っていたんですけどね。(貝原兵庫県知事、7月21日の事故後)」      「それもありまして、それ以上の配置を考えてやっていたんですけどね(岡田明石市長、7月21日の事故後)」     「なぜうまく行かなかったのかな。(貝原兵庫県知事)」(朝日放送7月23日ニュースステーション)
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雑踏警備計画 入手したのは「明石市民夏まつり雑踏警備計画」。全員の配置場所を部隊ごとに示し、それぞれの「任務」「指揮者」「編成」「装備」などが記載されている。警備会社が作成した主催者側の警備計画は明らかになっていたが、警察の計画は公表されていなかった。計画書によると、事故当日は15万人の人出を予測し、大蔵海岸の現地本部に10人、暴走族対策に190人、事件対策に102人、雑踏警備や交通整理など雑踏対策に36人を配置。雑踏要員のうち、交通整理要員を除く16人を「雑踏警備班」とし、会場の「東広場」と「西広場」に8人ずつを置いた。花火大会終了後、東広場担当の8人が歩道橋周辺の警備に回ることになっており「(JR)朝霧駅改札付近、及び歩道橋付近にて雑踏事故防止に従事する」と記されていた。(朝日8月14日) 警察の配置
2001年5月21日(月) 警備計画について、市と明石署が第一回協議。実施計画など概要の説明のみ。署は「年末のイベントで歩道橋が混雑したので、警備要員を確保してほしい」「五、六社の合同警備では統制が取れないので、指揮を一元化してほしい」などと要望した。(神戸8月20日) .(市と明石署の会議メモなど内部資料で明らかになった。神戸8月20日)
2001年6月6日(水) 第2回協議。花火会場の警備を元請した「ニシカン」の責任者も出席。市が作成した配置図が配布された。署は、▽北側から花火会場へ向かう観客の迂回路への誘導と案内番設置▽ニシカンの警備責任者と警察担当者の連絡体制の確立▽山陽大蔵谷駅付近の警備の強化-などを主催者がわに要望。警察側の資料によると、市側は「歩道橋の雑踏時には、コーンやバーで通行規制する」と提案した。(神戸8月20日) .
2001年6月26日(火) 第3回協議警察協議も三者が出席、ニシカンが作成した警備計画案が提示された。市側は「花火終了後、三十分で参集者がいなくなるのでは」と楽観的な見通しを示した。署は「歩道橋に若者がたむろしないようPRの徹底を」などと要望した。(神戸8月20日) .
2001年7月3日(火) 花火打ち上げについて協議。市と市消防本部、明石署、東播磨県民局ほか、花火業者が出席(神戸8月20日) .
2001年7月4日(水) 警備業務説明会では、市とニシカンのほか、下請け警備会社7社が初顔合わせした。市は実施計画書を配布し、「実績ある警備会社を中心に、指揮命令系統を徹底する」と説明。ニシカンの責任者が、連絡・調整体制を口頭で説明した。(神戸8月20日) .
2001年7月9日(月) 第2回警備業務説明会も同様の顔触れ。ニシカン作成の警備計画書や連絡・調整体制図案が各社に一部ずつ配られた。ニシカンの責任者が計画書を読み上げ、当日参加できる警備員数の確認を依頼。参加者から「迂回路などの導線図がない。この計画書では問題」との指摘があったが、責任者は「警察と協議中」とのみ回答した。導線図は花火大会の数日前、各社にファックスされたが、分断や迂回について具体的な指示はなかった。(神戸8月20日) .
2001年7月16日(月) 市が警備計画書を明石市に提出(神戸8月20日) .
2001年7月21日(土)
午後3時45〜4時45分

歩道橋の南側階段から東約五十メートルの会場に主催者側の自主警備本部と県警明石署の現地警備本部が併設され、花火開始の三、四時間前に警備会社の責任者と同署の雑踏警備責任者が配置についた。(警備会社ニシカンの幹部の証言、読売8月16日) 自主警備本部の動き
(歩道橋南階段から東約50m)
午後4時30ごろ 明石署が現場近くに設置した監視カメラの映像を、署内でモニターし始める(神戸8月20日) .
午後5時ごろ 調べなどによると、歩道橋周辺を担当したのは、会場東広場の同署(明石署)雑踏警戒班。事故当日の七月二十一日午後五時ごろ、現場に配置された。(神戸8月28日) 警察の動き
午後6時
祭り当日、歩道橋の階段下周辺に184の夜店が並んだ。階段を下りた場所から13.5メートル離れた地点から西側に伸びる市道約250メートルの両側と階段東側の一部で、午後六時ごろにはごったがえし始めた。(神戸7月25夕)
夏祭り会場には約180の露店が出され、歩道橋につながる市道の約300メートルの区間の両側に、歩道をふさぐ形で配置された。市が説明した協議経過によると、市側は4月中旬に露天商と出店計画の打ち合わせを始めた。6月になって西側の臨時駐車場に予定されていた企業進出計画がなくなったため、露店を西側に配置し、歩道橋付近の人の流れを良くするため市道の南側約150メートルの区間を空ける案を作った。しかし、6月11日から13日にかけての明石市商工観光課と明石署との打ち合わせで、明石署側は「臨時駐車場は道路ではないため、閉店時間を守らない場合などに規制ができない」と主張、警察が規制可能な道路上への出店を強く求め、市が作った配置案を認めなかったという。露店の営業時間は午後9時までとされていたが、閉店時間を守らない店が多いことが例年問題となっていた。市側は「明石署は『指導を無視するなら責任をとってもらう』という強い調子だった」としている。(朝日7月25日)
会場の夜店付近の混雑状況
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「駅に着いて改札を出るまでに人の大渋滞。自動改札の少ないこと!! 大蔵海岸までの歩道橋も大渋滞。子供は人の多さと暑さでダウン寸前。でも、近くにいた人たちが汗だくの子供を見かねて、うちわで扇いでくれたり、あやしてくれたり。人の暖かさに感動し、感謝しました。ありがとうございました!! でも、「この橋が…落ちたら…。」と思うほどの人でした。とても怖かった。そして、誘導の手際の悪さ。警備員の方も暑い中、頑張っていらっしゃいましたが、「歩行者(駅に向かう人)がいるので、右に寄ってください」と言うばかり。それなら、こんなになる前に、なぜロープで海岸方向、駅方向と分けなかったのでしょうか?大蔵海岸内も同様で、屋台の間の道も東に行く人、西に行く人、立ち止まってしゃべっている人、もうめちゃくちゃでした。警備員の方は、進入禁止のところで見張っているだけ。開放してくれたら、たもっとたくさんの人が座れたのに。」(mizu、7月23日、明石市ホームページ掲示板より、記事番号105) 花火開始(7:45)前に、会場に渡った人の状況
(駅、歩道橋、屋台周辺)

警備員の誘導状況
「歩行者(駅に向かう人)がいるので、右に寄ってください」
午後6時
JR朝霧駅周辺に人が出始める(読売7月23日)
「当時現場に居たものです。18:00にJR朝霧駅に着きました。その時既に、ホームから階段そしてJRの改札を出るところまで人があふれていました。(結果的には既に例の歩道橋とそれを降りた会場もびっしりと人が溢れていたようです。)友人と19:00に改札を出たコンビニで待ち合わせしていたのですが、改札を抜けたのが19:10くらい。友人も遅れて、合流したのが19:20くらい。」(Binbinhi (42歳/男性)、 Yahoo!掲示板7月23日)
駅の混雑状況
(6:00、朝霧駅着)
(7:20、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋中間)

(8:10、階段下)

歩道橋横断時間50分
午後6時30分ごろ (JR朝霧駅近くのマンションに住む)女性は二十一日午後六時半ごろ、大蔵海岸の夕日を撮影しようとベランダに出て、歩道橋のほうを見た。人の波はゆっくりと進んでいたが、駅のホーム階段付近は客で混雑し、「ホームから人が落ちるのではないかと心配だった」。(Yomiuri Online7月27日)
朝霧駅は混雑に備え、通常より二十四人多い二十七人を構内に配置。ホームや通路、券売機周辺で乗降客らを誘導した。しかし、花火が始まる約一時間十五分前の二十一日午後六時半ごろから、ホームや改札口へ通じる階段で見物客があふれ出し、駅前のスーパーに行く途中だった男性(46)は「だれかがホームから線路に落ちるのではないかと思うほど込み合っていた」と証言。このころ、ホームから改札を出るまで約十五分かかっていたという。(Yomiuri Online7月27日)
歩道橋の状況
駅の混雑状況
午後6時30分ごろ 「俺もあの歩道橋を渡ったんよ、事故の2時間前位に。その時点で飽和状態。人の列がJR朝霧駅の改札からホームまで続いてた。この状態で歩道橋には警備員は4,5人しかいなかった。特に誘導する訳でなくウロチョロするだけ。警察に至っては歩道橋の北側で機動隊員が珍に目光らせてたけど、歩道橋の混雑を整理する雰囲気ではなかったな。」(78の発言、7月24日まちBBSの「明石祭り近況報告スレッド」の記事84) 歩道橋の状況
駅の混雑状況
警備・警察の状況
午後6時30分ごろ 18:30ごろには朝霧駅に着いたんですが駅員さんの呼びかけを聞いて、帰りの切符を買いに並びました。でも朝霧駅の切符の券売機?はすごく少なくて切符を買う人だけでもすごくて、無理に切符を買う人のあいだを通るおじさんが「通られへんやろが!」といってぶつかってきてすごく痛かった。」(明石市民、7月24日、明石市ホームページ掲示板より、記事番号270) 駅の混雑状況
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「『帰りのキップを今のうちに買っておいてください。』の連呼は有って、多くの人がその指示に従っていた。」(地元の親、8月1日、明石市ホームページ掲示板より、記事番号629) 駅の誘導状況
午後6時30分過ぎ 「私は実際に花火に行きました。6時半過ぎに朝霧駅についたのですが、その時点で歩道橋はいっぱい。私はその場で歩道橋をわたることを断念して、山側に行きました。帰りも駅の混雑を予測してバスで帰りました。山側から歩道橋も下の2号線もよく見えました。歩道橋は、花火が始まったら人の流れがすっかり止まってしまいました。友人と『あんなところにいると気分悪くなるよね』なんて話をしてました。また、下の2号線もよくあんな狭いところに、なんですが、花火見物の路駐の車が列を作り、真中で車がすれ違えるかどうかの幅しかあいてませんでした。そこでこの事故。」(7月29日、明石市ホームページ掲示板、匿名、記事番号512) 歩道橋の状況
駅の混雑状況
国道の状況
午後6時50分ごろ 「私は、1時間前、朝霧駅のホームにつきました。既に人はいっぱい。考えるまもなく、電車は行ってしまいます。でもホームに並んでいるのは、改札を出るための渋滞と思い、少しずつ動くので、取り合えず、改札を出ることにしました。時間にして10分ぐらい。そんなにたいしたことなく改札を出ることができ、帰りの切符を買うのも、大阪駅でJRの切符買うほど並んでもいなかったので、帰りの切符を買って、それから歩道橋です。私は子供3歳5歳2人をつれていましたが、時間はゆっくりあるので、ゆっくりでも進めば海岸につくとおもい、歩道橋を渡ることにしました。真中辺りからほとんど進まなくなりました。」(みーくん、7月29日明石市のホームページの掲示板より、全文はこの頁の末尾、記事番号527)
「明石駅方面からの普通電車で朝霧駅まで行きました。(朝霧駅到着は午後6時50分ごろ)。電車の中は、満員ではなく、ごく普通で、立っている人もちらほらという感じです。朝霧駅につきますと、ホームも結構満員でした。どうしようか思案している間に電車が発車しましたので、とにかく階段を登ることにしました。次の電車が来るまでには駅の階段を結構登っていたとおもいます。次の電車が来るのがわからない地点まで改札に近づいていたとおもいます。また進むスピードも改札の出るところの人数(によって規定されるスピード)と思われます。私はそう感じながら改札に向かっていました。思ったほど時間もかからずに改札をでることが出来、改札を出ると切符を買おうかどうか考えましたが、三宮で切符を買うほどの人が並んでいませんでしたので、切符を買って歩道橋に向かいました。ですから歩道橋に入ったのは7時過ぎとおもいます。」(みーくん、ヒアリング、9月3日)
(6:50、朝霧駅着)
(7:00過ぎ、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋南端から約15m)
(階段を下りる人の列は1列だけ)
(8:00ごろまでには階段下へ)
午後6時50分ごろ 「当日7月21日(土)午後6時50分ころ私は、神戸へ用事の為、朝霧の歩道橋の下を(車で)くぐる時に、その周辺の様子及び状況をすべてを見てしまった。あたりは会場へと急ぐ足並みが後を断たなかった。私は車上より叫んだ「危ない!橋が壊れる人が落ちる!」人で溢れ歩道橋が破裂せんばかりであった。そのとき誰も危険な状態を察知してなかった。だから、機動隊の方は装甲されたバスの中で寝ていた。そして、警察の方は、警備をガードマンに任せて、ふらふらとのん気そうにじゃれて遊んでました。またこの警察、機動隊の方々は県外よりの暴走族対策だけの為に待機しているのかと思った。しかしこの事態にと、車を道路脇に停めそのじゃれて遊んでいる警察官の方に予告したが、こう言われた「うるさい!ほっといてくれ」の返答に驚いた。これでも警察官かと、私は何か起きる、危ないと心配してた事が起きた。私共の予告を無視せず、事前に手をうって置けば事故は防げたものを。大変ざんねんです。」(7月26日サンテレビに届いたファックス投稿、明石市在住男性42才、サンテレビ8月2日)
(6:50、歩道橋、人で溢れる)
警察・機動隊の警備状況
午後6時50分ごろ 午後6時50分ごろ、数人が現地本部の指示でJR朝霧駅周辺の混雑状況を調査。現地本部に無線で『駅構内や車道まで人があふれている』と報告した。(神戸8月28日) 警察の動き
午後7時 「歩道橋だけでなく、JR朝霧駅構内も大混雑でした。午後7時ごろホームに降りたものの、1時間半ほど出るに出られず。次々に後続電車から客が降りてきてたまる一方で、いつホームへ人が転落しても不思議じゃなかった。みんな『電車、もうこれ以上来るな!』と叫んでいるのに、駅員は1人も見かけませんでした。そしたら若い男の子10人ほどが、それぞれの肩に手を乗せ合って人間の鎖をつくり、ホームの際に立ってガードしてました。大きな声で『小さい子、気をつけや』『ホームから落ちんように』って。改札付近も舞子駅へ戻ろうとする人波や、あきらめて神戸の花火大会へ向かおうとする人の流れが押し合いへし合いでパニック状態。それでも駅員の指示はいっさいなかったんですよ。」(神戸市垂水区無職女性73才、神戸7月24夕) (7:00、朝霧駅着)
朝霧駅の状況
午後7時ごろ ふらふらと明石祭り花火大会へ。花火が始まる45分前、朝霧に電車が到着。ホームですらすでに人込みぎゅうぎゅうで、結局改札をでるまでに15分かかった。
(日記
http://www.rose.sannet.ne.jp/tana/nikki/n010703.html
(7:00、朝霧駅着)
朝霧駅の状況
午後7時ごろ (JR朝霧駅近くのマンションに住む女性は)、約三十分後(午後7時ごろ)、再びベランダに出ると、手前の駅の改札口から歩道橋、花火会場の海岸まで人、人、人。夢中でシャッターを切ったという。(Yomiuri Online7月27日) 歩道橋の混雑状況
午後7時すぎ 「北側の駐輪場からも人が海岸を見ているひとで観客席がいっぱいという感じでした。しかし、歩道橋の入り口(北端)はあふれておらず、まだえべっさんの人ごみが進むような感じでした。歩道橋に入る人数は5秒で10人という感じ。前にまだ行くことが出来たので、入場券を受付に渡しながらイベント会場に入っていくような感じのスピードでした。ホームでの渋滞は改札でのスピード(が原因)と思いましたが、今度は海岸は広いのでそのまま抜けることが出来ると思って、人の流れるまま時間も十分あるのでゆっくり行ってもいいという感じで歩道橋に進んでいきました。歩道橋を渡る人口の8割強は電車からと思います(想像です)。また私のように切符を買ったり、待ち合わせをしたりで、いきなり改札口から歩道橋に並んでいるのがつながっているということはなかったです。ただ(駅前での)混雑のピークは私の時間より、もう少し後でしょうね。」(みーくん、ヒアリング、9月3日)
(北後からの質問:5秒で10人というのは、6m幅、全体でということでよろしいでしょうか。)「全体で10人の意味です。10人といってもぎゅうぎゅうで並んで進んで5秒ごとに10人進んだというのではなく、ごく普通に、気が向いた人が、5秒に10人ぐらいいて、入場するという感じです。人の歩くスピードも、3歳の子どもと手をつないで歩くスピードで歩道橋の中に入っていきました。余裕がありました。駅のホームでは、改札の出るスピードで並んでいるのは想像できましたが、歩道橋では、海岸は広いから、そんなに海岸に行くのに時間もかからないでしょうし、並んでいる理由の予想したのは階段を下りる人のスピードと思っていました。」(みーくん、ヒアリング、9月9日)
「半分ぐらい進んで靴の幅ごとのコンパスの進みようで、3分の2ぐらい進んだ地点で、時たま警備員(とおもう)といっしょに逆行する人が時たまいまして、手すりを持って歩くことが出来ませんでした。そのころになると私の下の子どもは手すりの下の隙間に入ろうとしましたが、逆行する人がいるので危ないから私がかたぐるまをしました。スパンの数が数えることが出来たのですがあと5つという当たり(約15m)で、花火が上がりだしました。」(みーくん、ヒアリング、9月3日)

(北後からの質問:手すりは、歩道橋の西側のものですか。また、その場所を歩かれた理由は、どのようなことだったでしょうか。)「手すりは歩道橋西側のものです。西側にいた理由は、花火が打ち上げられる位置が西と思っていました。西にいれば花火が見えるのかなという理由です(実際には頭上)。人の流れは、西も真中も同じ感じと思いましたが、いつのまにか真中に行っていましたので真中の方がやや流れが速かったかもわかりません。といっても真中だけが動いたという意味ではなく、動くときは全体に少しずつ動いたとおもいます。実際には流れるスピードよりも人を掻き分けて前進しやすかったかもわかりませんが、無意識で真中に行っていました。」(みーくん、ヒアリング、9月9日)
(6:50、朝霧駅着)
(7:00過ぎ、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋南端から約15m)
(階段を下りる人の列は1列だけ)
(8:00ごろまでには階段下へ)
午後7時すぎ 雑踏整理要員の明石署員が橋を渡ったのは七時すぎから同50分ごろにかけて。警備本部の指示で朝霧駅から橋を南向きに渡り、雑踏状況などを調べた。署員は、駅の構内や車道には「人があふれている」としたが、橋については「徐々に流れている」と報告、通行規制の必要性などは伝えなかったと言う。(神戸7月28夕) 警察の動き
午後7時6分 (警備会社ニシカンの)幹部は、滞留の兆候について「通信記録から歩道橋が込んできたことがわかるのは午後七時六分。『歩道橋上滞留』と出てくる。ただし、だれからの報告かわからない」とも指摘。(警備会社ニシカンの幹部の証言、読売8月16日) 警備記録
午後7時10分ごろ 歩道橋を通過中の警官が「徐々に流れている」と報告。約35分かかって渡る。(神戸8月20日)
午後7時10分ごろから約35分かかって歩道橋を渡ったが、途中で現地本部に「徐々に流れている」と連絡。分断や規制を検討せず、現地本部に戻った。(神戸8月28日)

調べによると、7月21日午後7時ごろ、歩道橋上の混雑がひどくなってきたため、明石署の現場責任者が「(歩道橋への進入)規制を検討してほしい」と、会場で雑踏警備にあたっていた署員数人を歩道橋北側のJR朝霧駅側に向かわせた。署員らは歩道橋を渡って、駅構内や車道に人があふれている状況を確認し、「ホームなどから人があふれるので様子を見よう」と責任者に無線連絡し、了承された。この時、朝霧駅近くにいた明石署員らの間でも、規制の是非が検討されたという。関係者によると、当時、長さ約100メートルの歩道橋上は、人の流れはあったものの次第に歩くのが難しくなっていく状況だった。署員らが「様子を見守る」と判断した直後からとくに混雑が激しくなったという。(朝日8月28日)
警察の動き
歩道橋横断時間35分

午後7時15分
(花火開始30分前)
会場へ向かう客でごった返すJR朝霧駅ホームに、駅員のアナウンスが流れた。「(隣の)舞子、明石駅もご利用ください。」(神戸7月23日)
同じころ、歩道橋は、人の流れが停滞し始める。(神戸7月23日)
「線路に落ちそうで、いつ将棋倒しになるかわからない状態。改札で駅員に誘導を頼んだが知らん顔。北側のロータリーに待機していた機動隊にも頼んだが、動く様子はなかった」(兵庫県高砂市の会社員Wさん32才、Yomiuri Online7月23日)
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午後7時15分ごろ (午後7時15分ごろ、改札をでると)朝霧駅えらいさわぎだ。海岸への唯一の通路である歩道橋(100m)の様子はまさに人間鮨詰状態でぜんぜん流れているようには見えないのだが、なんと美津子さんはじわりじわりという大集団の流れに身を任せたままぼーっとそちらへむかおうとする。驚いた私は、妊婦があんなとこ入って無事な訳ないだろうと手を引っ張り、とにかく人込みから脱出した。私は先ず人込みというものが大嫌いですっかりうんざりしてしまいこのまま家に帰りたくなったのだが、しかし妊婦はどうしても間近で観たいと言い張る。そこで、しんどいけどすげー遠回りだけど妊婦連れまわすには非常識なほどだけど、明石側のバイパスからぐるっとまわって、2〜3・ほど歩く。この迂回路は、厳密には迂回路でも何でもなくって、地元の人間はまあ知っているけどそれでも駅から海岸にむかうならば決して選択しない道であり、それでもこちらを通る人間はちらほら結構いて、うん、それほどあの歩道橋は無理がありました。
(日記
http://www.rose.sannet.ne.jp/tana/nikki/n010703.html
歩道橋北端の状況迂回路の状況
午後7時15分ごろ 歩道橋の混雑が激しくなる。階段下で誘導業務に当たっていた警備員は「看板がないため『明石駅はどっち』などの問い合わせが殺到した」(神戸8月20日) .
午後7時15分ごろ 7時15分ごろ大蔵海岸に着きました。 屋台を見に行こうとして少し歩いていたら歩道橋が見えてきて、それはもうものすごく混んでいました。朝霧駅のホームにも人が溢れていて押し合いながら 改札口に通じる階段を進んでいるというありさま・・・。通過する電車が汽笛を頻繁に鳴らして注意を呼びかけていました。   屋台に行くためには入口が1つしかなくびっくりするぐらい混んでいました。たまりかねた人達はフェンスを乗り越え会場に入る始末(ーー;) 警備員がメガホンで注意をしていましたが無視していました。屋台の通りになんとか入ることが出来たのですが途中何度も押しつぶされそうになり汗だくで倒れそうになりました。女の子が倒されるという場面がここでありました。 それぐらい会場は混乱していました。屋台を楽しむどころではなく私はあきらめて会場からやっとこさ出ると来た道を引き返し花火の見えそうな位置へ移動する事にしました。歩道橋にさしかかると、やっぱり人でぱんぱんでした。私は正直いって、橋が落ちるのでは??という恐怖を感じました。橋の下をくぐる時ほんとうに怖かったので走って通り過ぎました。(ナオ、7月23日明石市ホームページ掲示板、記事番号126) 大蔵海岸の混雑状況
午後7時15分ごろ 「私達親子が橋に着いたのは7時15分頃だったでしょうか・・確かに橋は2/3ぐらいまで人がいましたが、人の波は流れており、危険は感じず入っていきました。私達の考えが甘かったのかもしれません。でも、危険を察知しながら・・ましてやなによりも大切な子供を危険にさらすとわかっていてそれでもなお無理に橋を渡ろうとする親がいるのでしょうか?」(ちび、8月8日、明石市ホームページ掲示板、記事番号913) (7:15、歩道橋北端)
(8:40、階段から10m)

歩道橋滞在時間85分
午後7時15分ごろ 「大蔵海岸での花火を、近くで一度見ておこうと、夫とともに出掛けた。その日は、まだ外を歩いていなかったので、散歩を兼ねて行った。午後七時半の始まりで、十五分くらい前、朝霧駅に着いた。続々と会場へ向かう人が詰め掛ける。歩道橋の上はいっぱいだが、少しずつ前へ進んでいた。」(神戸市垂水区主婦75才、神戸8月3日) (7:15、朝霧駅着)
(7:45、歩道橋中ほど)
(8:00すぎ 花火を見る余裕ない)
(8:40、踊り場南端)
午後7時20分ごろ 「友人と19:00に改札を出たコンビニで待ち合わせしていたのですが、改札を抜けたのが19:10くらい。友人も遅れて、合流したのが19:20くらい。花火の開始は19:45であったのでそれから例の歩道橋に並びました。人がいっぱいでしたが。歩みはかめよりものろく、中間くらいで花火がはじまりました。」(Binbinhi (42歳/男性)、 Yahoo!掲示板7月23日) 歩道橋北端の状況
(6:00、朝霧駅着)

(7:20、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋中間)

(8:10、階段下)
歩道橋横断時間50分
午後7時20分ごろ Iさん(明石市の会社員女性38才)は、午後7時20分ごろ、歩道橋を渡り始めた。すでに身動きがとれないほど混雑していた。(朝日7月27日) (7:20、歩道橋北端)
(8:20〜8:40、南西角直近2m)
歩道橋滞在時間80分

午後7時20分ごろ

明石署によると、監視カメラは県警本部に要請し、雑踏警備用として、今月十九日に歩道橋の西約二百メートルの八階建てビル屋上に設置。花火大会会場の大蔵海岸や歩道橋など付近が見渡せ、署内一階に設けた警備本部から遠隔操作で、現場の模様がモニター画面に映し出せるようになっていた。ズームや方向転換の機能もあり、事故当日の二十一日は午後五時ごろから署員が画面を見てチェックしていた。事故の約一時間半前の午後七時二十分ごろから、歩道橋南側の階段が混雑している様子を確認。同八時二十七分に、「歩道橋上で身動きができなくなっている」という110番を受けてからは継続して監視していたという。署の幹部は「ゆっくりとした流れがあった。歩道橋が半透明のカバーで覆われ、何が起こっていたか分からなかった」と釈明。歩道橋近くのJR朝霧駅に待機していた機動隊員に、客が橋へ新たに流入しないよう指示するなど、効果的な対応は取らなかったという。(Yomiuri Online7月24日)

警察の動き
午後7時25分 警備員が朝霧駅から歩道橋への進入をいったん止める。しかし数分後に解除。(神戸7月23日)
明石市の歩道橋事故で、雑踏警備の元請けを務めた警備会社の責任者が、歩道橋の来場者を分断した、と虚偽の報告を無線交信記録簿などに記載していたことが、九日までの兵庫県警明石署捜査本部の調べで分かった。 (神戸8月9日)
(警備会社ニシカンの)幹部によると、開始前の午後七時二十五分ごろ、歩道橋北側の遊撃隊員(警備員)から「後ろがつかえてきた」と無線連絡があり、(自主警備本部にいた)警備責任者が警察責任者に相談。二人で橋を見上げたが人の流れはあり、警察責任者は「自然のままでいこう」と答えた。(警備会社ニシカンの幹部の証言、読売8月16日)
警備の動き
「捜査本部の調べで、「19時25分 進入ストップ(一分後解除)」は、虚偽と判明(神戸8月10日)」と報道されている。

自主警備本部の動き
(歩道橋南階段から東約50m)
午後7時25分 神戸市西区の中学校教諭(47)は、家族と歩道橋を上った。わづかずつだが、人の波は進んでいた。(神戸7月23日) .
午後7時25分ごろ
「明石駅を7時20分頃に電車に乗って、朝霧駅に25分頃着いたら、ホームに大勢の人がいた。人が押すということはなかったが、ホームから人が落ちないようにホームの内側へ寄り集まったような状態だった。朝霧駅のホームは1つしかなく、上りと下りの電車が次々に入ってきては、どんどん客が降りてきた。ホームのエスカレータは止まっていた。そこを上がったところに人が立ち止まっていたためなかなか改札のほうへ進めなかった。改札までかなりの時間がかかった。駅のアナウンスでは、「改札を出たら、右へ曲がってください。」と、歩道橋のほうへ誘導していた。私は駅の事情が少しわかっていたので、自転車置き場のあたりから花火が見えるかと思って、改札を出て左へ曲がった。実際には自転車置き場あたりは花火があまり見えなく、歩道橋のすぐ下側に多くの露店が混雑していそうなのが見えたので、そちらのほうには行く気がせず、ホームの上がすいているのが見えたので、ホームに行って8時半まで花火を見た。」(明石市無職女性75才、8月13日ヒアリング) 朝霧駅の状況
駅では歩道橋へ誘導
午後7時30分ごろ 今年は ちょっと電車の加減で出足がおくれ、スタートの19:30ごろに朝霧駅に着きました。これが(ふつうは当たり前なのでしょうが)まず失敗でした。朝霧駅のホームはもう満員おせおせで降りるのも やっと状態でした! しかも全然すすまないのです。 (JR西日本は、阪急などとちがってホームからせまめの階段でいったん上の廊下にあがり改札に接続する構造が多いです。(全部ではないけども))で、もうその段階でホームはおせおせ。すごい人です。ところが見たかぎりではホームに目立つような案内や誘導の係員もいませんでした。。。ふつうに通勤混雑しているときのようにゆるゆると動く、、ではなく電車の戸口から階段までぎっちりと人がつまっていたのです。「これは、次の電車がきたらまたホームがすごいことになる。押されて落ちたり 圧っぱくされるかも。出口が階段しかないからこわい!」ととっさに思い、連れと相談し、まだ開いていた電車にのりまして、隣の舞子駅へ(電車がらがら)。(Shiro_kuro、 Yahoo!掲示板7月23日)  朝霧駅ホームの混雑状況
午後7時30分ごろ 「うちも行きました。7時半ごろホームにいました。でも ホームに下りたらもういっぱいで、線路に落ちてもおかしくない状態でした。次から次へと電車からは人が降りてくるし案内も聞こえずみんなイライラしてた。これじゃあ、なにか起こってもおかしくない!と危機感を感じやっとの思いでかえりの電車に乗ることができ無事にもどることができました。」(あきら、7月24日、明石市ホームページ掲示板、記事番号258) 朝霧駅ホームの混雑状況
午後7時30分ごろ 見物客らの証言によれば、午後7時半ごろから、朝霧駅の改札周辺も極端に混雑し始めた。密集した人の列が歩道橋から駅のホームまで連なる状態になったため、警備員らが見物客を駅からう回路に誘導しようとしたが、現場の歩道橋に向かう人の流れは変えられず、午後8時40分ごろに事故が起きた。(朝日7月28日)
午後七時三十分ごろから八時ごろにかけてホームに着いた見物客らは(ホームから改札を出るまで)三十分もかかり、ホームを行き帰りする人たち同士のトラブルも起きたほどだったという。(Yomiuri Online7月27日)
朝霧駅の状況
(警備員の迂回路誘導については虚偽の恐れ有り。なお、迂回路を誘導されたとの花火客からの証言は現在のところない。)
午後7時30分ごろ
「友達の家族と主人の五人で、花火大会が始まる十五分くらい前(午後7時30分)には、朝霧駅に着いていました。海岸に渡って、夜店で何か食べながら、花火を見ようと言い合っていたんです。橋の半分ぐらいまでは、楽に歩けて、『行けそうやな』と思ったんですけど・・・・・」「ちょっと後ろを振りむいたら、急に橋が人でびっしり埋まっていて、びっくりしました。それでも、人の流れは、まだ少しずつ海岸の方に動いていましたから、花火を見ながら進んでいったんです。」(事故当時歩道橋にいた主婦、週間文春2001.8.2) (7:30、朝霧駅着)
(8:40、歩道橋南端周辺)
午後7時30分ごろ

午後7時30分ごろは、改札から歩道橋まで比較的スムーズ
花火大会には友達と二人で行った。JR朝霧駅に着いたのは午後七時半ごろ。改札口から歩道橋までは、比較的スムーズに歩けた。橋の入り口にはガードマン一人が立っていて、「気を付けてください。混雑しています。」と呼びかけていた。
歩道橋の東側は見物人がびっしりで全く進めなかった。西側もなかなか進めず、橋の三分の一程度のところまで行ったとき花火が始まった。そのころ、歩道橋は駅から海へ向かう人ばかりだった。「もっと端に寄れ」と怒鳴る人もいた。
(明石市の女子中学一年生、神戸7月28日 証言 歩道橋で何があったか@)

歩道橋の東側-見物人で全く進まない
歩道橋の西側-なかなか進まない


(7:30、朝霧駅着)
(7:45、北端から3分の1)

(8:30、歩道橋半分)
午後7時30分ごろ
(ビデオ)
(視聴者撮影のビデオ)「○○ちゃん、これでも渡りますか。大変ですが、渡っちゃいますか。(撮影者の父が幼児に向かって、7時24分)」「ちょびちょび動いております。(撮影者、7時29分)」「ちゃんとついときよ、前見て行きよ」(撮影者、7時29分)(朝日放送7月23日ニュースステーション) (7:24 歩道橋北端
午後7時30分頃、ビデオには、渋滞で、立ち止まる状況も撮影されている。動くときは、すり足で、歩行速度0.4m/秒程度かそれ以下。
(7:54 階段下りる)
歩道橋横断時間30分
午後7時40分 花火が始まる直前の午後7時40分には、歩道橋の混雑で改札の外に出られない人の列がホームにまで達した。3〜4分おきに到着する電車からも1回あたり500〜600人の客が降りてくる状態が続いた。このため、同駅長は電車から降りる客と乗る客の流れが交錯すると危険だと判断。本社に連絡して駅への入場をストップし、人の流れを駅から歩道橋への「一方通行」とした。だが、実行委員会に情報は伝わらず、早めに帰宅しようとする見物客らはその後も同駅に誘導された。改札前には駅に入れない見物客がとどまり、駅前や歩道橋の混雑にも拍車がかかった。(朝日7月24日) 朝霧駅の状況
.
JR朝霧駅周辺で人波が動かなくなり始めている事故の一時間前、駅前のロータリーに待機していた管区機動隊の車両に見物客の男性が駆け寄り、隊員に声をかけた。 「歩道橋が危険なので誘導してくれませんか」。必死の形相だった。暴走族対策での出動だったからか、男性の要請は聞き入れられなかった。「機動隊員はバスに乗ったままで、(車の)外にいた七、八人は動こうともしなかった」。男性はそう証言する。(読売8月31日) 警察の動き
.
(会場の雑踏警備を担当した元請け会社「ニシカン」(本社・福岡市)の現場責任者ら複数の幹部)によると、自主警備本部では、花火の打ち上げ前から、歩道橋で「人が動かない」などの混乱ぶりを伝える無線報告が鳴り続けた。このため、「本部詰めに準備していた二人の無線記録係を現場に出して状況把握に走らせた」とし、海岸方向への一方通行も検討したが、おびただしい人出に対応しきれなかったといい、警備の甘さを認めている。(神戸8月11日) 警備員の動き
午後7時40分すぎ 「入り口の両端にガードマンが一人ずついた。『込んでるけど行けますか』と聞くと、『徐々に動いてるから大丈夫です』と言われた」(48才、女性、神戸8月20日) 歩道橋北端の状況
警備員の動き
午後7時45分 予定通り花火の打ち上げが始まる。花火を見ようと、雑踏はぴたりと止まった。(神戸7月22日)
亡くなったR君(7)はそのころ、母、姉とともに駅から歩道橋へと向かっていた。橋上から一家は花火を見上げた。(神戸7月22日)
「ぎゅうぎゅうで、足が五−十センチぐらいずつしか進まない。倒れたら絶対危ないと思っていた」(明石市の中学一年N君、読売7月23日)
午後7時45分
「花火が始まると階段を下りたところは動かなくなり、パニック状態になった。」「夜店が多すぎ観客が停滞してしまった。」(神戸市垂水区の女性、神戸7月25夕) 南側の階段下の状況
午後7時45分
「橋の上の警備員は『事故になるぞ』と大声で注意したが、下の警備員は海岸から人をどんどん上げていた」。(明石市主婦Sさん38才、共同通信7月22日) 南側の階段の警備状況
午後7時45分 「歩道橋の入り口周辺と言うのは結構人が入っていて、ちょっと中にはいれないと思ったんですけど、中のぞいたら、なんか入れるような雰囲気だった。警備の方も別に入るなと言われなかったですからね。入り放題という状態でした。(8時30分になって)花火が終わったからいよいよ進むものと思っていた。それでもなかなか進まなく、なぜ進まないのかとイライラしていた。警備とか警察からの誘導は全くなかった。」(花火が始まったころに歩道橋に入った男性40才代くらい、サンテレビ8月2日) 歩道橋北端の混雑状況

(7:45、歩道橋北端)
(8:40、事故現場からやや北側)
歩道橋滞在時間55分
午後7時45分 「当日のことは今でもはっきりと脳裏に浮かぶ。彼を抱いて歩道橋へ足を踏み入れた。少しずつしか前に進まなかったが、目と鼻の先では、楽しい屋台が並び、そのにぎやかさが体に伝わってくる。しかし、まだ歩道橋を三分の一しか渡っていない時点で花火が始まった。彼は私の腕の中で打ち上がる花火を見て、『お父さん、花火きれいね』。そう言って空を見上げた。『そうやね、きれいね』。これが彼との最後の言葉になるとは夢にも思わなかった。(事故四週間後神戸新聞に手記を寄せた下村智仁君の父誠治さん、神戸8月19日) (7:45 歩道橋北端から三分の一のところ)

(8:30 歩道橋南端まで5-10メートルの西壁付近)
午後7時45分
「友人も遅れて、合流したのが19:20くらい。花火の開始は19:45であったのでそれから例の歩道橋に並びました。人がいっぱいでしたが。歩みはかめよりものろく、中間くらいで花火がはじまりました。前後の人は、歩道橋を降りて、会場で花火を見たいので(自分もそう思った)『立ち止まるな!!』『前へ進め』の怒号が飛び交っていました。歩道橋を曲がって、ようやく階段だ、と思った瞬間、驚きました。階段はもとより、会場はびっしり人人人で、人が降りれる余地がまったくありません。それでも、ここで留まっては危険と感じ、さらに後ろの押す力に流されるように、じわじわ降りて、何とか20:10くらいに歩道橋を降りました。家族とはばらばらになって、ようやく花火の終わるころに階段下で合流できました。その時既に、早めに帰宅の途につこうとする流れ(階段を上る)が始まっていました。それでも、まだ会場に到達できない数千人の人が会場に向かっている状態でした。この階段を上るのはあまりにも危険と判断し、家族と共に西約1kmのところにある私鉄の駅に向かって屋台の中を歩くことにしました。その屋台の通りも東(歩道橋方面)と西(屋台or私鉄の駅)に向かう流れでめちゃくちゃでした。時間的に、その屋台の中にいる時に事件は起こっていたようです」(Binbinhi (42歳/男性)、 Yahoo!掲示板7月23日) 歩道橋中間の混雑状況

(6:00、朝霧駅着)
(7:20、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋中間)

(8:10、階段下)
午後7時45分 「真中辺りからほとんど進まなくなりました。5歳のこどもは歩かせていたのですが苦しいと言い出したので、(酸欠か、暑さ)抱っこしました。その状態で、少しずつでも前に行くことを試みました。4分の3ぐらい渡った辺りで花火が始まりました。みなさん花火どこに見えたとおもいます?橋の真正面(橋の天井)です。私はびっくり!もっと西と思っていたのに。でなんとか人ごみをすり抜けながら、海岸までたどり着くことが出来ましたが、階段を下りる人は1列だけでみんな止まってしまっています。歩道橋の下では、人がいっぱいで、橋から渡ってくる人が降りられるスペースなどありません。その30m離れると、芝生でけっこう空間が空いています。私はそこまで行って花火を見ました。」(みーくん、7月29日明石市のホームページの掲示板より、全文はこの頁の末尾)
花火が上がると人はまったく進みません。花火と花火の間隙ですこし進むという感じ。5歳の子どもが苦しいと言い出したころです。私の想像では暑さと酸欠と思いました。私もいきぐるしい感じでした。そこで5歳の子どもも抱っこしまして、花火と花火の間隙のすこし動くときに、何とか前前に前進を試みて、歩道橋を渡りきり、階段に向かいました。私は、歩道橋を通るのが初めてで階段がどっちに向いているのかわからない状態でしたが、人がかろうじて進む方向に流されるまま進みました。ただし、動いている人は水平から折れ曲がって階段に行くところでは2列ぐらいの進みようで、階段からは1列から2列のすすみようの感じ。階段になると、ひっくり返るのに注意しながらですが、前に進むのですが、ほんと1列が引っかかりながら進む感じのスピードです。よいしょというかんじで掛け声が掛けられるぐらいのスピードで1段降りる感じ。私が思うところでは(階段の下り口を通過した人数は)1分間に50人ぐらいとおもいます。10秒で7〜8人という感じです。階段を下りるときに、エレベーターの建物が邪魔になって花火はこのときは見えませんが、花火関係なしに進むようになりました。遠くを見ると、階段下だけ人が込んでいて、少し向こう(西)はひとが座ってみていまして、椅子でも並べて座っているのかなと思っていました。そのもうすこし西はもっとすいていて、私はそこまで行こうと思って、進んでいきました。階段下りても人の壁で進むことが出来ませんが、すみませんといいながら、階段上で確認した場所までたどり着き、花火をけっこう楽しむことが出来ました。階段下りるときにはガードマンはいなくて降りたところに一人いました。そのガードマンに上の様子、階段の人を早く下ろすように告げました。ガードマンの『努力します』という言葉は、はっきり聞き取りました。時間がどのくらい経って橋を渡り終えたのかはわからないのが残念です。気持ちとして寝転がって花火をゆっくり見ることができたという感じの時間はありました。階段で下に下りろと叫んでいたのは私ともう一人お父さん風の年配の方と2人だけでした。」(みーくん、ヒアリング、9月3日)
(北後からの質問: 階段で下に進んでいた列は、どちら側でしたでしょうか。)「進んだのは真中でした。なぜ真中が進んだのかわかりません。階段では一度も南も北も手すりを触っていません。人の流れるままに動きました。想像すれば、北側の手すりを持っている人も、南側の人も、将棋倒しは予想していたと思います。私も将棋倒しの危険は予知しました。手すりを持っている人は、人は下に行かないからそのまま手すりを握り締めてしまって、なお止った状態のままに固まっていた?(想像です) 階段下りても、人が立った状態で、『すみません通してください』といいながらかきわけて橋の上から確認したすいている広場まで進みましたが、階段降りたところからでは、すぐ近くがすいているとは思わない状態の人の壁でした。」(みーくん、ヒアリング、9月9日)
歩道橋中間、及び階段部分の混雑状況

(6:50、朝霧駅着)
(7:00過ぎ、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋南端から約15m)
(階段を下りる人の列は1列だけ)
(警備員(ガードマン)からのハンドマイクによる指示がなされていないので、朝日放送のビデオの人より早く、7時52分までには階段下へ到達と推定される。なお、ビデオのタイマーがやや遅れていたことも考えられる。)
午後7時50分ごろ 複数の観客によると、(警備本部の指示で朝霧駅から橋を南向きに渡り、雑踏状況などを調べた)署員が橋を渡り終える七時五十分ごろには、橋の上で花火を見ようとする若者が居座るなど観客の滞留が激しくなっていたといい、捜査本部は、危険性の認識の有無などを、同署員から詳しく聴いている。(神戸7月28夕)
午後7時54分ごろ
(ビデオ)
(視聴者撮影のビデオ)
「歩行者通ります。通路をお空け下さい。」(若い男性警備員のどなり声、階段の上の方にて、警備員が赤い誘導灯を振りながら、上がってくる人(一列、南側)を誘導、7時52分52秒)     
「階段で立ち止まらずにまっすぐお進み下さい。(中年男性警備員のハンドマイク、階段の下の方、7時53分47秒)」「どこ進めっちゅうねん。(撮影者、実際には進んでいる1秒で1段かやや遅い程度の下降、7時53分47秒)」      「階段で立ち止まらずに、順に前の方ににお進み下さい。順に前の方にお進みください。ハイ、順に前の方にお進みください。(ハンドマイクを持った中年男性警備員、階段を下りながら、7時53分57秒、及び、下りてから、以降、階段の下)      「ハイ、階段の前に立ち止まらないで下さい。危険です。(階段下の女性警備員のハンドマイクから、7時54分02秒)」「順に前の方にお進みください。順に前の方にお進みください。(男性警備員のハンドマイクから7時54分11秒)」(この後も、男性警備員のハンドマイク、女性警備員のハンドマイクでの同じ内容の誘導が交互に繰り返される。)(朝日放送7月23日ニュースステーション)
(7:24 歩道橋北端
(7:54 階段下りる)
南側階段
警備員の誘導状況

階段の南側=上がる人(1列)
階段の北側=下りる人(多数、1秒1段弱)

ビデオには、階段で立ち止まっている人は写っていない。
ビデオには、階段の下で、人の流れがあるのは、階段直前の階段幅程度の通路となっていた部分くらい(その中にも立ち止まる人あり)であり、それ以外の場所では、花火を見ている人がびっしりと立ち止まっている状況が写っている。
.
「事故に遭われた人達が歩道橋に入ったのが、私より先か後かわかりませんが、橋上の花火が見える側では花火を見ようと陣取っていた人達で、通路の半分程が塞がっていました。残り半分もちょっとづつ進んでいるかなって程度でした。」(7月31日、明石市ホームページ掲示板より、記事番号588) 歩道橋の東半分 花火を見て立ち止まる

歩道橋の西半分 ちょっとづつ進む
. 歩道橋に居合わせた人々の証言では、事故当日、花火が打ち上がるたびに橋上の流れが止まった。(神戸7月31夕) 場所によっては、このような状況ではなかったとの証言もある。
. 「花火が打ち上げられるたびに、混雑はひどくなっていった。徐々に歩いている感覚から後ろから押されて前に動いている状態へと変わった。自分の意思では体が動かせない状態だった。周りにもたくさんの子供連れの家族がいたが、徐々に親たちは、その状況を不安に感じるようになった。橋の中央付近まで進んだころには、もう自分の体と周りの人の体が密着し合い、蒸しぶろのような状態で気が遠のいていくほどの暑さと息苦しさを感じていた。   後ろからは『早く行かんか』、前からは『子供がおるから押すな』と怒号が飛んだ。後ろから若い茶髪のグループが無理やり人を押しのけて通っていき、小競り合いがあちこちで起こっていた。とにかく騒然とした雰囲気が、異様な雰囲気が現場を包んだ。」(事故四週間後神戸新聞に手記を寄せた下村智仁君の父誠治さん、神戸8月19日) (7:45 歩道橋北端から三分の一のところ)

(8:30 歩道橋南端まで5-10メートルの西壁付近)
. 「(歩道橋の)三分の二くらいまで行ったところで、西側を女性警備員が駅に向かって歩いていった。近くの男性が『何で進まないの』と尋ねたが、『たくさん警備員がいるから大丈夫です』と言い残して去っていった(27才、女性、神戸8月20日)
「警備員が三人くらい、東側を『帰る人のために空けてください』と言いながら通った。周りの人が『空けられるわけないやろ! 死んだらどうすんねん』と叫んでいた(12才、男性、神戸8月20日)
警備員の動き
. 警察への通報は、ほかの形でもありました。この女性は花火の途中で歩道橋を抜け出し、駅まで戻って、駅前にいた二人の警官に歩道橋の中が危険だと、直接、訴えました。「おまわりさん、どうにかしてよって、あのー、こんなん、警備の人の手に負えませんと訴えたんですけども、まったく、なんか知らないふり、なんのために、ここに、役立たずと言ってしまった。警察が立っているのに、何もしてくれないというのは、不条理に思った。あの時の、あの現場の、あの時の、おまわりさんの態度は、許せなくって、腹立たしかったですよね。事故が起きたって聞いた時に、だから言ったのにという感じでした。(50才代くらいの女性)」(サンテレビ8月2日) 警察の動き
午後8時 日中にこの夏一番の36.0度を記録した気温はまだ下がりきらず28.9度、湿度72%、透明なプラスチックの側壁に覆われた歩道橋の中は異様な蒸し暑さと混雑で、人々のいらいらが募り始めていた。(神戸7月22日)
「呼吸できないほどのすし詰め状態だった」(午後八時ごろ、JR朝霧駅から会場に向かったという明石市の女性26才、産経7月23日)
「警備員は何も言わず、両側からどんどん人があがってきた。ものすごい暑さで酸欠状態になった。近くの子供が『死ぬ、死ぬ』と叫んでいたが、だれも何もできなかった。」(神戸市の男性60才、産経7月23日)
歩道橋の混雑状況
午後8時すぎ 「(歩道橋の)中ほどへ行くと、花火が始まった。立ち止まって見るようになり、後ろからどんどん人が詰めてくる。前は進まない。それでも、上を見て、花火を見る余裕はあった。午後八時を過ぎると、ますます押されて身動きができない。もう花火を見る余裕はない。早く終わればと念じる。」(神戸市垂水区主婦75才、神戸8月3日) 歩道橋中間の混雑状況

(7:15、朝霧駅着)
(7:45、歩道橋中ほど)
(8:00すぎ 花火を見る余裕ない)
(8:40、踊り場南端)
午後8時すぎ 八時すぎになると、人の流れはピタッと止まる。「報道では、橋の上で花火を見たがる人が多かったって言ってましたけど、実際はみんな、海岸に下りたかったのと違うかな。周りからは『通せ、通せ』という声が聞こえてきましたし。この辺りからどなり声が聞こえるようになってきて、友達のご主人も、携帯で警察に電話していました。」(事故当時歩道橋にいた主婦、週間文春2001.8.2) 歩道橋の混雑状況

(7:30、朝霧駅着)
(8:40、歩道橋南端周辺)
午後8時すぎ 「私も北側から歩道橋に入りました。時間は午後8時過ぎだったと思います。駅のホームから改札口まで10分ほどで上がれましたし、歩道橋北側入口の混み具合いも同じ程度、少しずつは前進していましたから。(事実、30分ほどで橋の真ん中位までは行っていました)新聞、テレビで見て今から思えば、この前進は南側から人が出ていって前進したのではなく、南端で滞留したまま単に圧縮されていったことによるものだったのですが、そんなことは当時歩道橋の私には全く判りませんでした。(誰かに知らされるということもありませんでした)    つまり、  (A)駅の改札口をホームから10分で通過できたのは、人が実際に流れて改札口から出ていったから。  (B)歩道橋で前進できたのは、(アコーディオンが縮むように)人の間隔が縮まっただけ。   同じ前進でも状況が全く違ったのです。(こえ、8月9日、明石市ホームページ掲示板、記事番号943) 歩道橋北端の状況〜中間

(8:00、歩道橋北端)
(8:30、歩道橋の中間)

他の証言によると、階段から1列だけ、下りていた。8:30の花火終了後も、わずかに階段を下りる流れがあったとの証言がある。)
午後8時3分 「午後八時三分に人の流れが完全に止まった。駅の改札口近くでバリケードをして新たな客が入るのを規制したが、『通せ』と殴られた」(歩道橋で客を誘導していた警備担当者59才)まもなく規制解除。(読売7月23日)
明石市の歩道橋事故で、雑踏警備の元請けを務めた警備会社の責任者が、歩道橋の来場者を分断した、と虚偽の報告を無線交信記録簿などに記載していたことが、九日までの兵庫県警明石署捜査本部の調べで分かった。(中略)。調べによるとニシカンは、下請け七社とともに警備を実施。警備責任者である同社の大阪支社長(59才)は、事故発生の七月二十一日夜、現場の歩道橋上が来場者で限界密度に達する兆候があったのに、誘導規制の変更をしなかったほか、限界密度に達しても、来場者の分断をして、進入を阻止するなどの危険回避義務を怠り、約二百人の将棋倒しを引き起こし、十一人を死亡、百八十五人に重軽傷を負わせた疑い。 (神戸8月9日)
警備会社の動き

午後8時すぎ 開始約十五分後の八時過ぎ、歩道橋北側の警備員から「流れが止まった。危ないから対応できないか」との連絡が自主警備本部に入ったが、警備責任者から相談された警察責任者は「(歩道橋の混雑の状況を)調べている」との趣旨の返事をしただけだったという。(警備会社ニシカンの幹部の証言、読売8月16日)
兵庫県警明石署の一室。歩道橋事故からまだ数日の七月下旬、「明石市民夏まつり」の元請け警備会社の責任者は、参考人として捜査本部の事情聴取を受けていた。) 警備責任者は当時の様子をおおむね、こんなふうに説明したという。  「事故の一時間以上前、警備本部のテントから出て歩道橋上の混雑を目にした。それで、並んで見ていた警察の責任者に『どうしましょうか』と指示を仰ぎ、四十分前には『止めましょうか』と伝えました。『しばらく様子をみる』などとの返事だった。分断要請は行いました」  取調官は、執ように問いただした。「分断要請の意味を知っているのですか」  「我々、民間(の警備会社)ができるのは、手を広げ、メガホンを持って見物客にお願いをし、人の流れを止めることです」  「分断とはロープやカラーコーンなどを使って行うもの。手を広げるやり方は分断ではない」と取調官は言って語気を強めた。「分断要請したというのは、ウソではないのか」  業務上過失致死傷罪の立件に向けて重要な「分断要請」の有無。「一切なかった」とする警察に対し、警備会社は「確認しただけで三回行った」と譲らない。(読売8月30日)
自主警備本部の動き
(歩道橋南階段から東約50m)
午後8時0分〜10分ころ 「私が歩道橋の天窓から花火を見終わったのは、朝霧駅から大蔵海岸出口へ七割方来たときでしたが、その二・三十分前風防ガラスに張り付いて連絡のため移動している警備員に『どうして動かないのですか』と聞きますと、『いくら大声で言っても群衆が大蔵海岸に降りてくれないです』という泣き声での応えでした。花火が終わり群衆の乱れが大きくなり、熱気息苦の叫喚地獄の中で、折り重なってくる人の下敷きになった私は、二回ほど若い人に抱き起こされましだが、気がついてみると大蔵海岸のまだ救急隊も来ていない砂浜の上に横になっていました。携帯も失い隣の人の携帯を借りて家に連絡しましたが、喜寿も近い私は恥ずかしくて詳しく話すことができませんでした。」(明石市藤井稜平、8月5日明石市ホームページ掲示板、記事番号858)
歩道橋上では、人の流れが滞ってすし詰め状態で身動きができなくなった午後八時過ぎから、客の間から不安の声が出始めていた。何人かが、海岸側から駅に向かって二十数人の客を先導していた警備員に、「何で交通整理せんのや」とどなると「どうしようもない。手をつけられまへん」と答えて去るなど、手のほどこしようのない状態だったという。(Yomiuri Online7月25日)
警備員の状況
(「群集が大蔵海岸に下りてくれない」)

午後8時10分ころ 朝霧駅は歩道橋の混雑がひどくなったため、午後8時10分ごろに入場規制を解除。(朝日7月24日) 朝霧駅の状況
午後8時10分ころ 「前後の人は、歩道橋を降りて、会場で花火を見たいので(自分もそう思った)『立ち止まるな!!』『前へ進め』の怒号が飛び交っていました。歩道橋を曲がって、ようやく階段だ、と思った瞬間、驚きました。階段はもとより、会場はびっしり人人人で、人が降りれる余地がまったくありません。それでも、ここで留まっては危険と感じ、さらに後ろの押す力に流されるように、じわじわ降りて、何とか20:10くらいに歩道橋を降りました。家族とはばらばらになって、ようやく花火の終わるころに階段下で合流できました。その時既に、早めに帰宅の途につこうとする流れ(階段を上る)が始まっていました。それでも、まだ会場に到達できない数千人の人が会場に向かっている状態でした。この階段を上るのはあまりにも危険と判断し、家族と共に西約1kmのところにある私鉄の駅に向かって屋台の中を歩くことにしました。その屋台の通りも東(歩道橋方面)と西(屋台or私鉄の駅)に向かう流れでめちゃくちゃでした。時間的に、その屋台の中にいる時に事件は起こっていたようです」(Binbinhi (42歳/男性)、 Yahoo!掲示板7月23日) 歩道橋南西端〜階段の状況

(6:00、朝霧駅着)
(7:20、歩道橋北端)
(7:45、歩道橋中間)

(8:10、階段下)
午後8時20分ごろ 海岸側で歩道橋への進入を規制。橋上では、人々が空気を吸おうと、天井部の空間に顔を向け始めた。「子供が死んでしまう!」という悲鳴。子供の泣き声が響いた。(神戸7月23日)
午後8時20分ごろ、(海岸側の階段の下で)、駅向きの人の流れを制止するために警察官を配備。(日経7月23日)
午後八時二十分、海岸側の階段でも機動隊員八人が「階段は下り専用」と規制を始めた。しかし、ここでも従う人は少ない。階段で身動きを取れずにいた少年(12)は「ものすごい人で、警官の姿は人影に埋もれ見えなかったし、制止の声も聞こえなかった」。(共同通信7月22日)
民間警備員が駅向きの人の流れ用の細い”通路”を作ったが、午後八時二十分ごろ、警察がなくすように指示。(日経7月23日)

県警のこれまでの説明では、この(「東広場」に配置された「雑踏警備班」の)8人は花火が終わる直前の午後8時20分ごろ、歩道橋の海岸側の階段の下に到着して橋への進入規制を開始。直後に橋上でけんかなどのトラブルがあるとの110番通報を受けたが、混雑がひどくて思うように動けなかったという。(朝日8月14日)
事故約20分ごろ、歩道橋南の階段下に(明石署雑踏警備班の8人)集合。う回の呼びかけや通行規制を始めたが、歩道橋に上る人の流れを完全には止められなかったという。
しばらくして、橋上の異様な混雑に気付き、数名が歩道橋に上ろうとしたが雑踏に阻まれた。現地本部に無線機などで報告しようとしたが、「通じなかった」という。(神戸8月28日)
警察及び警備会社の動き
午後8時20分ごろ

妻と花火大会に来た神戸市内の建設業Sさん(53)は事故の約二十分前の午後八時二十分ごろ、歩道橋南西端で、ぐったりしている生後間もない赤ちゃんを見かけた。「子供が息をできないでいるぞ。もっと高く上げてやらんとあかん」。とっさに叫んだ。父親は何とか呼吸させようとしたが、腕がしびれて力が出なかった。「それなら子供をこっちに貸せ」。Sさんは両腕を差し出し、赤ちゃんを受け取った。頭の上に持ち上げ、数分間息をさせた。前後左右から人の波が押し寄せてきたため、赤ちゃんを父親に返したが、その後も人波にもみくちゃになりながら、顔面蒼白(そうはく)の女児二人を歩道橋の壁と手すりの間に入れてかばった(Yomiuri Online7月31日)

歩道橋南西端の状況
午後8時21分 県警によると、事故現場の歩道橋から最初に110番があったのは、事故の約20分前の21日午後8時21分。「人が多すぎる。助けてくれ」という内容だった。直後に「数ヶ所でけんかをしている」という通報もあった。同8時22分に明石署に出動を要請した。(神戸7月26夕)
県警によると、事故当日の7月21日午後8時21分、「JR朝霧駅周辺、人が多すぎて(中断)助けてください」との110番通報が携帯電話からあった。以後、「歩道橋上でけんか。人が多すぎる」「混雑してすし詰め状態だ」など、事故が起きたとみられる同40分ごろまでに29本の通報があった。県警によると、事故当日の7月21日午後8時21分、「JR朝霧駅周辺、人が多すぎて(中断)助けてください」との110番通報が携帯電話からあった。以後、「歩道橋上でけんか。人が多すぎる」「混雑してすし詰め状態だ」など、事故が起きたとみられる同40分ごろまでに29本の通報があった。110番通報の内容は県警本部から明石署に無線で伝えられ、同署は同30分ごろ、現地の警備本部に「けんかだから歩道橋に向かえ」と指示した。現地本部から雑踏警備班の8人が出動したほか、本部から署への無線を傍受した機動隊の一部が橋に向かった。周辺の部隊の大半が橋に向かい始めたのは、「橋の上で人が倒れている」との110番通報があった同51分以降で、それまでは「けんか対応」だったとみられる。橋の上の警察官から「群衆が倒れている」との最初の報告があったのは、午後9時9分だったという。(朝日8月16日)
警察の動き
午後8時22分 JRが事故を警戒して隣接駅での分散乗車を祭り実行委に要請(読売7月23日)
「見物客を近隣駅に誘導してほしい」とJR側が実行委員会に要請(朝日7月24日)
朝霧駅の状況
午後8時22分 県警によると、8時22分ごろ、「歩道橋の数ヶ所でけんか」との110番通報が入った。歩道橋南側階段下にいた雑踏警備担当警察官八人がすぐに向かったが、人波に押されて進めなかった。(日経7月28日) 警察の動き
午後8時24分ごろ 兵庫県警通信指令課が明石署に出動を指示(神戸8月20日) 警察の動き
午後8時25分ごろ 捜査本部などによると、機動隊員らは8時25分ごろ、「数ヶ所でけんかしている」という無線指令を傍受、配置場所のJR朝霧駅前から歩道橋に向かった。8時半ごろ、橋の北端に到着。盾で観客を押し分けながらけんかの当事者を探したが、橋を渡り切る前に「見つからなかった」と判断して引き返したという。このころ、橋上の異様な混雑を訴える110番が殺到しはじめており、約10分後の8時40分ごろ、橋の西南端付近で将棋倒しが発生したとされる。(神戸7月28日)
110番通報の内容は県警本部から明石署に無線で伝えられ、同署は同30分ごろ、現地の警備本部に「けんかだから歩道橋に向かえ」と指示した。現地本部から雑踏警備班の8人が出動したほか、本部から署への無線を傍受した機動隊の一部が橋に向かった。(朝日8月16日)
警察の動き
最後の花火の少し前
(歩道橋の階段の下)
「私たちは海岸で花火を見ておりました。小さい子供がいるので最後までみてからでは混雑すると思い、半分くらい見終わったところで駅に向かうことにしました。歩道橋の下に付いたのが、最後の花火の少し前位でした。階段の後方にエレベーターがあり、警備員の方が一人いました。エレベーター前はあまり混雑しておらず、少し待てば乗られそうでしたので待っておりました。その警備員の方はエレベーターを止めずにスピーカーで障害者の方を優先にと、歩道橋に誘導しておりましたので、私たちも駅の方に進んでいると思い、もう少しのところまで待っておりました。そのときにたまたま横にいた方が小さい子供がいるのなら、迂回していった方が安全だからと言ってくださり、迷いましたが私たちもその方達の後ろをついていきました。そのときに最後のクライマックスの花火が終わりました。大蔵海岸に行ったのは初めてだったので迂回路があることは知りませんでした。出店の間を通るので、片側通行になっておらず、迂回路もかなり危険な状態で、いつ将棋倒しになってもおかしくないねとまわりの人たちと言っておりました。途中で機動隊が逆行してきたときは押し合いへし合いでとても怖かったです。今思えばあのとき歩道橋で将棋倒しが起こっていたのです。私たちは暴走族が何かを起こしたのかなと思っておりました。明石の親戚宅には一駅ありましたが、駅もかなりの人混みと思い、歩いて帰りました。親戚宅に着いて初めて事故のことを知りました。」(7月28日、明石市ホームページ掲示板、記事番号489) 階段下の状況
警備員の動き
(歩道橋へ誘導)
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「あの橋しか知りませんでした。駅から海岸へ、混雑は激しかったのですが、私が行った時間帯にはなんとか海岸までたどり着くことができました。いざ帰る段になり、行きの混雑と橋の狭さ、そして何よりもその時点での混雑を見て、多少なりとも動いていたとはいえ、とてもではありませんがもう少し空いてから行こうと思いました。子供も疲れている様子でしたので、本心は早く家に帰りたかったのですが、やはり今目に見えている人が橋に入った時の事を考えると躊躇うには充分の状況でした。私は遠回りの道を知りませんでしたし、現場にはその表記も見当たらず、警備の方に伺っても・・・?の状態。憤りを感じましたが如何ともしがたく・・・。」(たぬき、8月1日、明石市ホームページ掲示板、記事番号635) 階段下の状況
警備員の動き
午後8時25分ごろ 「花火が終わる五分ほど前から、海岸にいた人たちが立ち上がり始め、歩道橋を上り出すのが見えた。すぐに押し合いが起きた。」(歩道橋の上にいた神戸市垂水区の無職Mさん62才、Yomiuri Online7月23日) .
午後8時28分 午後8時28分、体調不良を訴える119番が入り始め、最初の救急車が歩道橋北側に向けて出動(Yomiuri Online7月28日)
20代男性から「体の調子が悪い」と119番(神戸8月20日)
消防の動き
. 花火が終わり、みんなぞろぞろ帰りはじめ、私達はお陰でようやく人気の疎らになった波打ち際に沿って歩道橋の裏側(東側)に行き、そこに軒を連ねる夜店を見て廻り、オムソバを買いました。それから更に人込みを避けて防波堤のほうに移動し、やな予感とともに歩道橋を見上げました。相変わらずすごいことになっていてゾッとしました。屋根に若者が何人も上っていました。そのとき、無数の悲鳴と怒鳴り声がしました。確かにいくつもの「助けて」という声が聴こえました。ごおっという不穏な喧噪。こちらからはなんにも見えなかったのですが、向こうの階段のほうで何かあったに違いない。そしてもし人々が階段から雪崩落ちたとしたら、下敷きで何人かは死んだ、と思いました。これは、船が沈むときの感覚だと思いました。沈んだことないけど。私達はすっかり食欲がなくなり、ただ事ではないことは瞭然なのでなにしたらいいか考えましたが、あそこに近づかないということ以外は、考え付きません。混乱をより混乱にするのは、野次馬だ。それにしても異常感はどんどん大きくなるばかり。そのうえ会場アナウンスは「朝霧駅方面は、大変混雑しております。お帰りの際は、明石駅をご利用下さい」と、女性の声で、いたって簡単な危機感ゼロの自動台詞を淡々と繰り返すばかり。まるで煽っているようです。これ、明石駅まで5・くらいあることをまったくかんじさせないほどののんびりした喋りなものだから、そのせいで私達はどんどん不気味になりいたたまれなくなり、これいじょうここに止まりたくなくなり、あの歩道橋は遠巻きにやり過ごして、またバイパスから迂回しようということになり、立ち上がりました。美津子さんは目を伏せたままでした。ちょうど歩道橋の脇を通り過ぎるとき、二人の警官とスレちがったのですが、彼等はまるで何ごともなかったようにリラックスしてぶらぶらしていたので、すこし安心しました。きっと思い過ごし。誰も死んでないよ。でも、やはり、サイレンが遠く四方八方から鳴り響きだすので、すぐに落ち込みました。現に歩道橋の附近ではますます叫び声があがっています。拡声器からの声もしていてそれはどうやら歩道橋の入り口を封鎖しようとしているらしいのですがそれでも群集は歩道橋に殺到しています。会場アナウンスの女性は「朝霧駅方面は、大変混雑しております。お帰りの際は、明石駅をご利用下さい」と変わらぬ調子で続けています。私達はますます落ち込んで、騒ぎを背中に感じつつ、足早に道を急ぎました。一言で言うと、狂っている。30分程で朝霧駅の北側に到着したころには、駅のロータリーに巨大なテントなどが張られていて、救急車消防車パトカー梯子車レスキュー車機動隊の車等がランプをくるくる回転させて停まっており、あちこちサイレンがけたたましく、相当数の緊急公務員が走り回り、すっかり物々しいことになっていて、またさらに落ち込みました。何度も往復する救急車サイレンのドップラー、同じ車だよね。これを横目に、とぼとぼ家にかえってNHKニュースを見ると、100人怪我で10人死んだと言っていて、もっと落ち込みました。
(日記http://www.rose.sannet.ne.jp/tana/nikki/n010703.html
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午後8時30分 「8時半過ぎ花火が終わりました。 花火が終わった途端、みんな駅の方へまっしぐらです。私は電車を利用しなかったので駅には行ってませんが・・・。」(ナオ、7月23日明石市ホームページ掲示板、記事番号126) 大蔵海岸の状況
午後8時30分 約3千発の花火終了(8時30分終了)。橋上では一気に、南北から人の流れがぶつかり合う。「戻れ!」。怒号が交錯した。瞬く間に、人波が海岸側へとなぎ倒された。亡くなったKさん(71)の夫Yさん(74)はあおむけに倒れた。つかんでいた妻のリュックから手が離れ、意識が薄れていった。(神戸7月23日)
花火大会が終わると、帰ろうとする見物客が朝霧駅に向かって海岸側の階段を次々と上り始める。駅からは祭りの雰囲気を味わおうとする人の波がぶつかりはじめた。(読売7月23日)
「橋の上に警備員の姿は見えず、階段の上り口にいた人も橋に向かう客を止める様子はなかった。帰宅しようとする客がどんどん階段を上がってきて、全く身動きがとれなくなった。身の危険を感じ、思わず携帯電話で110番した。」(神戸市西区の会社員Mさん43才、読売7月23日)
同様の110番は8時21分から40分までに29本。「人が多過ぎるので早く来てくれ」「子供が息ができない」「パニックになっている」など。(読売7月23日)
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午後8時30分
「ババババと、五号玉の連発があって、花火は終わりました。その瞬間でした。突然、後ろからガーッと押されたんです。そしたら今度は、前からもグーッと押されて」「数秒おきに、ググーッと人の圧がくるんですよ。その時は胸が圧迫されて、一瞬、呼吸ができなくなる。『もうだめ。ホンマに死ぬ。』と思うと、ぎりぎりのところでスーッと圧が引く。でも、すぐにまたググーッとくる。その繰り返しです。次の圧がいつ来るか。本当に怖かった。私は阪神大震災も経験してますけど、あれよりも怖かった。」「アクリルの壁が途切れて、外に出られるところが一ヶ所あったんです。そこに茶髪の少年がいるのが見えたので、友達のご主人は、自分の娘を、『お兄ちゃんたち、この子を頼む』と差し出しました。少年は、手を差し延べてくれて、何とか橋の外側に連れ出してくれて助かりました。」(事故当時歩道橋にいた主婦、週間文春2001.8.2) ショックウェーブ効果(波状流動)の状態が発生していた。

(7:30、朝霧駅)
(8:40、歩道橋南端周辺)
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「花火が終わり朝霧駅の方から押し寄せる波が二回あった。人波に締め付けられた」(神戸市垂水区主婦61才、読売8月21日) .
午後8時30分 警備会社からなる自主警備本部と実行委員会の実施運営本部は、協議の上、花火が終了する午後八時半の段階になって、混雑は限界と判断。「歩道橋を下り専用に」との方針を打ち出し、会場アナウンスを流すとともに警備員らが現場に出たが、流れを止められなかった、という。(神戸7月29日)
明石市の歩道橋事故で、雑踏警備の元請けを務めた警備会社の責任者が、歩道橋の来場者を分断した、と虚偽の報告を無線交信記録簿などに記載していたことが、九日までの兵庫県警明石署捜査本部の調べで分かった。(神戸8月9日)
警備会社等の動き
午後8時30分すぎ 発生現場から少し北側、歩道橋のほぼ真ん中にいた明石市の会社員(30)は午後8時半すぎ、近くで15歳くらいの茶髪の少年ら3人と40歳代半ばの男性との口論を目撃。若者らは「おれが押したんかいや」などと怒鳴り、若者の1人が男性を羽交い締めにすると、もう1人の若者が男性の胸ぐらをつかんで殴ったという。 (朝日7月25日) 歩道橋中央部の状況
午後8時30分すぎ 捜査本部が重要視しているのは、海岸側から階段を上った歩道橋の南端で陣取っていた10人以上の若者の集団と、その近くにあるエレベーターの屋根の上で踊っていた約10人の若者ら。21日にあった花火大会が終わった後の午後8時半すぎ、彼らが一斉にJR朝霧駅のある北方向に歩き始めたため、逆に会場に向かっていた見物客と小競り合いになった。(朝日7月25日) 歩道橋踊り場部の状況
午後8時34分 (午後8時34分から9時10分までの間、)110番を受信する明石署のコンピュータが事故直前、動かなくなっていたことが17日、分かった。コンピュータ画面が36分間、同じ画面を映し出したまま変わらなくなっていたといい、その間は無線のみで対応したという。県警は「無線での連絡が可能だったため、問題はなかった」としている。県警によると、110番通報は通常、県警通信指令課が受信した後、コンピュータと無線で各警察署に伝える。同署はすぐに同課に連絡。同課はすでに、「橋の数ヶ所でけんかをしている」などという110番通報を同署に伝えていたため、トラブル以降の歩道橋からの通報については、警告音で署に知らせる「続報扱い」に切り替えて対応したという。(神戸8月18日)
兵庫県明石市の花火大会で起きた将棋倒し事故で、110番情報を受信する明石署のコンピューター画面が事故前後の36分間、フリーズして動かなかったことが、20日までの県警捜査本部などの調べで分かった。署から現場にいた警察官への連絡も、無線の感度が悪く携帯電話に頼っており、情報が十分伝わっていなかった。(時事通信、8月20日)
警察の動き
午後8時35分ごろ 県警は、警備会社からの規制の要請についてこれまで「事故直前の午後八時三十五分ごろに受けた」としていたが、十五日の記者会見で横山健一地域課長は「分断要請は一切なかった。(相談も)把握していない」と訂正した。(読売8月16日) 警察・警備会社の動き
午後8時35分 明石市消防本部へ「女性が倒れて負傷している」との通報。通常は3分で到着するが、国道28号線の渋滞を抜け、到着には約10分かかった。(神戸7月23日)
「歩道橋付近に負傷者がいる」と最初の119番。1分後に救急隊が出動。(読売7月23日)
消防の動き
午後8時38分 午後8時38分、最初の救急車が北側で妊婦を応急処置(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
午後8時38分 神戸市消防局経由で、明石市消防本部に「歩道橋で子どもの具合が悪い」との通報(神戸8月20日) 消防の動き
午後8時35分ごろ
(ボイスレコーダー)
見物客の一人が、事故当時のなまなましい様子を録音していました。これは、事故発生の時(直前?)に偶然録音されたもの。
「もどって、、もどってー、、もどってー、、」(女性)
「戻れ」(男性)
「もーどーれ、、もーどーれ、、もーどーれ、、」(若い女性)
「もどって-」(女性)
「駅へ戻ってー」(女性)
「押したらいかん、押したらいかん」(男性)
「みんな戻って」(女性) 「戻れ」(男性)
「死んじゃうよ。みんな。」(若い女性)
「戻って!、戻って!」(若い女性)
「もーどーれ」(若い女性)
「子供がつぶれる。もどって!」(女性)
「向き変えてやー、押したらあかん。」(男性)
「子供おるから、押したらあかんよ。」(中年男性)
「みんな声かけて、前へ、みんな声かけんかえ!」(男性)
「せーの」(女性)
「みんな声かけていけや」(男性)
「せーの、もーどれ、もーどれ、もーどれ、もーどれ」(複数の若い女性、途中から男性も)
(これ以外の声も多数、連続的に録音されている。)
「あまりの、この通路幅いっぱいの人なので、前に行ったら絶対事故になるから、パニックになるからね、もう、駅のほうへ引き返そうていって、相談して、大きな声でみんなで『戻ろう』、『戻ろう』と言ったんですよ。だけど、駅から後で到着したお客さんたちが、この歩道橋に入ってきて、で、その人たちが、8時35分くらいから一斉に押しだしたんですね。海岸の方に向かって。(ボイスレコーダーを録音をした20才代くらいの女性、女性は歩道橋の中央にいた)」(朝日放送7月23日昼(レポーター岡元昇)及びニュースステーション)
歩道橋中央部
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最初に屋根に上がったのは、神戸市の会社員(37)。異常な込み方に危機感を持ち、周囲の人の肩を借りて屋根へ上がった。携帯電話で一一〇番、一一九番を計五回掛けたが、状況が伝わらない。その間、首にかけていたタオルを振って「前には行けない。下がってくれ」と人々に叫んだ。十代の若者と東南アジアの人らしい男性を引き上げた。若者と一緒に「戻れ」と怒鳴った。若い男女も上がってきた。懸命に子どもを引っ張り上げようとしていた。さらにもう一人がよじ登ってきた。その男性も大声で群集を誘導し始めた。駅側から歩道橋に入ってきた機動隊員が、男性らに「降りろ」と言った。「やっと助けが来た」と思い、歩道橋の南側を見た。群集が折り重なるように倒れているのを、そのとき初めて見た。 (神戸8月5日)
駅への誘導

(8:40以降、駅側の機動隊員が歩道橋中央部へ)
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神戸市の会社員(36)も、子どもらから悲鳴が上がり、「このままでは危ない」と思った。実情を確認するため、隣の男性の了解を得、肩を踏み台に上がった。異様な人波を見て、「海は無理だ。駅へ戻れ」と叫んだ。「屋根では誘導し続けた」という。 (神戸8月5日) 駅への誘導
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「私は将棋倒しの起こった時間、橋の上に居ました。もうその時は花火は終了していて、私と彼女は花火は終わったけれども、せめて屋台だけは満喫したいと思い大蔵海岸の方へ向かいたかったのですが、橋の終わり5メートルぐらい前の所まできて、いきなり前の人たちが朝霧駅の方にバックするように言ってきました。 しかも全員が・・・  その時に私たちは屋台の終了時間と会場の入り人数より入場規制があったのだと思い、先頭(大蔵海岸方面)の人達の言う通り朝霧駅方面へ向きを変えました。 その時にはもう、惨事が起こっていたのだと思います。私と彼女は向きを変えるだけで一杯でした。 向きを変え、向かいの人たちに「朝霧駅の方へ向かうよう」に伝え、「この言葉は後ろから回ってきた言葉で、前に回して欲しい」と伝えました。 しかし、言葉の伝言は、あのサウナの様な気が動転する中でいつしか途切れていたような感じで、後ろから伝言はきて、伝えるのですが一向に足は駅の方に進みませんでした。私が感じたのは「屋根に上がっていた若者」についてですが、一部ヒーロー的な報道がありますが、一部事実、一部虚偽だったと思います。目立ちたがりの兄ちゃんや、イチビリっぽい奴らが屋根に登って楽勝かましてましたが、ヒーローとして扱われる兄ちゃん(私は一人しか見てませんケド・・・)は、みんなに駅の方へ向かうように指示し、私達もそれを分かっていたので「足元外すなよ!」「ありがとう」 「頑張って前へ伝えてな!」 みんなあの人の事を警察やガードマン、お役所の人達よりも心強く感じたと思います。 そのお陰かどうか分かりませんが警察の方も誘導、交通整理が無難にいき、長時間掛けてですが、駅の方まで戻ってきました。駅周辺では人がごった返し、ここにたまっていては後ろの人に迷惑になるので、スグ明石駅まで歩きました。」(明石市民Y、7月24日、明石市ホームページ掲示板、記事番号212) 駅への誘導
(7月23日に献花に来た茶髪の)3人は明石市内の中学3年生で、事故が起きた21日はもう1人の友人を加えた計4人で花火大会に来た。午後8時ごろにJR朝霧駅側から歩道橋に入ったが、真ん中まで来たところで動けなくなった。人が多すぎて苦しくなったため、2人が歩道橋の真ん中付近で屋根状になった金網に登ったところ、下から大人に「屋根に上ったのなら駅の方へ歩くようみんなに指示してくれ」と言われたという。少年らは駅の方向に人の流れができたため、同8時半前に屋根から下りて駅側に移動した。事故が起きた同8時40分ごろには現場から離れており「倒れた時は見ていない」と言う。屋根に上った時にはすでに別のグループが5人ほど上っていたという。(朝日7月24日)
友人たちと連れ立って会場に来たが、橋の真ん中あたりで動けなくなり、苦しくなった。そこでBくん(地元中学生、金髪、15才)とCくん(14才)が屋根の上に。すると、下にいた兄ちゃんに声をかけられた。「屋根に上ったなら、ここの様子を下にいる人に伝えて、みなを誘導してくれ」。それに従って上から声をかけながら屋根の上を歩き、人の流れが出来たのを見届けて、午後8時半ごろ、現場を去ったという。(アエラ2001.08.06)
(8:00、歩道橋北端)

歩道橋中央部付近の状況
駅への誘導

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「朝霧歩道橋の真ん中で立ち往生、パニックになるぞと恐ろしかったです。出口付近の状況がよくわからず混乱していたら、若い男の子が母親に注意されながらも歩道橋の屋根に上って見渡し『前へは進めない。駅の方へ戻るように』と指示。それを聞いたみんなが駅へゆっくり戻りはじめて抜けきることができました。その後、茶髪の子らがまねして屋根に上ってふざけてました。テレビでは屋根の子らが悪いように写ってましたが、最初に上った子は善意で教えようとしたんですよ。」(神戸市垂水区主婦52才、神戸7月24夕) 歩道橋中央部付近の状況
駅への誘導
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(歩道橋の上で)警察官は僕は見ていない。僕は駅から浜の方へ向かっていたが、浜の方から駅へ行く人を先導していた何人かの警備員が何回か通るのは見た。(8:30に)花火が終わって、僕はまだ(浜に)行こうとしとったけれど、そのうちに僕よりも年がいったおっちゃんが屋根に上って、『もう行かれへんから、花火終わっとうし。こっち無理、無理。駅の方に戻って、戻って』。屋根に上った若い子なんかが『戻れ、戻れ』と誰かが言い出した。」(歩道橋上にいた男性30才代くらい、サンテレビ8月2日) 事故現場からやや北側

駅への誘導
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「明石の花火大会事故、屋根の上にいた男性の1人はうちの主人なんです。歩道橋で身動きできなくなり、主人が「上がって状況を調べなあかん」と付近にいた若い男性に肩を貸してまず上げたんです。続いて自分が上がって『海側は無理。駅の方へ戻るように』と大声で指示。『そこのTシャツ』『帽子の子』と一人ひとり指差しながらの的確な誘導だったと思います。おかげで人波がゆっくり駅へ移動し始めたんじゃないかな。海側で事故が起きたときも、主人は倒れた子供を屋根から3人ほど引き上げて警察官に渡したんですよ。当時、特攻服みたいなんを着た茶髪が何人かいたんで「一緒に誘導してくれんか」と頼んだらへらへら笑うだけだったとか。ズボンは破れ、シャツがしぼれるほど汗だくで人助けしてんのに、マスコミに悪者扱いされ、主人、すっかり落ち込んでます。」(神戸市垂水区主婦29才、神戸7月26夕) 駅への誘導

屋根の上への救出
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「屋根に上がったご主人へ。私も駅から浜へ向かう人の中にいました。身動きも取れん状態のまま、結局、通路から出られませんでした。屋根に上った30歳前後の男性が、本当に一生懸命、手を必死に振り回して、戻るよう叫んでいました。それを聞いた私たちは『浜には出られへんのやな』と納得。一斉に駅の方へと引き返し、あの熱さから脱出できたんです。男性がいなかったら、花火も終わっているのに、事故も知らず、なおも前へ進もうとしていました。助かったのはあの男性のおかげなんです。」(明石市主婦59才、神戸7月30夕) 駅への誘導
ビデオ 歩道橋中央部では、大半の人が駅の方向を見て、動いている状況、西壁ぞい1列くらい海(南)へ進んでいる。屋根に数人の人が乗っている。
歩道橋の南の部分では、大半の人が海(南)に向いて立ち止まっている。
階段を上がったところでは、ほどんどの人が一斉に駅の方向(北、あるいは、歩道橋の事故現場付近?)を向いて立ち止まっている。エレベーターの前の屋根の上に2名程度の人影。
(視聴者提供のビデオ)(関西テレビ(FNN))
歩道橋中央部と南部及び階段の上部で、それぞれ異なる状況
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「大蔵海岸の歩道橋上のご主人、悪者にされているらしいけど、とんでもない。おたくらの誘導がなかったら、もっと大変なことが起きてました。ありがとう。歩道橋事故のとき、家族4人がいつ死んでも不思議でない状況でした。横では婦人が目をむいて意識不明だし、私も顔を人の胸に押し付けられて窒息寸前。コンタクトレンズはなくなるし・・・。家族バラバラになったとき、若いカップルが『子供さん、ここにいるよ!』と長女の名前を呼び続けて励ましてくれました。みんな自分のことだけで必死なのに・・・うれしかった。ようやく歩道橋から脱出して家族が会えた時、老夫婦が『家のお茶やが、お飲み』とコップにつぎ、うちわであおいでくれて。事故後、小一の長男はスーパーの連絡橋にくると『イャ!』と立ち止まってました。最近ようやくしゃべるようになって『屋根の上のおっちゃんが人を助けた』とぽつり。屋根上のご主人、みんな感謝してるんよ。」(明石市主婦39才、神戸7月30夕) 駅への誘導
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茶髪の大学生Uさん(18才)も、屋根に上った1人である。が、それもやはり人のため。彼女と2人、事故現場のすぐ近くで立ち往生するうち、後ろにいたおやじさんが胸の中の娘(9才)の様子を見て、「息をしてない」と訴え出した。周囲は大騒ぎ。「上の空気を吸わせてやれ!」ということになり、体力と上背のあるUさんがみなの肩を借り、屋根の上に女の子を引き上げたら、「この子もお願いします」と5、6歳の子も任された。(アエラ2001.08.06) 屋根の上への救出
. 「『子供が息してない、子供が息してない』いうて叫んではって、(振り返って)うそーっと思っていたんですよ。そしたら、若い方がね、隣にいた方と思いますがが、『登ります』いうて、『足のっていいですか』いうから、(肩を指して)『乗ってください』いうて、屋根に乗って、報道では屋根に乗った人がふざけているといっていましたけど、私らの周りにおった人は、助けてたんですよ。子供を、意識ない人を持ち上げて。」(30代くらいの女性、朝日放送7月23日ニュースステーション) .
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「後ろから押されて息ができなくなった。前の人が『戻れ、戻れ』と叫んだが友達一人が押しつぶされ病院に運ばれた。」(同級生と花火見物に来た中学三年女子生徒のHさん14才、日経7月22日) 群集の圧力で呼吸困難
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「誘導係りの人が『戻ってください』と叫んでいたが、後ろの方では聞こえなかったらしい。そのうち通行人の中から『戻れコール』が起きたが、逆に『行け』と叫ぶ人もいた。息ができないくらい圧迫された。」(明石市内から友人3人で来ていた女子中学生、朝日7月22日) 群集の圧力で呼吸困難
. 明石市の会社員男性(40)は「事故前から意識を失っている人や意識をなくしかけている人が多くいた」とし、歩道橋の南東で気を失った神戸市垂水区の女子中学生(13)も「事故の前、息が出来ず、圧迫されて気を失った」と、当時のすさまじい混雑ぶりを証言している。(読売8月21日) 群集の圧力で呼吸困難・意識失う
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初めは友達と手をつないで橋の西端を歩いていたけど。花火が終わると、駅へ向かう人や後ろの人に押されて離ればなれになった。駅へ戻ろうと思ったけど、後ろに人がいて、戻れなかった。押されるままに流された。「もう少し時間がたったら少なくなるやろう」と思って、流れに身をまかせていた。花火が終わったときは、橋の半分ぐらいまで進んでいた。ぎゅうぎゅう詰めの状態で、前後に挟まれて胸が圧迫され、息苦しくなった。顔を上に向けて息をした。周りから「助けて」「息ができへん」「子どもが危ない」といった金切り声が聞こえた。近くの男の人に「苦しい。助けて」と訴えると、「もうちょっとしたら、警察が来るから頑張り」と言われ、黙って耐えた。涙が出てきた。息苦しくて、大声で泣くことすらできなかった。足を上げると、降ろす場所もなかった。歩道橋をでるまで我慢するしかないと思った。三十代ぐらいの男性が携帯電話を使って、電話していた。「すぐ来てくれ」と言っていたから、警察に電話をしていたと思う。橋の上は、海岸へ行く人と駅へ戻る人が同じくらいいたと思う。何時ごろか分からないけど、後ろからガンと押されて倒れた。バタンという感じではなく、じわじわと倒れていく感じだった。倒れるとき、気を失いかけた。押さえつけられ、苦しくて声も出なかった。押しつぶされて死ぬかと思った。女の人が「早く出して」と半狂乱だった。助けられたのは十分ぐらいたった後だったと思う。四十代後半の男性と二十代の金髪の男の人が助けてくれた。「もうちょっとやから、頑張りよ」と声を掛けられた。一気に涙があふれて、大声で泣いた。警察官が抱きかかえてくれて、海側の階段横の広場に寝かせてくれた。女の人三人と男の人がうちわをあおいでくれたり、タオルで汗をぬぐってくてたり、水を飲ませてくれたりしてくれた。そのとき、離ればなれになった友達が偶然通りかかった。介護していた人に呼び止めてもらい、二人で泣いた。その後、救急車で運ばれた。私は右ひざの軽傷と左足の打撲。友達は足首のねんざだった。」(明石市の女子中学一年生、神戸7月28日 証言 歩道橋で何があったか@) (7:30、朝霧駅着)
(7:45、北端から3分の1)
橋の西端を歩く

(8:30、歩道橋半分)

押されるままに流される

群集の圧力で呼吸困難

転倒
(後ろからガンと押されて、じわじわ倒れる)

転倒後の状況


. 「もう、足とか、ほとんど宙に浮いていたんですよ。下に足がつかなくって、なんか、(手振りで両側から)挟まれた状態で浮いてて、で、そのまま、もう、苦しくて、一回、意識遠のいて」(けがをした女子高校生、朝日放送7月23日ニュースステーション) .
.
「最初は駅のホームから花火を見ようと思っていた。でも電車が到着するたびに客が続々と降りてくるから、一緒にいた彼女と海岸までいこうかと。歩道橋の東半分は、花火を見るためにまったく動いていなかった。西半分も、ゆっくり歩くことはできても、花火が上がるたびに動きが止まった。進んでは止まるの繰り返し。橋の真ん中くらいで花火は終わった。それまでは、他人の肩や体の一部が触れる程度だったが、花火が終わってからは押し込まれるような感覚だった。前後に挟まれ、息ができない状態になった。隣にいた彼女も「苦しい.苦しい」と訴えた。後ろから押される圧力で上半身がねじれ、前のめりになった。前に足をだすこともできなかった。『ぎゃー』という切迫した悲鳴のほか、子どもの泣き声が聞こえた。『下がれ』という怒鳴り声が入り交じり、歩道橋の壁に声が反射した。すぐ後ろにいたお父さんが、何度も子どもの肩をゆすりながら『子どもが息してへん。どいてくれ。どいてくれ』と叫んだ。将棋倒しになる瞬間は、じわじわと前のめりに倒れていく感じだった。どうすることもできず、彼女を助けることもできなかった。他人の体の上に、体を西向にして倒れた。何分ぐらい倒れていたのか、覚えていない。しばらくして、上に倒れていた人が助け上げられたので、必死の思いで自分でたった。前方にはまだ倒れたままの人がいて、助けを求める手があちこちから伸びていた。見たことのない光景で異様だった。救いを求める声が多くて、泣きながら訴えている人もいた。子どもがたくさんいた。前方で倒れている彼女を助けようと思って、上に乗っていた三人を順番に抱え上げた。その都度、後ろの人に預けるような形だった。機動隊員を見たとき、『あー、やっとや』と思った。見たのは二人。実際はもっといたのかもしれないけど、助けていたのは、ほとんどが一般市民だった。朝霧駅北側のロータリーで、シートの上に毛布が敷かれていたので、そこで彼女を寝転ばせた。救急隊は「意識のない子がまだいる。そっちを優先する」という話だったから、友達に連絡をとって車で病院に送ってもらった。彼女に外傷はなく、点滴を打って家に帰った。おれは二日後、ろっ骨にひびが入っていたのが分かった。 (明石市の男性会社員20才、神戸7月29日 証言 歩道橋で何があったかA) 歩道橋の東半分-花火を見るため動かない
歩道橋の西半分-ゆっくり歩くが、花火が上がるたびに動きが止まる

他人の肩や体の一部が触れる程度

(8:30 歩道橋中央)

押し込まれるような感覚

群集の圧力で呼吸困難
圧迫される状況

転倒する瞬間(じわじわと前にのめりこむ)


→転倒後の状況

午後8時40分? 「キャー」という甲高い女性の悲鳴が聞こえたその瞬間。神戸市の会社員は、歩道橋の南端付近で、二十数人が南に向かって倒れたのをきっかけに、将棋倒しが始まったのを目撃した。(読売7月23日) 市が設置した事故調査委員会は、発生時刻について「テレビ放送されたビデオの映像から、少なくとも午後8時45分以降の数分間では」との現段階での見解を固めた。8時40分は警察発表によるもの。(神戸11月28日)
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「両側から押され、周りの人と一緒にせり上がるような格好で足が浮き、そのまま、どどっと倒れ込んだ。」(明石市の主婦Tさん63才、読売7月23日)
この直後二十数人が一気に将棋倒しになった。(読売7月23日)
「同時に頭の上から何人もがかぶさってきた。息もできず胸が苦しく、もう駄目だと思った。」(明石市の主婦Tさん63才、上記と同じ、読売7月23日)
ショックウェーブの一波の直後に、群集なだれ
目撃者の話によると、歩道橋の階段部分の鉄製のさくが四十五度ぐらい傾き、中年女性二人が転落しそうになった。「助けて」という悲鳴があがり、その直後に見物客の将棋倒しが始まった。(読売7月22日) 群集なだれが発生した状況として、手すりが壊れたことがきっかけとなった過去の事例がいくつかある。大勢の群集の圧力にショックウェーブ効果が加わって異常な力がさくや手すりにかかる。

「(事故現場から一週間後、現場の歩道橋で)天井ってこんなに低かったんやね。もっと高いと思ってた。若くて力があったら、きっと屋根に登ってたのに。私は、ここにあった鉄柵(さく)のところで将棋倒しに遭った。こんなに狭かったんや。もっと大きいと思っていた。あの日、花火の途中までは少しずつでも進んでいた。花火が上がっているうちはまだいい。気分転換ができたから。しかし、打ち上げが終わったら、みんないらいらしてきて。限界やったと思う。立ってる限界。一人でもフラっと倒れたら将棋倒しは起きると思った。階段とつながるこの部分に、歩道橋の上にいた人全部が向かってくるように感じた。でも、心理として当然。歩道橋上では、夜店に一番近い。外に中の状態を知らせたかったのでは・・・。だれか見つけてって・・・。壁に押し付けられて息が止まりそうだった。逃げ道がなく、どうしようもない所に入ってしまったと思った。そのときだった。人の重みで柵が一気に倒れた。報道で若者たちがどうこうと言われてたけど、若者は関係ない。そんなの責任のなすりつけ合い。けがの程度は打撲だった。でも、パートもずっと休んでいる。心のケアセンターに行こうかと思っている。」(神戸市西区パート勤務44才、神戸8月5日 証言 歩道橋で何があったかDより) (転倒時、南西角)

人の重みで柵が一気に倒れる
Iさん(明石市の会社員女性38才)は、午後7時20分ごろ、歩道橋を渡り始めた。すでに身動きがとれないほど混雑していた。同8時20分ごろ、気付くと隣に「色白で、眼鏡をかけた小柄な女性」(亡くなったSさん75才)がいた。橋の南側にある階段の手前1.5〜2メートルの所だった。
花火が終わりかけたころ、階段から駅に戻ろうとする人が押し寄せた。列は大きく揺れて、2人は約45度に体が傾いた。Iさんが2度、「大丈夫ですか」と女性に声を掛けたが、返事はなかったという。
「列の中では戻ることも、進むこともできなかったのですね」と問い掛けると、Iさんは「できませんでした。足が浮いたら浮いたまま。『戻れ』『進め』『子どもが居る』『苦しい』の怒号が飛び交い、電車のラッシュアワーよりひどかった」と答えた。(朝日7月27日)
(7:20、歩道橋北端)
(8:40、南西角直近2m)
死者発生現場
八時半に花火が終わった際、誠治さん43才と智仁ちゃん2才は、歩道橋南端まで5-10メートルの西壁付近にいた。海側へ十人以上が倒れ、智仁ちゃんの手を握って踏ん張った。約10メートル先で十歳くらいの女児が壁のすきまに頭を挟まれ苦しんでいた。「じっとしとくんやで」。智仁ちゃんにそう言い聞かせ、壁際を縫うようにして駆け出し、女児を無事に助け出して、周りに倒れた人たちも何人か救出した。この間、二、三分。人波で一瞬Tちゃんの姿を見失い。智仁ちゃんがいた場所には、三、四人の見物客が折り重なっていた。見つけ出した息子の顔は、すでに紫色に変わっていた。(子供を亡くした誠治さん43才、読売7月25日)
智仁ちゃんと誠治さんは事故直前、歩道橋上の南側階段から数メートルの位置にいた。前後、左右から圧迫され一歩も動けない。誠治さんは近くの人の携帯電話で何度も110番したが、助けは来なかった。「何とかしてくれ」。あちこちで見物客が透明な樹脂でできた歩道橋の壁をたたき助けを求めたが、歩道橋の下にいた数人の警官は、のんびり歩くだけで何もこたえてくれなかった。花火大会が終わった午後8時半すぎ、将棋倒しが始まった。「スローモーションのように押されて倒れた。何とか立ち上がったが、一気に吹き飛ばされるような二度目の将棋だおしがあった」という。歩道橋の隅では、手すりなどに押しつけられた人たちが血の気を失っていた。誠治さんはわずかなすき間にTちゃんを避難させ、ほかの人と協力して数人を引き抜いて救助したが、気が付くとTちゃんがぐったりとしていた。やっと警官隊が歩道橋に上がって密集が緩み、Tちゃんを抱いて下に下りた。自分で必死に人工呼吸。しかし、約10分後に到着した救急車に酸素吸入器がなかった。(子供を亡くした誠治さん43才、神戸7月26日)

誠治さんの近くで人垣が崩れ、悲鳴が上がった。「智仁、ここで待っとれ」。誠治さんはとっさに、智仁ちゃんを安全に見えた橋の通路の少し引っ込んだ所に置いて救助に向かった。その直後だった。母に手を引かれていたM君が「ああーっ、智仁ちゃんがめちゃくちゃに踏まれてるよー」と泣き叫んだ。智仁ちゃんは父の後を追い掛けていた。「しまった」。誠治さんは必死に群衆に巻き込まれたわが子のところへ戻ったが、智仁ちゃんは既にぐったりし、人工呼吸の甲斐もなかった。(共同通信7月23日)
「もう橋の出口まで残り少なくなったとき、体は少しも前へ動かなくなった。子供を抱いている手も徐々に感覚を失う。隣におられた方が一一〇番通報をした。周りでも何人かが携帯で連絡を取っている。『これで何とかなるのではないか』と少し安心した。しかし現場は、密着度がどんどん増していった。子供の悲鳴、女性の悲鳴。気分が悪くなり、ぐったりする人も出始めた。  だれからということもなく、現場では子供をアクリル壁と手すりの間に入れ始めた。自分の子供だけでなく、声を掛け合い、多くの子供をそこに立たせた。私も周りの人の手助けで、智仁をすき間に入れることができた。でも私の体は周りの人と密着し、もう立っていられない状態となってきた。  その間、無理な体勢になりながら携帯で一一〇番通報を入れた。『早く助けてくれ。悲鳴が聞こえるだろう』。もう会話というより叫びに近いものだった。すぐに体を支えることができず、私も周りの人も、子供をかばうようにアクリル壁に手を付き、じっと耐えるしかなかった。  アクリル壁を通してちょうど真下が屋台だったが、その中を五、六名の警察官がこちらの方向へ向かってくるのが見えた。『助けに来てくれたか』。そう思ったが、ゆっくり通り過ぎていくだけだった。それから何度か行き来したが、歩道橋の方に来ることも、われわれの方を見ることもなかった。『なぜや』。皆が下に向かってアクリル壁を力の限りたたいたが、だれも気付かない。本当に苦しい時間が続いた。  花火が派手に打ち上げられフィナーレを迎えたとき、現場では『もしこのまま帰り客が歩道橋に上ってきたら大変だ』、そんな声も起こり、後ろの人に向かって『戻れ』コールが起きた。  手すりの上に立ってコールされていた、亡くなった飯尾寛子ちゃんのお母さんの『今、少しずつ下がっているから、そのまま動かないで』の声に安心した直後、浜側からすごい力を感じた。まるで内臓が飛び出しそうな、今まで味わったことのない力を全身に受けた。そして次に駅側からもっと大きな力で圧力を感じ、体が宙に浮く感じで、徐々に浜側へと体が傾き、手すりとともに握っていた智仁の手が離れ、私は地面に押し付けられた。  なぜか今でも分からないが、後ろに空間ができており、手を付いた状態だった。すぐに起きようとしたところ、今度は何倍も強い力が加わり、私は浜側へ三、四メートル飛ばされた。気が付くと腰から下が人の山の下敷きとなり、目の前はもがき苦しむ人が折り重なった状態だった。  なんとか自力で抜け出し、後ろ(浜側)を見ると、妻と子供二人が見えたので、近寄って安全を確認した。横の手すりの柱部分で子供が挟まり、その上に二、三人が乗りかかった状態でぐったりしていた。なかなか体を抜いてあげることができなかったが、何とか助け出した。が、まったく呼吸もしておらず、すぐそばにいた男性に救急車への搬送を依頼した。私は智仁のいる方へ向かったが、人が山のように折り重なった状態で苦しい悲鳴が、叫びが、渦巻いていた。  現場ではけがの軽い人々が、懸命に救出作業をしていた。私ももちろん、何人もに手を差し伸べ、救出作業に懸命だった。一度目に倒された後、一瞬ではあるが智仁が壁をたたいている姿を見ていたので、まさか彼まで巻き込まれているとは、その時は思っていなかった。  しかし、救出しながら少しずつ彼を立たせていた場所に近づいていったとき、横たわっている若者を救出したその下に智仁が、もう口が紫色に変色した姿で出てきた。」(事故四週間後神戸新聞に手記を寄せた下村智仁君の父誠治さん、神戸8月19日)
徐々に歩いている状況
(7:45 歩道橋北端から三分の一のところ)

後ろから押されて前に動いている状態

周りの人の体が密着
(歩道橋中央付近)

体が少しも動かなくなる
(橋の出口まで残りすくなくなった時)

密着度が増す

子供を手すりと壁の隙間へ
立っていられない状態
子供をかばうように壁に手をつく

歩道橋南端まで5-10メートルの西壁付近
(8:30 花火終わる)

「戻れ」コール起こる

浜側からすごい力を感じる
(「今、少しずつ(駅側へ)下がっているから、そのまま動かないで」の声の直後)
内臓が飛び出しそうな力を全身に受ける

次に駅側からもっと大きな力で圧力を感じる、体が宙に浮く感じで、徐々に浜側へと傾く、子供の手が離れ、地面に押し付けられる。
(スローモーションのような1度目の将棋倒し)

後ろ(駅側)に空間ができる。

すぐに起きようとしたところ、何倍も強い力が加わり、浜側へ3、4メートル飛ばされた。(吹き飛ばされるような2度目の将棋倒し)

折り重なった状態
自力で抜け出し、妻子の安全を確認

手すりの柱部分で(他人の)子供が挟まり、上に二、三人乗りかかった状態をみて助け出す。

救出しながら自分の子供の居た場所に戻ると、救出した若者の下に自分の子供が口を紫色に変色した姿で出てきた。
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(Jさん40才とY子さん(妻)、Hちゃん2才、Nちゃん生後5ヶ月の家族)初めはベビーカー2台を並べて歩けるほどだったが、花火が始まるころから事故現場となった朝霧連絡歩道橋の様相は一変。ベビーカーをたたみ、子供を抱いた。身動きが取れなくなり、何度も携帯電話から110番、119番した。いつのまにか家族は離れ離れに。Jさんは橋の下に警察官がいるのを見つけ、側壁の透明アクリル板を何度もたたいたが、反応はなかった。「警察官に見殺しにされる」。そう思った瞬間、将棋倒しが起きた。Jさんは折り重なるように倒れた人の間で動けないY子さんを見つけ、階段の下まで運び、二人の娘を捜した。Nちゃんは手すりの下でぐったり。息をしていない。Nちゃんの下にも別の幼児が倒れており、母親らしき女性が「何で動かないの、何で」と叫んでいた。(Nちゃんは28日死去、産経7月27日)
歩道橋を渡り始めたころは、姉のHちゃんとベビーカー2台を並べて十分に歩けた。ところが次第に人波が増し、危険を感じてベビーカーをたたみ、SちゃんはY子さんが抱き上げ、Hちゃんは手すりの下にいれながら一歩、また一歩と進んだ。
階段まであとわずか5メートルとなった時、Y子さんが突然、後ろからのしかかられた。弾みで、しっかり胸に抱いたはずのNちゃんは前にふっ飛ぶ。手すりに上り、必死に探すJさん。幾重にも折り重なった”人の山”の中にのみ込まれ、踏みつけられたNちゃんの姿を見つけたのは、しばらくたってからだった。(読売7月29日)
(8:40、南西角直近5m)
死者発生現場.
「花火が上がっている時はよかったんですが、終わった瞬間に、向こう側の方が、こっちに引き返してこられたんです。そうすると私らのように、向こうに行こうとする者とですね、すごい混雑状態というか、なりまして、将棋倒しの方が何人もおられて、前に進めない、というか、向こうに戻れないような状況になっているんですよね。」(質問者:あばれるような人はいましたか。)「私のいたところはあばれるようなスペースの余裕はありませんでした。」(有馬正晴さん、7月24日)
「悲惨なのは花火大会が終わってから。一瞬の間に、見物客が引き返してきて混雑した」。危険と思った正晴さんは何とか子供を助けるため、金属製手すりとその外側の風防用のアクリル板の間に千晴ちゃん9才と大ちゃん7才を逃がした。人の押し合いは、手すりが曲がるほど。正晴さんは家族から引き離され、幼い二人は押しつぶされそうになっていた。「妻は子供たちが苦しんだ表情を見ていたんです。首に腕が入り込んでいたんです。」そしてYさん(妻)の体も子供たちと離れ、将棋倒しが起きる。(子供二人を亡くした有馬正晴さん42才、産経7月25日)
「一番込み合っている状況の時、警察の方とか一人も上で見ませんでした。下にはたくさんいましたけれど、上に上がって整理しているような人は一人もいなかったです。周りのひとで携帯電話で整理にきてほしいと何度も言っていましたが、ぜんぜんそういったことがなされなくてあのような事態となってしまったと思います。(子供二人を亡くした有馬正晴さん42才、サンテレビ8月2日)

.
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「南へ向かって人がどんどん倒れてきた。赤ちゃんの泣き声も聞こえ、小さい子も大勢いたのに、警備はどうなっているのか。」(足を挟まれ負傷した妻と一緒に救護所にいた垂水区の男性50才、神戸7月22日) 転倒時の状況(方向)
  南=海側
(南西角直近と思われる)
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「突然、海側から約10メートル辺りで二十数人が海側に倒れたのをきっかけに、五、六人が乗り掛かるような状態になった。歩道橋にはガードマンが二人ぐらいしかいなかった。」(歩道橋上にいた神戸市須磨区の会社員男性45才、読売7月22日) 転倒時の状況(方向)
→転倒後の状況
(南西角直近と思われる)
. 「前の見物客が折り重なってじわじわと倒れていく感じ」(神戸市女性会社員42才、読売8月21日) .
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「大蔵海岸での花火を、近くで一度見ておこうと、夫とともに出掛けた。その日は、まだ外を歩いていなかったので、散歩を兼ねて行った。午後七時半の始まりで、十五分くらい前、朝霧駅に着いた。続々と会場へ向かう人が詰め掛ける。歩道橋の上はいっぱいだが、少しずつ前へ進んでいた。中ほどへ行くと、花火が始まった。立ち止まって見るようになり、後ろからどんどん人が詰めてくる。前は進まない。それでも、上を見て、花火を見る余裕はあった。午後八時を過ぎると、ますます押されて身動きができない。もう花火を見る余裕はない。早く終わればと念じる。夫のベルトをしっかり握り、必死に踏んばる。離したら倒れ込む。汗はだらだら流れ、ふくこともできない。夫のベルトから手が離れ、足元はだれかの靴の上のようだが、だれも痛いとも言わない。もう駄目だと思ったとき、後ろから強引に押され、突き当たりまで行った。今考えると、それが幸いしたのか。三人いた警備員の陰で、倒れ込むように横になる。その間のことは覚えがない。将棋だおしが起こったのは、その直後だと思う。(神戸市垂水区主婦75才、神戸8月3日) (7:15、朝霧駅着)
(7:45、歩道橋中ほど)
(8:00すぎ 花火を見る余裕ない)
(8:40、踊り場南端)
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捜査本部は負傷者全員の事情聴取を進め、転倒が始まった原因の解明を急いでいる。
調べなどによると、将棋だおしの発生は8時40分ごろ。橋の西南端から数メートル北に入った付近で、花火会場に向かおうとして立ち往生していた観客数人が、南向きに倒れた。
数分後、周辺にいた観客が、先に倒れた数人の上に折り重なるように転倒を始め、将棋倒しは西から東に向かってゆっくり広がっていた。五、六メートル程度の幅で、約二百人が巻き込まれた。観客によると、人が倒れる方向は一定していなかったという。
捜査本部は、最初の転倒で空間が空いたため、支えを失った観客が次々と倒れ込んだ可能性が高いとみている。
(神戸7月27日)
転倒時の状況
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将棋倒しはまず、歩道橋の海岸側南西端から5―10メートル北側で起きた。見物客らの多くが「つま先立ちで体が徐々に浮き上がる感じ」「十数人が一気にというより、じわじわと倒れていった」と証言。
この際、子供の泣き声や悲鳴があちこちで上がったが、この時点では致命傷を負うけが人はいなかったとみられる。
その2、3分後、2度目の大きな将棋倒しが起き、最初に倒れた客の上にかぶさった。最初の将棋倒しでぽっかりと空間ができ、支えが外れたために、すぐ後ろにいた人波が倒れ込んでいった。(Yomiuri Online7月26日)
転倒時の状況
         北側

←西     南側    東→

(神戸新聞28日朝刊より)


階段と曲がり角の間は、約7m程度あり、図は正確ではない。
巻き込まれた見物客は西から南の向きを中心に複数方向へ錯綜するように転倒していたことが二十七日までに、神戸新聞社の取材に対する負傷者の証言などで明らかになった。(神戸7月28日)
「次第に階段側に押され、体が傾いた(13才男子)」「前後に押されてゆらゆら揺れ、両足が地に付いていないように感じた(四十代女性)」「じわじわと前へ倒れていった(20才男性)」「前から人が倒れる波が迫ってきた(18才女性)」(神戸7月28日)
うつ伏せ、あお向け。倒れた姿は様々だった。「後ろから押された倒れた。足がうっ血して動かなかった。(13才男子)」「足元をすくわれるようにあお向けで、体をくの字に倒れた(58才女性)」(神戸7月28日)
転倒が広がるにつれ、倒れる方向は錯綜。「駅側から押され、押し返しながら立っていると、右側から斜め前の方へ人が倒れていくのがみえた。(12才男子)」「双方からの圧力で三重にも四重にも重なって倒れた(小四女児)」(神戸7月28日)
転倒して意識が遠のく中、恐怖感とともに死を覚悟した負傷者も少なくない。「何分倒れていたか分からない。前を見ると助けを求める手があちこちで伸びていた。今まで見たことのない光景だった(20才男性)」「苦しくて、危ないと思った(13才女子)」(神戸7月28日)
転倒時の状況
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その瞬間、「人のかたまりが一斉に倒れたようになり、ものすごい悲鳴が聞こえた。」(神戸市の中学生、産経7月23日) 転倒時の状況
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「将棋倒しというより大勢の人が両側から覆いかぶさってきた。隣の男性のひじが胸のあたりに食い込み、息ができなくなった。」(明石市の女性、産経7月23日) 転倒時の状況
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「海岸に向かって歩いていたが、前に進めなくなり、後ろからも強い力で押された。子供を抱え、転倒しないように踏ん張るのがやっと。満員電車でも経験したことがないような怖い体験だった。」(息子11才が左肩にけがをして明石市立病院に来ていた垂水区の公務員女性45才、神戸7月22日) 押しの状況
死者発生現場
夫与一郎さん(74才)妻律子さん(71才)夫妻は、この日、地元の老人会のメンバー(いずれも女性)3人と、計5人でこの花火大会に出かけていた。「JR朝霧駅前に着いたのは7時40分ごろ。花火打ち上げ開始直前でした。歩道橋はすでに人でごったがえした状態で、歩道橋の真ん中あたりまで進んだところ、花火の打ち上げが始まりました。海岸で見物したかったんですが、なにせ人の列が動かない。しかたなく歩道橋から花火を見上げていました。歩道橋は異様な暑さで、したたり落ちる汗を何度もぬぐったのを覚えています。」(与一郎さん)。「8時30分ごろ、私たちは歩道橋の海岸より3分の1ほどのところまで進んでいました。ところが花火の打ち上げが終了すると、海岸にいた見物客がいっきに駅に向かいはじめたんです。人と人のすさまじいぶつかり合いでした。体が何度も左右に揺れた、と思ったら、今度は両側からプレス機で押しつぶされるような強烈な力がかかる。妻はすぐそばにいた幼稚園児ぐらいの子供をかばおうと、両手を伸ばし必死で押し寄せる人の波に抵抗していました。近くには自分の頭の高さまで我が子を持ち上げて守っている母親もいました。でも、腕がしびれたのか、両腕がだんだん下がっていくんです。それを見て妻は、『だめ、子供が死んでしまう』と叫んでいました」(与一郎さん)。歩道橋上ではあちこちから悲鳴が上がった。「助けて!」「戻れ!」「死んでしまう!」。まさに地獄だった。「妻は『子供が死ぬよ』と悲しい表情でつぶやきました。それが最後の言葉でした。直後、流れに押されて妻の姿が見えなくなった。私も人波の中で倒れていました。立ち上がって周りを見渡すと、人の上に3人も4人もの人間が乗っかっていました」(与一郎さん)。妻の姿を見つけられなかった与一郎さんは、いったん自宅に戻り、妻の帰りをまった。そして夜中の2時ごろ、テレビで妻の死を知った友人の電話を受けた。「妻が必死で子供をかばっていたとき、警察官も警備員も歩道橋にはいなかった。事故前、4〜5人の警備員を歩道橋の端で見かけましたが、見物客の若者に怒鳴られると、すごすごと逃げていった。本気で警備や誘導しようとする気なんてなかったと思う。」(与一郎さん)。(Friday2001.8.10)
「至近距離にいた私としては『子どもが死んでしまうよ…!』と叫ぶ妻の声を聞きながら、すでに自分の体の自由を奪われており、左手につかんでいたその体が人垣の中に沈んでいくのを防ぐことが出来なかった無念さは、いまだに消えていない。」(神戸新聞に寄せた与一郎さんの手記より、神戸8月19日)
「(ベビーカーの)翔馬(生後2ヶ月)をうちわであおいでいたら、『小さい子やのにかわいそう』と声を掛けてくれたのが草替さん(律子さん)だった。」と佳奈さん(母親18才)。その後二人は、しばらくパニック状態の中で会話を続け、不安な心を励ましあったという。しかし、周囲の圧迫で佳奈さんの手からベビーカーが離れ、その直後、将棋倒しが起きた。助け出されたとき、翔馬ちゃんはおなかや足にあざができ、すでに病院に運ばれていたという。(神戸8月18日)
事故の時、佳奈さん母子と草替さん夫妻は、将棋倒しがあった歩道橋の南端約五メートルの中央付近にいた。呼吸も苦しくなるような人波の中、翔馬ちゃんが乗っていたベビーカーはきしみ、律子さんは佳奈さんに何度も「大丈夫。頑張って」と励まし続けた。次々に倒れる人に、佳奈さんも与一郎さんも、その圧力に押し流された。律子さんの最後の言葉は「赤ちゃんが死んでしまう」。ベビーカーを抱えるように倒れ込んだという。事故後、翔馬ちゃんは、現場にいた人々の手から手へと運ばれ、パトカーで市内の病院に。別の病院に搬送された佳奈さんは、その状況がわからず「翔馬はもうだめだ」と泣きじゃくった。だが、両足全体が紫色になった翔馬ちゃんは、後遺症もなく四日間の入院で元気を取り戻した。(読売8月18日)
8:30〜8:40の間
押しの状況
(ショックウェーブ)

(転倒前、「戻れ」の指示あり)

→転倒

(7:40 朝霧駅着)
(7:45 歩道橋真ん中)
(8:30 歩道橋南端から3分の1ほどのところ)
(8:40 歩道橋南端から約5メールの歩道橋中央付近)
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「倒れる直前、中年男性が手すりに乗ってタオルを振りながら、駅の方から海岸の方に押し込む人波に向かい、『戻れ、戻れ』と叫んだが、そのうち人波が一気になだれこんで次々に倒れた。私の友人も巻き込まれた、腰を打って病院に運ばれたが、運ばれる直前に息ができないと言っていたので心配です。」(中学三年女生徒Fさん14才、読売7月22日)
「海岸に行きたかったけれど、歩道橋上に人がいっぱいで身動きがとれなかった。午後8時半に花火が終わると、海岸の方から戻ってくる人と歩道橋上にいた人がぶつかって押し合いになり、人が倒れたようだ。大人の男の人の声で『駅に戻れ』という怒号が飛び交い、一斉に駅に向かって人が移動を始めてパニックになり、次々に人が倒れた。友達ともはぐれてしまった。友達の一人は気を失って倒れ、救急車で運ばれた。」(友達3人と歩道橋上にいた中学3年生Fさん14才、毎日7月22日、上記読売と同一人)
押しの状況

(転倒前、「戻れ」の指示あり)

→転倒

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「花火見終わった人が帰ってくるじゃないですか。で、どっちからも来るという感じで。で、初め、男の人が上に立ったんですよ。かたぐるまして、おじさん。誘導してて『戻れ、戻れ』って。なんかみんな夜店とか行きたいじゃないですか。戻らんし、後ろからくるしという感じで、そっから動かれへん状態。その時点で、『子どもが死んじゃう』とかって声が聞こえて。なんか前から斜めになって、気付いたら斜めで、そっからだんだん倒れていって。」(質問者:突然どんと倒れたという感じではないんですか。)「結構、花火が終わったあとね、波があったんですよ。こっちに倒れかけたり、こっちに倒れたり。だれかが押したりしとうから? 波があったけど、そこまで倒れるという感じの波ではなくて。その将棋倒しのときは、もう倒れるなーって。」(アナウンサー:Mさんは海側へと倒れました。)「はじめ痛かったけど、めっちゃ圧迫されて、もう死ぬと思った。途中から意識なくなって。おじさんが『しっかりしろ』と顔をたたいてもらって目がさめた。警察は中に入れない状態だったんですよ。たぶん朝霧駅側の方から『出て行って、出て行って』と言っていたと思うんだけど、人が少なくなっていって、で、助けられた。」(アナウンサー:Mさんのけがは幸い打撲だけでしたが、人ごみの中に出かけるのはまだ怖いと話します。)(20才代くらいの女性Mさん、サンテレビ8月2日) 8:30〜8:40の間
押しの状況

波があった(ショックウェーブ)

(転倒前、「戻れ」の指示あり)

→転倒

(転倒状況=最初の群集なだれ)
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「朝霧駅から大蔵海岸方面に歩いていたら、後ろから『早く行け。花火が終わるやろ』という声が聞こえ、後ろからどんどん押された。前からは花火会場から駅に帰ってくる人が来て押し合いになった。」「何回か押し合った後、前の人が倒れて将棋倒しに巻き込まれた。両ひざを強く打った。死ぬかと思った。」(中学一年男性13才、読売7月22日) 押しの状況
→転倒

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「花火が終わり、朝霧駅の歩道橋の上で駅に向かう客と朝霧駅から会場に行く客が押し合いになり、突然、周りの人が押し倒された。まわりから悲鳴が聞こえ、靴やかばんが散乱した」(現場にいて左足にけがを負って病院に運ばれた明石市の女性34才、読売7月22日) 押しの状況
→転倒

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「花火終了後、急に『ギャ-』と叫ぶ声が聞こえた。駅の方から急に押される感じがして、後ろ向きにひっくりかえった。前も後ろも人に挟まれ、体の下にも上にも人がいて、体が宙に浮いているようで身動きができず、息をするのも精一杯だった。」(中学1年の男子生徒12才、日経7月22日) 押しの状況
→転倒
→転倒後の状況
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「橋の両側にあるアクリルの壁が、ミシミシと音をたてていました。とにかく息苦しくて。いつもは透明の壁が、この時は人いきれで真っ白に曇っていました。その時、後ろから押されて倒れてしまったんです。隣の人の足の間に顔が挟まってしまって、ほとんど息ができない状態でした。何回も『助けて!』と叫んだんです。」(中学生の女の子、週間文春2001.8.2) →転倒
→転倒後の状況
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「帰ろうと思った時、歩道橋で突然、後ろから人が覆いかぶさってきて、気が付いたら下敷きになっていた。周りにいた大人の人が引っ張り上げてくれて、何とか助かった。突然でびっくりした。」(足の打撲で明石市民病院に運ばれた中学一年の女生徒、読売7月22日) 転倒
→転倒後の状況
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「急に後ろから押されて倒れ、身動きがとれなかった。ほかの人に引っ張りだしてもらって助かった。女の人の悲鳴も聞こえて怖かった。」(友人と花火大会に来ていた中学1年の女子生徒12才、産経7月22日) 転倒
→転倒後の状況
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「海岸に向かう列が全く動かず、歩道橋上で約1時間待っているうちに花火が終わった。駅に戻ろうとする人たちとぶつかる形で大混乱となり、突然、将棋倒しになって、胸を強く打った。こんな目に遭うとは」(神戸市西区の主婦Mさん46才、毎日7月22日)
「目の前でおばあさんが倒れ、その上を人が次々に踏んでいった。」(神戸市西区から見物に来た主婦Mさん46才、上記毎日と同じ人、朝日7月22日)
転倒
→転倒後の状況
将棋倒しで、Yさん(8才)はあおむけに倒れた父親の胸の上に。その上に、さらに四、五人がのしかかった。次第に遠のくYさんの意識。姉(9才)は数メートル離れたところにいて、父親の友人が体を支えてくれたため無事だったが、その後、妹を失ったことを知り、ショックで放心状態になったという。(京都7月26夕)
倒された瞬間、自分(父親)も意識を失い、気が付くとYさんは胸の上で動けない状態。「大丈夫か」の呼び掛けに「うーん」と答えた声が最後となった。(共同通信7月22日)
転倒
→転倒後の状況

(現場に表示されていたお知らせによると、歩道の東側、南端から8m付近でYさんは亡くなった。)
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「(押し倒され)息苦しくて、近くで赤ちゃんの泣き声がした。自分にけがはなかったが、下敷きになった母が胸の骨と足が痛いと言って救助隊に助けられた。声が出ないほど怖かった。」(中学一年女性12才、明石市民病院で、読売7月22日) 転倒後の状況
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「あまりに人が多く、十分から二十分の間、真ん中あたりの人は倒れた状態のままだった。それでも後ろから押す人がいた。半分けんかのような怒号が上がっていた。」(明石市大蔵本町会社員男性32才、読売7月22日) 転倒後の状況
「気が付いたら洗濯機の渦に巻き込まれたように、ばたばたと人が倒れた。苦しくなって通路の窓のプラスチックを割ろうとする人もいた。」(家族四人と来ていた神戸市西区の中学教諭47才、神戸7月22日)
転倒後の状況
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「『助けて』とあちこちで悲鳴が上がったが、身動きが取れなかった。中学1年の長女が右足をねんざしたようだ。」(明石市の会社員40才、毎日7月22日) 転倒後の状況
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最初の花火が上がった直後、神戸市西区の会社員Mさん(40)は友人親子と、妻子が待つ海岸に向かった。しかし、押し合いへし合いに、四十分以上たってもまだ橋の半ば。友人の子供を必死に守る。すると、天井の上を歩いて戻ってきた若者グループが「人が倒れている。これ以上進むと危ない」と叫んだ。 周囲から「戻れ」コールが起き、群集はようやく駅に戻り始めた。(共同通信7月22日) 「人が倒れている」

「戻れ」コール
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「将棋倒しが発生した直後の誘導が全くなかった。息子と見物客の若い男性の二人が歩道橋の屋根に上がり、駅の方に戻るようにと、叫んでくれたのでかろうじて巻き込まれずに済んだ。」(将棋倒しの現場に居合わせたという明舞中央病院の近くに住む女性50才、日経7月22日) 「戻れ」の指示
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「血を吐いたり、骨折して足を引きずる人もいた。若い男性が屋根の上で指示を出していた。」(中学生13才、神戸7月22日) 屋根の上で指示
「人々がぶつかり合い、上からなだれのように落ちてきた。階段下にいる人々が支えていたが、あまりの重さに体がバラバラになったように感じた」(神戸市垂水区神陵台新聞販売店従業員54才、下敷きになり一時気を失った、神戸7月22日) 転倒後の状況
(「階段下にいる人々が支えた」は場所の認識違いか? 階段に近い側で群集なだれが発生した地点に近い場所と考えられる。)
. 「事件が起こったとき、私達は階段から10メートルぐらい手前の所まできていました。人が多く、自分達の周りの事しかわかりませんが、私の知る限り皆さんマナーを守ってきちんとしておられました。」(ちび、8月8日、明石市ホームページ掲示板、記事番号913) (7:15、歩道橋北端)
(8:40、階段から10m)

「花火大会には、娘(6才)を連れて出かけた。最初は両手が動かせる程度の身動きはできた。警備員二、三人が光る警棒を持ちながら、駅へ向かう人用に道を先導していた。『道を開けてください』と言われればあける余裕はあった。花火が終わるころ、海岸側の階段まであと数メートルというところで身動きが取れなくなってしまった。息苦しくなって、周りの人と『どうなるんだろう』と話した。携帯電話を使って110番をする人も出始めた。しかし電話の向こう側は、こちらの状況を把握しておらず、のんびりと対応されたようで、動いてくれない様子だった。そのうち携帯電話自体が使えなくなってしまった。泣き出す子どもをなだめながら、息ができるようにうちわで風を送っていたが、柄が折れてしまった。つないでいた手も離れ『もうだめだ』と思った。すごく長い時間に感じた。すごく長い時間に感じた。悲鳴を上げる人、泣き叫ぶ人、怒鳴る人、子どもを守ろうとする人、黙ってじっとしている人・・・。そんな人の波の中にいた。すぐ後ろで起きたのに、将棋倒しのことは分からなかった。でも自分の周りで次に人波が動くときは将棋倒しになるかもしれないとは思った。階段を上がってくる機動隊が見えたので、肩か腕をたたいて気付いてもらい、『助けてください』と訴えた。そのまま通過されそうだったから。離れ離れになった子どもは、だれかが守ってくれたようで、階段の上で会えた。でも、何があったのか子どもは言いたくないようで、私も聞かないようにしている。階段下では、警備員がたばこを吸っているのを見た。なんてのんきなんだろう、ここまであの危機的状況が届いていないのかな、と思った。『何をしているの』と一言いってやればよかったと、今となっては思うが、その時は言葉が見つからないほどの放心状態だった。たくさんの人が、ぐったりとしていた。『救急車での搬送が必要か』と聞かれたが、子どもは『大丈夫』と言うので、その場に数時間いた。電車で帰ろうとしても歩道橋を渡れない。周辺が渋滞してタクシーも呼べない。そばにいた警察官に頼み、警察の車で最寄の駅まで送ってもらった。その車中で警察官が、『歩道橋を見渡せる監視カメラがあるので、警察はそれで見ている。だから(混乱を)見逃さなかった」というような意味のことを話していた。でも新聞では、監視カメラが有効に機能していなかったとのコメントが出ていた。新聞記事と警察官の話があまりにもかけ離れた話だったので驚いた。子どもは首が痛いと言い、病院で内出血の後があると診断された。私も打撲の跡が何ヶ所か残っている。でも市に伝えていないので、あの死傷者の数に私たちは含まれていません。」 (明石市主婦33才、神戸8月3日 証言 歩道橋で何があったかC) 将棋倒しを見ていない

「次に人波が動くときには将棋倒しになるかも」=ショックウェーブの状態

(8:30、階段上数メートル=歩道橋南西角から西へ数メートル、浜へ向かっていた。)
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(アナウンサー:この男性は早めに帰ろうと花火が終わる直前に朝霧駅に向かいました。)「海岸側から階段に上がる所に女性の警備員1名だけいました。私は、この込みぐわいはどうしたらいいかわからない。警備員さんに『どうなっているんですか』と尋ねたんですが、『少々お待ちください。』何を聞いても『少々お待ちください。』という言葉だったので、この警備員さんは何も情報をわかってないのかなということを感じましたね。『朝霧駅の方じゃなくて、国道の方にでたいんですけど、どういうルートをたどったらいいですかね。』と聞いたんですけど、これにも『少々お待ちください』と、何も言ってくれない。これはダメだと思って、なんとか、自力で抜け出た。」
(質問者:警備員なり市の人間なりが、こちらのルートがありますよというような指揮をするなり誘導するようなことはありませんでしたか。)「いっさいありませんでした。」
(歩道橋のすぐ南で花火を見ていた男性30才台くらい、サンテレビ8月2日)
階段下の警備状況・誘導状況
(8:30ころ)
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「花火が終わり、露店で何かを買おうと向かったけど、人が多すぎて身動きできず、徐々に子供の顔色が変わっていくのに恐怖を感じ、人込みの少ない海側に出ました。 これでは朝霧駅から帰るのはしんどいと判断し子供には露店の買い物は諦めて、明石駅まで歩いて帰ろうと言い聞かせ歩きました。 国道2号線を歩いている時、行き交う消防車と 救急車に不安を覚えつつ帰宅し、テレビの ニュ−スで事故を知りました。」 (まつ、Nifty関西フォーラム7月22日) 露店の混雑状況
(8:30ころ)
私は、海岸の方からあの歩道橋へ上がろうとした。海岸で花火を見終わって、家へ帰るために主人と一緒に階段を上がった。八時四十分ごろと思う。階段は込んでいたが、上り口あたりはスムーズに行けた。女性警備員がいたけど何も言われなかった。下りて来る人は階段の南側、上る人は北側。上がる人のほうがずっと多かった。押されて自然に上がっていく感じで、こけないようにだけ注意した。階段さえ上がりきれば、あとはすっと行けると思っていた。そこから道幅が広くなるから。ところが上に行くほど込んで、主人のベルトを持って離れないようにしていた。『警備は何をやっとんや』とか、『押したらあかん』とか叫び声が聞こえた。私も恐怖感を感じた。でも、まさか、死人が出るなんて思ってもいなかった。上に行きさえすれば、何とかなると思っていた。途中で、上から『死ににいくんかぁ』という若い男の声が聞こえてきた。その時は何をいってんのと、不思議だったが、後から思うと、その人は上での惨事を見ていたのかもしれない。途中、警察か警備員か分からないが、『これ以上、上がれませんので下りて下さい。』と言っていた。それで下りることにした。でも体の向きを変えるのも大変だった。下りて歩道橋の東側へ回った。なんで上がれないのか気になり様子を見たかった。すると、歩道橋の上に人が密集していて、小さい子がぐったりしているのが見えた。ガラス(強化プラスチック)にもたれかかっている人がいた。『助けてくれ!』とか、『おかーちゃん』という叫び声が聞こえた。歩道橋のエレベーターの降り口近くの芝の上には人が寝かされていて、驚いた。どうやって運ばれてきたのか、よく分からない。エレベーターでしょうか? 横になっていたのは五人。おばあさんが一人。若い浴衣の女の子が三人。幼い女の子が一人。みんなぐったりしていた。周りに人がいて、うちわであおいだりしていた。みんな『救急車を呼べ』とか言っていた。私も『早く救急車を呼んで』と叫んで、あおいた。女の子は意識がなかったみたいで、お母さんらしい人が『○○ちゃん、しっかり』と名前を呼び続け、『だれか助けてください』と大声で言っていた。そしたら、男の人が心臓のマッサージを始めた。その子はしばらくしたら、泣き声を上げた。それで、『助かったんだ』と思った。その後、階段も上がれないので、西の陸橋へ向かって歩き始めた。屋台の南側に人がたくさん寝かされていた。帰宅? 十時ごろだと思う。本当に時間の感覚がなかった。」(明石市主婦67才、神戸8月2日 証言 歩道橋で何があったかB) (8:40、階段を上がる)
階段の南側=画面右側(降りてくる人)
階段の北側=画面左側(ずっと多い上がる人)
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「往路に私が見たところでは、肝心の歩道橋では警備会社員は1ヶ所に3人のみ、警察官は皆無だった。大人数の機動隊は、離れた所で暴走族の乱入防止にあたっていて、歩道周辺には影もなかった。花火終了後、私たちは歩道橋の状況に不安を感じ、う回路に向かったが、事故発生で移動を命じられたのか、機動隊員がその狭い道路の人の流れを押し分けてやっと配置についた。」(明石市無職63才、神戸7月25夕) 警備員・警察官の配置状況
(迂回路をとった人の証言)
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明石の花火は海水浴場西の遊歩道で見ました。がら空きでしたよ。露店のあった中心部分にみんな集まってましたから、なんで、もっと分散させんのか思てたんです。子連れだと、どうしても露店のあるところを行きたくなるやろうけど、空き地にも分散して出店してたら、あそこまで歩道橋のとこに人が集中せんかったはず。西から来る人もみんな、露店の方へ行きよりましたから。混雑見て、花火の終わる10分前ごろから子連れは帰りよってやった。そんで、また込んだんやな。(神戸市西区無職69才、神戸7月27夕) 海水浴場西側の状況
午後8時40分 事故が起きた21日午後8時40分ごろ、現地本部に「歩道橋内に負傷者がいる模様」と情報が入った。消防署員が歩道橋南の階段下に向かったが、人ごみで近づけなかったとして、携帯電話で市消防本部へ通報。間もなく北側に到着した救急車から「けが人が見当たらない。」と連絡があった。(神戸7月26日) 消防の動き
午後8時40分 花火大会会場近くのビルに明石署が監視カメラを置き、混雑状態を確認しながら有効な対策を取らなかった問題で、県警本部地域部(神戸市)でもその映像をモニターし、同部長ら約七十人が見ていたことが、二十七日わかった。地域部によると、花火大会の二十一日、本部内に神戸市で開かれていた「神戸まつり」の警備本部が置かれ、スクリーンに神戸まつりの花火大会や周辺道路が映し出された。明石市の花火大会の映像も送られ、スクリーンを分割したサブ画面でモニターされていた。しかし、地域部が混乱に気付いたのは事故があった午後八時四十分ごろで、歩道橋の映像をメーン画面に映し出し、明石署に状況の説明を求めたが、特に指示は出さなかったという。地域部幹部は「神戸まつりの警備本部だったので、明石の画像は参考に見る程度だった」としている。(Yomiuri Online7月28日) 警察の動き
午後8時41分〜50分 110番で「行く人と帰る人がぎゅうぎゅう詰め」「橋の上整理せえ」「JR朝霧駅・・・」など(神戸8月20日) .
午後8時46分 最初の救急車が現場に到着。(読売23日)
次々と駆けつけた救急隊員の目に飛び込んできたのは、歩道橋の南側周辺で倒れている子供や大人、数十人。ぐったりした子供に人工呼吸をする人もいた。けが人を搬送する救急車の無線に、「将棋倒し」という言葉が響き始めていた。(神戸7月23日)
消防の動き
(下の新聞記事にもあるが、消防本部の思い違いで、8時46分には北側の駅前に最初の救急車が到着した。神戸新聞の記事の内容に該当するのは9時17分となる。)
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「私はあの転倒現場の真っ只中におりました。事故現場から脱出したとき両足に靴はなく、裸足でJR明石駅まで歩きそのまま電車で自宅まで逃げ帰りました。幸い無傷でしたが、思い出すたび心が震えています。」(死の淵からの脱出者、8月3日明石市ホームページ掲示板、記事番号787) 両足から靴が脱げ、裸足で帰る
. 「次々に倒れていくんですよ。後ろの方にかけてね。で、もう、倒れる人も、後ろから押されて、前からも圧力をかけられて、ていう感じで」(20代くらいの女性、7月21日事故直後の朝霧駅前でのインタビュー、朝日放送)
「下から手が伸びてて、助けてという状態。年配の方とかおじいさんとか、が、倒れてて、私の腕とかもって、必死になって、あがろう、あがろうとしてて」(上記と同じ20代くらいの女性、7月21日事故直後の朝霧駅前でのインタビュー、サンテレビ)
「一人拾い上げたんですよ。その人失神してて、目見開いていたから、その人抱き上げて、機動隊の人に渡したんです。」(30代くらいの男性、7月21日事故直後の朝霧駅前でのインタビュー上記女性と、朝日放送)

「なかなか前に進めなくてね。右に寄られ、左に寄られしながらね。そうこうしているうちに、やじが飛んだりしてね。『はよいけ』とか、向こうからは『下がれ』とかいってね。それで、出口の先、5〜6mのところで人が将棋倒しになって、倒れていたんですよ。ぼくが助けた3人目の女性なんかは、目が見開いて、焦点が合っていなかったもんね。」(上記と同じ30代くらいの男性、7月21日事故直後の朝霧駅前でのインタビュー、MBSテレビ)
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. 「なんか、みんな気絶しているような状態で運ばれていたから。だから、まわり、(歩道橋の方を指差して)あそこは靴とかが、散乱してた。」(30代くらいの女性、7月21日事故直後の朝霧駅前でのインタビュー、MBSテレビ) .
午後8時40分ごろ (明石署雑踏警備班の8名は)事故発生の午後8時40分ごろ、110番を受け駆けつけた機動隊員らと階段周辺の群集を下ろし、橋の上に再び向かった。(神戸8月28日)
警察の動き
午後8時50分-9時ごろ 午後8時五十分−同九時ごろ、(明石署雑踏警備班の8名は)事故現場に到着。同班が現地本部に事故の一報を入れたのは、同九時九分だった。(神戸8月28日) 警察の動き
午後8時50分 歩道橋約五百メートル西にいた機動隊員も無線(8時22分)を傍受、南側から向かった。すし詰めの観客を盾で押し分けながら急いだが、先着した南側の隊員でも到着したのは8時50分ごろ。通報から約30分、事故の発生から約10分後だった。(神戸7月26夕)
歩道橋上の現場に警察官到着(神戸8月20日)
機動隊員は8時50分過ぎ、現場で人が折り重なっているのを確認。すぐに盾を担架代わりに、救出活動を開始した。
警察の動き
. 「(機動隊員は)切羽詰まった表情をしていた。どうしていいか分からないのか、駅側の人に『下がって、下がって』と繰り返すばかりだった。」(19才、女性、神戸8月20日)
「(機動隊員は)屋根の上にいる人たちに向かって『お前らは降りろ』と言っていた。歩道橋の状態がよく分かっていなかったようだ。少なくとも救助に来た、という感じではなかった。」(29才、男性、神戸8月20日)
「一列に並んで駅の方に戻るよう指示された。直後に二回目の将棋倒しが起きた。」(30才、男性、神戸8月20日)
2回目の将棋倒しの時刻は午後8時50分過ぎか?

市が設置した事故調査委員会は、発生時刻について「テレビ放送されたビデオの映像から、少なくとも午後8時45分以降の数分間では」との現段階での見解を固めた。8時40分は警察発表によるもの。(神戸11月28日)
午後8時51分

周辺の(警察の)部隊の大半が橋に向かい始めたのは、「橋の上で人が倒れている」との110番通報があった同51分以降で、それまでは「けんか対応」だったとみられる。橋の上の警察官から「群衆が倒れている」との最初の報告があったのは、午後9時9分だったという。(朝日8月16日)

警察の動き
午後8時50分ごろ 午後8時50分ごろには、歩道橋の屋根に上がっていた茶髪の若者が飛び降りて、人の背中や頭を踏みつけていた。目撃した警備会社員によると、機動隊員が注意すると、隊員が持っていた盾に何度も体当たりし、周りの通行人からは悲鳴が上がったという。(朝日7月25日)
関係者の供述によると、支社長は事故翌日の7月22日未明、花火大会主催者の明石市の担当者から、事故の報告書を提出するように求められ、大阪市中央区の大阪支社で報告書を作成した。 その際、部下の女性社員に、茶髪について記載するよう指示。女性社員は指示に基づき、「若い男子(茶髪)数名 奇声をあげ、周りの待ち客を突き飛ばし」「機動隊へ体当たり、殴り」「その後から怪我(けが)人、病人多数発見」などと書いた。 支社長と女性社員は、同日早朝の記者会見でこの報告書を配ったうえで、「この騒動で人の流れが動いた可能性がある」などと、茶髪の若者が事故の原因であるかのような発表していた。 (毎日8月10日)
警備員の虚偽の報告
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階上に突入する機動隊員の後ろについて階段上に上った警備員は、「人しか見えず、転倒を確認できなかった」「橋の上は自主警備の限界を超えていた」と当時を振り返った。 (神戸8月11日) 警備員の動き
午後8時53分 会場側階段で、警備員が駅に向かう客を制止した。橋の上で倒れた子供らが次々に見つかる。(読売7月23日)
明石市の歩道橋事故で、雑踏警備の元請けを務めた警備会社の責任者が、歩道橋の来場者を分断した、と虚偽の報告を無線交信記録簿などに記載していたことが、九日までの兵庫県警明石署捜査本部の調べで分かった。(神戸8月9日)
警備会社の動き
午後8時54分 けが人を収容し、病院へ搬送(読売7月23日) 消防の動き
午後8時55分 午後8時55分、歩道橋南側で機動隊が負傷者の救出を始める(Yomiuri Online7月28日) 警察の動き
午後8時58分 将棋倒し事故は、21日午後8時40分ごろに発生。その直前に歩道橋北側のJR朝霧駅前で救急出動が2件あり、近くの消防署や分署から2台の救急車が出動。救急隊員が負傷した子供の親などから、歩道橋で多数のけが人がでていることを聞いて大事故に気付き、同58分に隊員が本部に通報。救急車が現場に到着したのは同9時17分だった。同本部は事故現場の到着時間は午後8時46分としていたが、将棋倒し現場への出動と歩道橋北側への出動を混同していたらしい。(毎日7月25日)
午後8時58分、北側に2台目の救急車が到着(Yomiuri Online7月28日)
消防の動き
午後8時58分 レスキュー隊が「負傷者多数あるようだ」と連絡(神戸8月20日) 消防の動き
午後9時 午後9時ごろ、現地本部にいた消防署幹部が歩道橋南側にけが人が出ていることに気づき、救急出動を要請。同17分に救急車が南側に到着。事故から約40分たっていた。近くの国道28号には搬出された子ども六人が横たわり、居合わせた看護婦と消防署員が人工呼吸を行っていたという。六人は全員死亡した。(神戸7月26日)
午後9時ごろ 最初の救急車が佐藤隆之助君(7)を搬送、南側付近に配置されていた消防隊員が事故の状況を確認、救急車の派遣を要請(Yomiuri Online7月28日)
消防の動き
午後9時 市が事故対策本部設置(神戸8月20日) .
. 「私は広場で寝転がって花火を見ていました。(8:30頃)花火のエンドがわかりますと、回りの人いっせいに立ち上がりまして、歩道橋の方向に向かったとおもいます。私は子供2人連れていますので寝転がっていると危ないので、すこし夜店側に移動し、人の流れがないところに移動しました。そのときにパフォーマンスのような感じで子どもをぶら下げて走っていく機動隊を見かけました。2回ほど見かけました。たぶん歩道橋で酸欠で倒れたのかなという程度の思いでした。歩道橋を見ると若者が屋根に登っているので、また近くの警備員に屋根に登っていることを告げました。警備員に言えば無線かなにかで連絡してもらえると思いました。その後、沢山の機動隊員が歩道橋に向かって走っていきました。私は子供連れて夜店のかき氷とたこ焼きを食べました。食べ終わったころ、偶然ですが目の前の道路に倒れた子どもが運び出されてきました。どこからつれられたのかわかりませんが子どもばかりでした。(消防車だったと思う)マイクで蘇生できる人集まってくださいという放送がありまして、そのまま私も子どもと一緒にそこに行きますと、意識不明呼吸停止状態の子どもばかりです。救急車がやってきました。私もこのとき人工呼吸していました。はじめ救急車に5人ほど乗ったとおもいますが次の救急車が来たので2人下ろして3人で出発したとおもいます。このとき花火を見に来ていた職業が看護婦さん(の人)も同乗して明舞中央病院に搬送されました。無線で搬送先の連絡があったのでそう思います。出発した後もまた意識不明の子どもが運び出されて、来まして、又人工呼吸。医療関係の男の人のアドバイスともう一人看護婦さん風の方も一緒に救助していました。私は男の方のアドバイスを聞きながら、女性の方が心臓の脈を取ったりして、蘇生をしまして、この方は息をしだし、心臓も動きました。しばらくして消防のワゴンタイプの車が来まして、搬送しました。どこに搬送されたかはわかりません。このあと橋のすぐ近くに移動しまして、私は緊急自動車の誘導をしました。意識不明者はもういませんでしたが、苦しいといわれる方が何人かおられ、パトカーで搬送していき、時間が過ぎました。このころ22時過ぎていました。その後、私と子ども2人は一つ西の橋まで回って、朝霧駅まで行きました。11時ごろとおもいます。その後は家路に向かい、家に帰ってから、テレビで雑踏事故とわかりました。」「また、私の行動ですが、日ごろは消防団で、火事場にも数回行ったことがあり、消防隊も数人は知っていましたので、躊躇なく行動できたとおもいます。」(みーくん、ヒアリング、9月3日) 救命活動状況
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「あの日、妻と生後九ヶ月の息子の三人で見に行った。花火が終わった後、歩道橋があまりに込んでいるので、歩道橋の南側で待っていた。将棋倒しが起きた後、歩道橋の下で女性が女の子を人工呼吸しているのを見つけた。『医者です。ちょっと見せてください』と言ってあごを持ち上げたら自分で呼吸をし始めた。汗をかいていて体が熱かった。熱射病かなと思い、『だれか氷を』と叫んだら、近くの屋台のおっちゃんだったかと思うが、氷を持ってきてくれた。そのたき赤ちゃんが人工呼吸をされながら下りてきた。妻(看護婦)が心臓マッサージをし、私が人工呼吸をした。救護所のようなところでは、年配の女性と男の子も心臓マッサージをされていた。救急車が来たのは、それからすぐだったように思う。乳幼児二人と女性の三人が乗せられ、私も同乗した。救急車は神戸市消防局の車だった。なかなか出発しないのでいらいらした。明石市の応援要請で来ているので、明石の要請がないと搬送先が決められないという。『そんなことしとったらいかん』と思わず怒った。震災のとき、地域の枠を超えて広域救急体制をひかんとあかんという教訓があったはずなのに、生かされていないと思った。もちろん、受け入れる医療側にも問題はある。思い症状の患者が一度に運び込まれても、当直医だけで対応しきれない病院も多いだろう。搬送先の指示を待つのが決まりではあるが、緊急事態の対応としてはどうか。救助隊も早く搬送したかっただろうが、自治体側、受け入れる医療側ともに、非常時の救急医療マニュアルが機能していなかったと思う。もどかしくて、『自分の病院に運ぶ。いいから早く出してくれ』と無理矢理、発車させてしまった。医師として一番ジレンマを感じたのは救急医療の広域支援体制の問題だが、それ以前に、主催者側の警備体制と、緊急事態が起きたときの対応の問題は大きい。車の渋滞や人ごみは十分予想できることで、救急車の到着が遅れるのも想定の範囲内だ。救護所らしい所は、最初のうちは消防車が置いてあるだけで、人が近づけないようにロープが張ってあった。救護所というより、消防車の待機場所というだけだったのではないか。救急医療の協力体制は、神戸市や近隣自治体を中心に早急に確立しなければならないと痛感した。最初の五分、十分が救命救急にとってどれだけ貴重か。その認識があればもっと違う体制がとれていたはずだ。この事故を教訓にできるかどうか。医療側も教訓にしなければならない。」(神戸市西区医師35才、神戸8月6日 証言 歩道橋で何があったかE) 救命活動状況
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 「『何でや』。気がおかしくなるほど私は取り乱し、彼(智仁君)を抱いて口から息を吹き込みながら橋の下へ、そして救急車の入ってこれる所まで先導されて走った。しかし、救急車はいなかった。路上で懸命に人工呼吸を繰り返した。そこには六名の子供たちが運ばれていた。看護婦さん、お医者さんがたまたま居合わせ、私を励まし、懸命に六名を手当てしてくれた。  やっと救急車が到着したが、酸素マスクは一つしかない。三人の子供が救急車に乗せられたが、智仁の口にはマスクはなかった。救急車はそれから病院を探すため、いっこうに現場から出発せず、時間だけがたっていった。  ようやく明舞病院への搬送が決まったが、渋滞でなかなか病院にたどり着くことはできない。着いてからも医師の数が足りず、二十分くらいたって初めて智仁のところにやってこられたが、『もう手遅れだ』の一言だけで処置は終わった。私はそれでも彼の胸を押し続け、息を吹き込んでいた。看護婦さんに『もうそれ以上したら、ろっ骨がつぶれてかわいそうだから、ゆっくり寝かせてあげなさい』と言われたとき、私は手を止めることしかできなかった。」(事故四週間後神戸新聞に手記を寄せた下村智仁君の父誠治さん、神戸8月19日) 救命活動状況
午後9時9分 (機動隊員に)遅れて(南側の階段から)現場に到着した警備担当警察官が9時9分、無線で「歩道橋南詰めで将棋倒し発生」を明石署や現地警備本部に一報した。(日経7月28日)
現場の警察官が事故について初めて無線連絡(神戸8月20日)
警察の動き
午後9時10分 明石市消防本部は、市民からの通報で、「事故は将棋倒しらしい」と初めて把握。(朝日7月25日) 消防の動き
午後9時10分 被害者の病院搬送始まる(神戸8月20日) .
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(朝霧駅で帰りの切符を買っていた)わたしは事故の後に歩道橋の階段下に行ったのでどうやったら朝霧駅まで戻れるのかわからなくて友達と一緒に警備員さんに「ここからはどうやって朝霧駅にもどれるんですか?」ときいたら「ちょっとわかりません」の一言。いくら事故が起きてるからって私はすごく嫌でした。何が起きたのかわからなかったし、救急車、警察の車はいっぱい来るしすごく怖かったのにそんな対応ですごく残念でした。もう少し周辺のことをわかっていてほしかったです。(明石市民、7月24日、明石市ホームページ掲示板より、記事番号270) 階段下・警備員の動き
午後9時17分 午後9時17分、南側に救急車到着。三木優衣菜さん(8)、光永和樹君(3)、有馬千晴さん(9)、柳原勇太君(9)の4人を搬送(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
午後9時20分ごろ (朝霧)駅長らが事故の発生を知ったのは、発生から約四十分後の午後九時二十分ごろ。JR神戸支社からの連絡で初めて負傷者の救護に当たっており、JR西日本神戸支社総務企画課は「まず構内のお客さんの安全を最優先に考えたため」としている。 (Yomiuri Online7月27日) 駅員の対応
午後9時22分 明石市消防本部は、神戸市に応援要請(神戸7月23日)
午後9時22分、神戸市消防局へ応援要請。救急車10台が順次、現場へ(Yomiuri Online7月28日)
「応援要請は遅かったと感じておりますが、やはり、負傷者がそれだけの、多数と把握しきれなかった。(明石市消防本部東森茂久警防課長)」(7月23日朝日放送ニュースステーション)
消防の動き
午後9時25分 午後9時25分 南側に2台目の救急車到着。飯尾寛子さん(5)、下村智仁君(2)ら4人を搬送(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
午後9時30分 午後9時30分 南側から草替律子さん(71)ら3人を搬送(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
午後9時30分ごろ 岡田進裕明石市長に初めて連絡が入る(神戸8月20日) .
午後9時46分 加古川市に応援要請。同じころ、明石市の明舞中央病院に、亡くなった子供六人が次々と運び込まれていた。(神戸7月23日)
午後9時46分 加古川市消防本部に応援要請。救急車2台が現場へ向かう。(Yomiuri Online7月28日)
搬送は、午後10時40分まで続いた。(朝日7月25日)
消防の動き
午後9時47分 午後9時47分、南側から神戸市の救急車が有馬大君(7)ら3人を搬送(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
午後9時55分 午後9時55分、南側から白井トミコさん(75)を搬送(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
午後10時ごろ 「事故後の午後十時ごろ、明石市の幹部から電話で警備員の数を聞かれた。そのとき、とっさに百五十六人と答えてしまった。本当は百三十七人。当時も百四十人前後だと認識していたが、『多めに報告しておく方がいいだろう』と思った。自分の弱さを痛感している。ただ、うそを言ったのはこれだけだ」(会場の雑踏警備を担当した元請け会社「ニシカン」の現場責任者ら複数の幹部のうちの一人、神戸8月11日) 市幹部、警備会社の動き
午後10時ごろ 明石市消防本部のトップである消防長に初めて連絡が入る(神戸8月20日) 消防の動き
午後11時25分 事故概要について市が会見。翌未明にも断続的に(神戸8月20日) .
午後11時27分 午後11時27分、死傷者84人の搬送が終了(Yomiuri Online7月28日) 消防の動き
2001年7月22日(日)
未明〜午前7時
責任回避を図って作成された虚偽の事案報告書。明石市の歩道橋事故発生後、多数の死傷者が病院へ搬送された大惨事の裏側で、証拠隠滅作業は真夜中に着々と進んでいた。兵庫県警明石署捜査本部の事情聴取に、警備責任者を務めた警備会社「ニシカン」の大阪支社長(59)は「警備体制の手薄さを指摘されるのが怖かった」と供述、部下の女性警備員にも改ざんを指示したという。調べによると、支社長が虚偽の事案報告書を作成したのは二十二日未明。事故現場から大阪市西区の大阪支社へ向かう車中で、明石市の職員から「急いで事故の報告書を提出してほしい」との連絡を受け、現場にいた女性警備員とともに作成した。その後、明石市役所を訪れ報告書を提出。市の幹部らと数十分間、発表内容を打ち合わせた後、午前七時からの記者会見に臨み、報告書に基づいた説明を行ったという。同社から任意で事故資料の提出を受けた捜査本部は、無線交信記録簿に、本来の記入者とは別人の筆跡で「19時25分 進入ストップ(一分後解除)」などと不自然な訂正があるのに注目。支社長から事情を聴いたところ、虚偽の作成や記録の改ざんを認めたという。事案報告書は、時系列で十四項目に分けられ、事故前後の警備員の動きが記されていた。そのうち虚偽と分かったのは、「花火開始前、明石署に入場者を段階的に規制する分断入場を求めたが、必要ないとされた」「午後八時すぎ、民間の警備員がJR朝霧駅前で入場規制を開始した」など。さらに「歩道橋上で若い茶髪の男子数名が奇声をあげ、周りの客を突き飛ばしていた」という項目も、女性警備員に書き加えさせたという。 (神戸8月10日)
関係者の供述によると、支社長は事故翌日の7月22日未明、花火大会主催者の明石市の担当者から、事故の報告書を提出するように求められ、大阪市中央区の大阪支社で報告書を作成した。 その際、部下の女性社員に、茶髪について記載するよう指示。女性社員は指示に基づき、「若い男子(茶髪)数名 奇声をあげ、周りの待ち客を突き飛ばし」「機動隊へ体当たり、殴り」「その後から怪我(けが)人、病人多数発見」などと書いた。 支社長と女性社員は、同日早朝の記者会見でこの報告書を配ったうえで、「この騒動で人の流れが動いた可能性がある」などと、茶髪の若者が事故の原因であるかのような発表していた。 支社長については、この報告書で、事故の約1時間前に歩道橋への流入制限を明石署に要請したが断られた、などとする虚偽を自分で記載していたことが分かっている(毎日8月10日)
警備会社の動き
2001年7月22日(日)
午前二時ごろ〜
(質問者:捜査本部の調べによると、記者会見のときに配られた「事案報告書」については、虚偽の内容で証拠隠滅しようとした、とされる)「あれは事故翌日の午前二時ごろ、いったん、大阪支社に戻る途中、市側から『状況をメモ書きでいいから出してくれ』と言われ、現場の責任者が記憶に基づいて急に作成したもの。時刻や内容に不正確な部分があるのは確かだ。正式な報告書のつもりはなく、意図的な虚偽はない。それが、記者会見でそのまま配られていた。」    (質問者:茶髪の少年が歩道橋の上から飛び降りたり、機動隊に罵声を浴びせていた、という記載がある)「市から『記者の質問で、茶髪の少年が暴れていたという情報があるが、確かか』と聞かれ、現場の担当者が見た範囲の記載をした」「実際、会見の場で『彼らが原因の可能性はあるか』と問われ、『それは分からない』と答えている」「しかし、警察の調べでは、『茶髪の少年や警察のせいにしたいと思ったのではないか』と問い詰められ、『それは人情的にはそういうことはあるでしょうね』という趣旨で答えた。しかし、積極的に責任転嫁しようとはしていない」    (質問者:交信記録にも、改ざんした跡があるとされている)「当時、警備本部は混乱しており、無線の記録係が十分に内容を聞き取れないまま途中で席を立った。その際、書きかけの記録に自分で二重線を入れて消した。その後、記者会見で当時のことを聞かれ、記憶に基づいて新しい記載を書き加えた。改ざんではない。」「警察の調べでは、事実の見方の違いでニュアンスが変わり、戸惑うことが多い。調書の内容で『それは違うから直してほしい』と言っているのに、『次の調べのとき言ってほしい』と、そのままになっている個所もある」(会場の雑踏警備を担当した元請け会社「ニシカン」の現場責任者ら複数の幹部、神戸8月11日) 警備会社、市、警察の動き
. 事故の犠牲者は、幼児、児童が八人、七十代の女性二人の計十人。ほとんどが最初の転倒現場付近に集中して倒れていたといい、県警は転倒が始まった原因の解明に重点を置き、負傷者からの事情聴取を進めている。 (神戸7月27日)
死傷者百三十九人の男女比は男三十九人、女百人。二十八日までに判明した負傷状況の内訳は、骨折九人▽打撲・挫傷九十一人▽圧迫十八人▽過換気症候群二十一人。死亡者十人の死因はすべて圧迫による窒息だった。  
圧迫と診断された十八人のうち、十歳未満の子どもと六十歳以上の高齢者が十七人を占めた。死亡した十人も、八人が十歳未満、二人が七十歳以上の高齢者だった。(神戸7月28日)
.
                               (表作成 2001-09-09, 追加2001-11-28 北後) 
・「  」で示した証言は、本人が直接体験しているものを掲載した。
 ヒアリングとあるのは、直接、聞き取りを行ったもの。
 ただし、証言の中には、伝聞、あるいは本人の思い違いや誤解などが含まれている可能性もある。
 掲載順序は、現象が似通っている、あるいは事故発生時に居た場所が近いものを集め、
 それぞれの特徴的な現象の時間順とした。
 ただし、時間が特定されていないものについては、順序が誤っている恐れがある。
・新聞記事は、後日、明らかに誤りであったと判明したものについては、誤りを指摘する記事も掲載した。
 ただし、誤りの指摘がない記事であっても、間違った解釈が含まれている恐れもある。                  


朝霧歩道橋群集なだれ事故についての談話室でのコメント

>明石の群衆雪崩事故について
 少しでも多くの人々に読んで欲しいので、談話室に意見を述べます。
 明石の事故を知って非常に腹が立ちました。専門家として、大震災の時は心の痛みが先にたちましたが、こんかいは心の怒りが先にたちます。この違いはどこから来るのかと悶々と考えました。
 怒りがこみ上げてくるのは、阪神大震災の「万一に備える」という教訓が全くいかされていない腹立たしさに加えて、人の命を軽んじる興行主の傲慢な態度を思い起こさせたからです。
 本当の楽しみが欠落した貧困な社会にあって、人々は僅かな癒しを求めて「お仕着せのイベント」にすがりつきます。その人々の弱みにつけこんで、最近は自治体までもイベント業者と化しています。
 そのなかで、ルミナリエやUSJなどの「成功」にあじを占めて、これだけ多くの人々を楽しませているという自負も加わって、主催者の傲慢さがめだつようになっています。
 私たちが群衆混乱の危険を察知して、その防止対策の一環として群衆流の調査をいくつかのイベントに対して申し入れたことがあります。それに対する主催者の対応は惨憺たるものでした。群衆流動の調査なんてする必要がない、写真を撮られる人々のプライバシーをどう考えているのか、絶対に大丈夫なのだから余計な心配をしてくれるな、つぎづきと調査拒否にあいました。復興イベントを主催していた公告代理店の担当者は、某競馬場の施設管理者、あるいは人気のてーまパークの防災責任者それぞれが、おまえらに協力などするものかといった「さげすんだ態度」で問答無用と断られたのが、鮮明におもいだされたのです。そこに興行の成功のみを考えて、人の命などどうでも良いという姿勢が、露骨にしめされていたのです。だから今度の事故が起きたとは、いいきれませんが、安易ないべんと主義に対する警告として受け止めなければなりません。開発優先の姿勢が多数の人命を震災によって奪ったように、イベント優先の姿勢が多数の人命を今回の事故によって奪ったのです。
 私の知る限り、ワールトカップの会場の計画はまさに将棋倒しをひきおこすためにあるといってもよいほどに危険なものです。ある人気テーマパークでは、バビリオンに避難計画時の定員の2倍の観客を平気で入れています。あの震災を体験して、こうした命を軽んじる行為が平気でおこなわれていることに、憤りと共に悲しみを覚えます。
 さて、明石の群衆事故ですが、だれが3千人といったのでしょうか? 3千人どころではなく4千人あるいは5五千人の人がいたかも知れないのです。群衆密度と事故の関係をもっとしっかり科学的にみる目を育てて欲しいとおもうのです。もちろん誘導規制に問題があるのですが、群衆混乱を軽視しすぎる甘い考え方を一掃するためには、群衆というものの物理的あるいは心理的特質をしっかり見極めないといけません。
byむろさき at 7月23日(月)12時47分28秒

>明石群衆雪崩事故
 毎日放送のベストタイムで23日お昼頃放映された「事故当時の歩道橋の状況」の人の流れと、23日付け日本経済新聞に掲載された「事故当時の歩道橋の状況」の人の流れとは、まったく正反対の流れになっています。正確な報道が望まれます。関西テレビ(FNN)で報道された一般の人のビデオから判断すると、日本経済新聞の方が正しいと考えられます。
by北後 at 7月23日(月)13時58分04秒

>明石の群衆雪崩事故について
 今朝、現場をみてきました。
 一部のあまり建築防災を知らない専門家などが、歩道橋の構造を問題にしていますが、南側の階段の幅員が通路より狭くなっている問題は、今回の雪崩に対しては全く関係がありません。階段の狭いことが、むしろ通路への流入を抑制する働きをしていたと考えられ、階段がネックになったという見方は誤りです。階段がスロープだったら災害は防げたという論調については全くの誤りです。通路に参千人いたという報道など、間違った怪しげな情報がまことしやかにながれるのはどうしたことでしょうか。震災の直後もそうでしたが、メディア・マスコミ関係者の勉強不足が目立ちます。構造や若者に責任を転嫁するのは警備の問題を不問にしようとする策略のように思えます。本筋を見失わず、群衆流動と群衆混乱の勉強をされ正しい報道をお願いしたいと思うのですが・・・。
byむろさき at 7月24日(火)17時21分33秒

>明石の群衆雪崩事故について
 警備及びイベント企画者の責任を第一義に追及すべきと思います。その上で、構造上の問題についても指摘すべき点はあると思います。意図的に責任を押し付けあう動きにはもちろん注意すべきですが。
 階段の幅と通路の幅のギャップについては、もともと多くの人(3千人をはるかに上回る?)が通路にたまったのは、朝霧駅から会場への人の流れが階段で処理しきれないためであったとすると、このギャップが多くの人の滞留をつくった原因(もちろんこれは警備で制御可能)となったと考えられ、雪崩発生の前提条件を作ったという点で雪崩にまったく関係がないとはいえないのではないかと思います。
by北後 at 7月24日(火)22時32分33秒

>明石の事故
 通路の幅の問題は、一般論としては北後さんのいわれるとおりです。
 しかし、今回の歩道橋の上の滞留の生成と変質の過程については、時間の経過のなかで厳密に分析しなければなりません。滞留の位置とその存続時間、生成原因が時間の経過とともに違っています。幅員のギャップによるもの、歩道橋から花火をみる立ち止まりによるもの、対抗流の衝突によるものの3つがあります。階段のギャップが原因で滞留が生じたのならば、折れ曲がりの階段の手前で滞留が成立しているはずです。確かにそこに滞留が生じていた時間帯もあります。しかし、いわゆる押し合いアクションが成立した最期の滞留は、階段のギャップで出来た滞留が、海からの階段を登ってきた群衆に押し戻されたものではなく、それまでの滞留が途切れた隙間に、海からの群衆が殺到して通路に上がり込んで北に向かう流れができたところに、北から南への大群衆流が押し寄せてきてぶつかって形成されたもです。階段のギャップが原因の滞留が継続しておれば、帰りの階段を登る群衆は、入り込む余地はなかったはずです。なぜ、通路の端部とはいえ通路の中に入り込んだところで、北からの群衆に拮抗できるだけの流れが成立したか、を考える必要があります。階段の手前のコーナーのところは、むしろ密度が低く隙間があったために、帰りの北に向かう群衆が後ろに引くことが出来たため、一瞬の空隙ができ、つっかいぼうがはずれる形で雪崩が生じたと考えると、雪崩の方向もうまく説明が出来ます。いずれにしても、厳密に分析しないと、橋の構造がどれだけ問題であったかは、軽率にいえないと思います。その意味で、橋の構造が問題ないといった誤解を与えた表現は撤回します。
byむろさき at 7月25日(水)00時29分37秒

>明石群衆雪崩について
 群衆災害を理解するうえてのテキストを紹介します。
 全て安倍北夫先生の本です。入門群衆心理学(大日本図書)、災害心理学序説(サイエンス社)で、アーチアクションなどの説明があります。
 ちなみに、室崎の「建築防災・安全」(鹿島出版会)の「安全のための人間工学」の部分にも、密度とパニックの関係について記述しています。
bymur at 7月27日(金)10時58分59秒

>明石群集なだれについて
 「災害心理学序説」の弥彦神社事件の記述を読んでみました。かなりの共通性があることがよく理解できました。文献として、この4月からの朝ゼミで読んだSFPEのFIRE PROTECTION ENGINEARINGの第15章(Movement of People, Jake Pauls著)にも、群集行動とそのマネジメントについて記述してあります。こちらは1970年代のサッカー場やロックコンサートの群集事故についての紹介と、これらを避けるための指針が記述されています。
                                                         byHOK at 7月27日(金)21時15分02秒

>明石群集なだれについて
久しぶりに掲示板を訪れてみて、大変興味深い内容に目をとめたので書き込みをしました。
確かに最近ではさまざまなイベントにおいて、安全よりもむしろ利益や話題性を重視した対応がなされていると思います。私は、こういった事件でいつも一番弱いとされる幼児やご高齢の方が犠牲になることがとても悲しいです。親のエゴで本人の意思とは無関係に花火会場にきていたであろう幼児が、大人たちに守られることなく貴重な命を無くしたことは、大変ショックなことでした。室崎先生や北後先生の見解を読んで、マスコミからの情報しか知らなかった私は、自分のこの事件に対する今までの見方を心から改心しました。おそらく多くの人がこの事件に関して私がそうであったように、警備体制や橋の構造の問題であると思っていると思います。それも確かに要因の一つだと思いますが、何よりも人々の欲望からおこる複雑な(単純とも紙一重ですが)行動と、それを予測できていながら危険を顧みず来場人数を競うようにイベントの成功を求めた主催者側の心構えが尊い命を奪ったように思います。ぜひ専門的な分野内にとどまらず、イベントに参加する市民や、専門知識なしに安易にイベントを開催する主催団体への警鐘となるような論文を広く普及させてください。

とつぜんに生意気なことを書いてしまってすみません。
またおじゃまします。
by卒業生 渡辺 at 8月6日(月)23時30分31秒

>事故調査委員会について
いろいろ考えた末、花火大会事故についての事故調査委員会の一員に名を連ねることにしました。行政に取り込まれて大丈夫か?と、多くの友人は、心から心配して声を掛けてくれます。たしかに、事故調査委員会に入って何の得にもならないことは明らかであるし、後述するような限界のあるなかでの作業ゆえに、中途半端な報告しか出せないことも明らかです。外から批判をするほうが精神衛生もいいし、格好よくふるまうこともできます。
しかし、私は「すすんで」この調査委員会の委員になることを引き受けました。同じような事故を繰り返さないために、なにが最適な行動かを考えたうえのことです。事故の再発予防という公益をまもるために、真実と教訓をひきだすことが、この調査委員会の中で市民の声をパックですることができる、と判断しました。とはいえ、警察のように捜査権があるわけでもなし、航空機事故調査委員会のように調査権が与えられているわけではありません。悪くすると、明石市から提出される資料だけで、原因の究明をしなければならないわけで、警備会社や警察にヒアリングすることも資料請求することもできないなかで、一体何を根拠に警察やこの事故を曖昧にしようとする「抵抗勢力」と戦えばいいのか、悩みはつきません。
といって、手をこまねいていてもしかたがありません。何万人という、真実を見届けた被災者を含む目撃者が、この事件には存在するのです。これだけの人々の目を欺いた結果を出すことは出来ないはずだ、と思うのです。ここに、私がこの調査委員会の可能性にかける根拠があります。
そもそも、警察の調査というのは、航空機事故でもビル火災でも、犯人を明らかにするために原因の究明をします。それは、立場上しかたがないことです。しかし、そのことは罪を恐れる人々の口を重くしたり、警察に不利な証拠隠しにつながらざるを得ません。事故再発防止のための原因追求とは違うのです。いま、私の読んでいる、山本善明さんの「日本航空事故処理担当」という本の中に、「事故が発生した時、関係者の刑事責任を追求することが公共の利益にかなうのか、同種事故の再発防止という防災対策を徹底的に行うことが公共の利益にかなうのか」というぐだりがあります。私は、むろん責任(とりわけ行政責任や道義責任も含めて社会的責任)をあいまいにするつもりはありませんが、とかげのしっぽきりのように、だれかを犯人に見立ててせめまくる構図は、この事故については好ましくないと考えているのです。「あなたの罪を刑事的には問わないから、本当のことを言ってください」というのが、私および事故調査委員会のとるべき態度だと考えています。心あるみなさんが、どうのような情報でもいいからおよせくださることを、期待して・・・。

byむろさき at 8月11日(土)11時04分56秒



 
 明石市の掲示板からの転載

  http://www.city.akashi.hyogo.jp/katarou/simicom/simicom.html

明石の事故の本当の原因はどこ?

記事番号 日付 投稿者
527 2001/07/29 みーくん

明石の事故について、今後のこともあるので、少しだけ書かせていただきました。
亡くなられたこどもの声を代弁します。


警備とか、警察とか、救助方法などいろいろ悪いと言われていますが、最大の事故原因は、なぜ橋の上で人が止まってしまったのかです。私は、1時間前、朝霧駅のホームにつきました。既に人はいっぱい。
考えるまもなく、電車は行ってしまいます。でもホームに並んでいるのは、改札を出るための渋滞と思い、少しずつ動くので、取り合えず、改札を出ることにしました。
時間にして10分ぐらい。そんなにたいしたことなく改札を出ることができ、帰りの切符を買うのも、大阪駅でJRの切符買うほど並んでもいなかったので、帰りの切符を買って、それから歩道橋です。私は子供3歳5歳2人をつれていましたが、時間はゆっくりあるので、ゆっくりでも進めば海岸につくとおもい、歩道橋を渡ることにしました。真中辺りからほとんど進まなくなりました。5歳のこどもは歩かせていたのです
が苦しいと言い出したので、(酸欠か、暑さ)抱っこしました。その状態で、少しずつでも前に行くことを試みました。
4分の3ぐらい渡った辺りで花火が始まりました。みなさん花火どこに見えたとおもいます?橋の真正面(橋の天井)です。私はびっくり!もっと西と思っていたのに。
でなんとか人ごみをすり抜けながら、海岸までたどり着くことが出来ましたが、階段を下りる人は1列だけでみんな止まってしまっています。
歩道橋の下では、人がいっぱいで、橋から渡ってくる人が降りられるスペースなどありません。その30m離れると、芝生でけっこう空間が空いています。私はそこまで行って花火を見ました。
花火をもっと西向き300mのところで行なっていれば、人は立ち止まらず、歩道橋で立ち止まっていなかったと思います。カウントダウンのときは私は行かなかったのでわかりませんが、花火はたぶん同じ場所と思います。
想像ですが、カウントダウンは夜中なので、今回みたいに小さなこどもは少なかったのと、気温が低かったとおもいます。
しかし今回は小さなこどもの夢ですから、こども沢山行きますよね。この辺りが大きな違いではないでしょうか。

それから、橋の上で押したといいますが、止まっているのはみんな押していないんだよ。押したら動きます。
花火が終わって、スムーズに海岸に行った人が、帰り方向に向かって橋を渡ろうとしました。この人たちは、橋の上の状況は知らないから。私など、いま渡ってきたところに行く気もしない。このとき帰る人を30分待たせるか、大回りすれば助かったかな。(あとの後悔)
橋の上の人は、いままで橋の上で命かながら、辛抱して進むのを待っている人に向かって、逆向きに帰れでしょ。
おまけに押してこられると、いよいよ、押し合いになったんだと思います。このときは橋の上ではないので想像です。凄かったとおもいます。

しばらくして、子供が倒れているのが目の前です。どこから運ばれてきたのかもわからなかったのですが、
救助できる方応援要請の消防車のマイクで、私は飛び出し、こども達の人工呼吸をしました。
このときは、なぜこどもが意識不明の重体かはわからず、私が橋を渡った経験から、暑さと酸欠と思っていました。
とにかく小さい子供ばかりだったので、そう思いました。
救急車が3人乗せて病院に運ばれてからも次から次と、重体のこどもです。
2車めが出発してもまだ、運ばれてきます。
人工呼吸も次から次とです。
今度は消防の指令車(ワゴンタイプ)の車で、こどもは運ばれました。
しばらくすると、パトカーが、タクシー状態で負傷者を運びました。
本当にたいへん。このとき看護婦さんと思われる方3人、医療関係と思われる方1人はてきぱきと私にアドバイスしていただきました。
南側で、必死に頑張っていました。一人の看護婦さんは、1台目の救急車でいっしょに乗って蘇生しながら病院までついて行きました。
私のこどもも気になりながら、とにかく人命救助は、みんな一生懸命でした。

掲示板では、親が悪い、歩道橋渡ったものが悪い、警備が悪い、など人ばかり責めているけど、
花火の位置がもっと西であれば人が流れたとおもうのが、残念。
場所的な、全体の位置が問題であったように思う。
現場で、警備、ハンドマイクもなく、人を誘導する道具がないので、
警備も人の誘導までは出来なかっただろうし、
また、橋の上の情報、私は警備の人に思いっきりいったけれども、伝わらなかったのだろう。
伝わっても、その場で判断できる人がいなかったんだろう。このあたりは私はわからないけど、
橋の上の状況は言ったよ。橋の階段のところにいた警備員にも、本当に危ないよって。
そのあと本当になるとは(涙)