I. はじめに

 

 明治19年に世界でも二番目の臨海実験所が帝国大学附属として神奈川県三崎町に設置されてから112年が経過した。明治の先達が近代国家創成中の困難な時期に、基礎的生物学の教育研究のための施設を世界に先駆けて設立したことは、今日振り返ってみても驚きに値する。三崎臨海実験所の設立によって臨海実験所が基礎的な生物学の教育研究に必須であることが認識されると、その後多くの大学に臨海実験所が付設されるようになった。

 その結果、第二次大戦前には、厚岸、室蘭海藻研(北海道大学)、浅虫(東北大学)、下田(東京文理科大学)、菅島(名古屋大学)、瀬戸(京都大学)、向島(広島文理科大学)、天草(九州大学)が開設され、大戦後には、佐渡(新潟大学)、能登(金沢大学)、館山(お茶の水女子大学)、岩屋(神戸大学)、玉野のち牛窓(岡山大学)、隠岐(島根大学)、宇佐(高知大学)、中島(愛媛大学)、合津(熊本大学)、瀬底(琉球大学)がそれぞれ設立された。

 わが国における基礎的な生物学の教育研究の発展は、これらの実験所の歴史を抜きには語れない。地の利を活かして特色ある教育研究を展開してきたそれぞれの臨海実験所では、多くの若者が臨海実習を通して多種多様な海洋生物に接し、その分類学や生態学に強い関心を抱くようになった。また、海産動植物を用いた発生学、生理学、生化学等の今日の隆盛も臨海実験所の教育研究に依るところが多い。

 一方、陸水学の教育研究を行うために、大正3年には京都帝国大学に大津臨湖実験所が開設された。この実験所の陸水学あるいは生態学への寄与は、海洋生物学に対する三崎臨海実験所に匹敵し、数多くの業績とその分野の幾多の俊秀を輩出してきた。戦後、諏訪(信州大学)と涸沼のち潮来(茨城大学)が開設され、さらに広範な教育研究が行われるようになった。

 これら臨海臨湖実験所で長年にわたって培われた研究業績は、質、量ともに高い水準にあり、世界的にも高く評価されてきたことは、実験所のスタッフや利用者の中から国際生物学賞(柳町隆造博士)、ピオ11世金メダル (金谷晴雄博士)、文化功労者(団勝磨博士、金谷晴雄博士)、学士院賞(川那部浩哉博士)、紫綬褒章(毛利秀雄博士)や朝日賞(渡辺浩博士)の受賞者をはじめとする国内外の各種学術賞の受賞者を数多く輩出してきたことからも明白である。

 こうした教育・研究の業績を基にして、近年、臨海臨湖実験所のいくつかはセンター化され、教育研究内容のさらなる充実が図られている。下田臨海実験所は筑波大学臨海実験センターに、大津臨湖実験所は京都大学生態学研究センターに、岩屋臨海実験所は神戸大学内海域機能教育研究センターに、宇佐臨海実験所は高知大学海洋生物教育研究センターに、瀬底臨海実験所は琉球大学熱帯海洋科学センターを経て熱帯生物圏研究センターに、隠岐臨海実験所は島根大学生物資源教育研究センターに、そして潮来臨湖実験所は茨城大学広域水圏環境科学教育研究センターに改組された。

 しかし近年、生物科学は誰もが予想できなかったスピードで急速な進展を続けており、臨海臨湖実験所における教育研究内容も抜本的刷新が求められている。また、得られた成果を世界の若い研究者、特にアジアを中心とした新興国の若い学生たちに、還元したり、地球環境問題の解決などの応用的側面に向ける必要性にも迫られている。

 国立大学臨海臨湖実験所所長会議では、新しい時代に対応した臨海臨湖実験所の教育研究のあるべき姿を求めて、自己点検評価検討部会、公開臨海臨湖実習検討部会、将来構想検討部会等を発足させ、鋭意検討を進めてきた。本白書はこれら部会のうち前二部会の2年間にわたる活動の成果を取り纏めた中間報告である。本報告をもとに将来構想検討部会では、臨海臨湖実験所の将来のあるべき姿について検討を重ねており、いずれ最終報告として纏めたい。

 本白書からは、必ずしもスタッフの人数に恵まれているとは言い難い小さな実験所群が予算的にも制約が多い中で、精いっぱいに教育研究の実を挙げるべく懸命な努力を重ねている様子が、あらためて浮き彫りにされている。本白書が、新しい世紀に向かって臨海臨湖実験所のあるべき姿を各界で論議するための基本的資料となることを心から願っている。

 なお、基礎生物学研究所毛利秀雄所長と琵琶湖博物館川那部浩哉館長には、本白書に眼を通していただき忌憚のない第三者評価をしていただいた。併せてご覧いただきたい。

                      平成10年3月10日

                   国立大学臨海臨湖実験所所長会議
                   議長 道端 齊
                   (広島大学理学部附属臨海実験所)