新興型腸炎ビブリオの流行要因に関する研究

 腸炎ビブリオは沿岸付近の海水および魚介類に広く分布する細菌で、この中でTDHあるいはTRHを産生する一部の菌株が食中毒を起こす。食中毒の原因となる株については11のOおよび65のK抗原の組み合わせにより血清型別されている。1996年以降、O3:K6血清型株による事例がアジアを中心に頻発するようになり、これらの菌株は様々な分子学的手法から同一のクローンから派生したと考えられ、新興型腸炎ビブリオ(pandemic strain)と総称されている。新興型腸炎ビブリオによる事例は現在、アジアだけでなく米国や南米、ヨーロッパ、アフリカの国々まで広がっている。また近年、血清型がO3:K6から変換した新興型株による事例も各地で報告されている。しかしながら、新興型腸炎ビブリオとそれ以外の株間で毒素産生量や抗生物質感受性、様々な環境ストレスに対する感受性等が両者にはっきりとした差異は認められておらず、なぜこのように世界的な流行を起こしているのかについては未だ明らかになっていない。そこで、本研究では新興型腸炎ビブリオの世界的流行の要因について新たな知見を得るため、新興型腸炎ビブリオに特異的な遺伝子および特徴的な表現型と考えられる次々に出現する新 興型腸炎ビブリオの異なる血清型について解析した。
 まずゲノムサブトラクション法により新興型腸炎ビブリオ特異的な遺伝子の同定し、その遺伝子の機能から流行要因との関連性を明らかにすることを試みた。本法により1株例外が認められるものの供試された新興型株55株中54株が保有し、非新興型株98株すべてが保有しなかったDNA断片が1つ検出された。この断片は新興型株に特異的に挿入していると報告されている16-kbのDNA配列に含まれており、この挿入配列はファージ由来であることが示唆された。また、この16-kbのDNA配列がヒストン様DNA結合タンパクHU-αのORFに挿入しており、この影響でHU-αの構成アミノ酸のC末端に置換および付加が起こっていた。以上から、16-kbのDNA配列の遺伝子、あるいはこの配列の挿入によるHUの変異が腸炎ビブリオの流行要因に寄与している可能性が指摘された。しかしながら、挿入配列を構成する遺伝子に関してはファージに関連する遺伝子以外は全て機能が明らかになっておらず、またHUに関しても様々な遺伝子の発現調節に関連している事から、流行要因につながる表現型を予測する事はできなかった。
 そこで、新興型腸炎ビブリオ特徴的な表現型として、比較的短期間に次々と異なる血清型の株が出現している事に着目し、抗原性の変換は宿主の免疫系やファージによる感染を逃れ、流行に優位となりうるのではないかと考え、第二章では新興型腸炎ビブリオの抗原変換に関連する遺伝子群の同定を試みた。腸炎ビブリオのK抗原の決定基に関しておよびO:K抗原の合成に関連する遺伝子群に関してはその詳細が明らかになっていない。腸炎ビブリオはLPSのO-side chainを持たず、core OS領域がO抗原として認識されていることがわかっている。しかしながら、全ゲノム配列が決定されている新興型腸炎ビブリオO3:K6株RIMD2210633はV. choleraeのcore OS合成関連遺伝子群だけでなく、O-side chain合成関連遺伝子群とも相同性がある遺伝子領域を保有することが相同性解析により明らかになった。PCR-RFLP解析によりこれらの領域と腸炎ビブリオの血清型との関係を調べたところ、V. choleraeのcore OS相当領域は腸炎ビブリオのO血清型に、O-side chain相当領域はO血清型ではなくK血清型と相関があると考えられた。
 以上から、この領域が血清型の違いに関連していると考え、O4:K68株の同領域の塩基配列を決定し、O3:K6株と比較した。さらに、決定したO4:K68株の同領域の遺伝子の保有分布を他のO4やK68血清型株を含む様々な血清型株で調べたところ、O4およびK68に特異的に保有されていると考えられた。以上から、新興型腸炎ビブリオO4:K68血清型株は約50 kbpのO3:K6抗原関連遺伝子群が1ステップあるいは2ステップの相同組み替えを介して、本研究で決定した同領域と入れ替わり、O3:K6血清型株より派生したことが示唆された。最後に、O3:K6と他の血清型の新興型腸炎ビブリオ株間の抗原関連遺伝子群の境界領域について解析した結果、V. choleraeのrjgに相当するORFの周辺遺伝子の構造が新興型腸炎ビブリオO1:K25株において、新興型でないO1:K25株とは異なり、新興型腸炎ビブリオO4:K68株と類似していることが明らかになった。これは新興型O1:K25株とO4:K68株は系統的に関連性があることを示唆している。また、本研究で使用したO3:K6以外の血清型の新興型腸炎ビブリオ株はrjgに相当するORFを一部あるいは全て欠失していることが分かった。rjgはV. choleraeにおいて多様なDNAの組み 換えの際に足場となっている可能性があることが報告されており、このrjgに相当するORFの欠失が新興型腸炎ビブリオの抗原変換に重要な役割を果たしている可能性が指摘された。
 本研究で新興型腸炎ビブリオの決定的となる流行要因は明らかにする事はできなかったが、特異的な遺伝子配列を同定し、それが何らかの影響を与えている可能性を示す事ができた。また、流行の要因となりうる血清型の変換に関連する遺伝子群を同定できた。

 
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