戻る

MUR談話室
本当に必要な研究 むろさき  2003/07/19 (土) 09:37
 震災10年を前にして、本当に大切な研究が一向に進まないことに、あせりと責任を痛感しています。防災バブルといわれるほどに、研究費(大本は税金)がふんだんにある、いまの状況はよろこばしいのですが、それに相応しい研究が展開さているかといえば、決してそうではありません。なんのため、誰のために研究するのか、今一度問いかけたいと思います。
 たとえば、災害の危険度想定の手法はどれだけ前進したのでしょうか? たくさんのお金をかけて、むしろ間違った危険な手法が開発されている現状をみるとき、もっと現場に密着して、被害の実相から研究をすすめて欲しい、とおもいます。その想定の結果が、何百人、何千人の命を左右しているということを、その研究に携わっている人は知っているのでしょうか? 防災バブルは危険な落とし穴であることを、今一度確認する必要があります。

9年目(8周年)の1月17日を迎えました。
 次の大地震が切迫する状況での1月17日です。
 2度と無数の尊い命を犠牲にしてはならない、と気持ちを新たにする日です。
 心静かに5時46分を迎えようと思います。お祭り騒ぎを戒めつつ・・。
by むろさき at 2003年1月17日(金)01時19分

新年あけましておめでとうございます。
 日頃からの「震災犠牲者聞き語り調査」へのご協力感謝致します。
 さて震災8年を迎えます。にもかかわらず「犠牲者調査」は、300人ちょっとのところで足踏みです。私たちの努力不足を痛感しています。このままでは、とても6千人は無理です。といって、いまさら匙をなげるわけには行きません。一人一人つくられた記録(冊子)は、極めて貴重なもので大切な教訓や被災の思いが詰め込まれています。それだけに、ひとりでも多くの人々の記録の採集を、力ある限り続けたい、続けなければならない、と思います。といって、現実にある大きな壁(被災者の遺族がみつからない、みつかっても協力が得られないという壁)はとても大きく、このままでは無惨かつ無責任な結果になってしまいます。始めからわかっていたことですが、ちっぽけな私たちの研究室だけでは、とてもできるはずのない膨大な作業だったと、思います。この歴史的な作業を独り占めする意図など、さらさらなかったのですが、結果的には、私たちの研究室が一人請け負う形になってしまいました。記録をのこす取り組みを、大きな国民的な運動あるいは被災地の運動として提起し得なかった「誤り」をわびなければなりません。ということで、いまさらということですが、一人でも多くの人々が身近におられる犠牲者の記録をどんな形でもいいので、残す取り組みをしていただけませんでしょうか。千人の人々が一人ずつ記録をつくるだけで千人の記録ができます。その記録を無理やり私どもの手元にあつめようとはおもいません。ともかく犠牲者の思いや無念さ、遺族の悲しみを記録にのこすことが、これからの防災につながるということで、ご協力をお願いします。
 なお、印刷その他の経費が必要でしたら、私どもの研究室で可能な限り支援させていただきます。一人でも多くの記録を後世に残すために、是非ともお願い致します。
 また、いままで記録されたもので遺族の了解が得られたものは、「人と防災未来センター」の閲覧室でご覧になれます。震災というものを理解するために是非ともご一読下さい。
by 室崎益輝 at 2003年1月8日(水)12時56分

再び、裸の建築家について
 むろさき  2002/09/08 (日) 11:13
 布野さんの「裸の建築家」は、近著ではなく旧著でした。建築家の職能論はそれなりに読ませるのですか、タウンアーキテクト論はもう少し突っ込みが・・というと、失礼でしょうか?
裸の建築家 むろさき  2002/09/07 (土) 09:28
 友人の一人である京大の布野修司さんから、彼の近著の「裸の建築家−タウンアーキテクト論序説」をもらいました。いままで私が、講義や講演会で主張していたことと同様の内容が、論理的かつ刺激的に語られています。一晩で読破しました。建築家のあり方(もちろん安全への責任のとり方)を考えるうえで参考になります。一読をお勧めします。

>震災遺族の方々をご紹介下さい
 震災犠牲者聞き語り調査を開始して4年を迎えます。6千人の犠牲者の方々の記録をひとり残らずという「熱い」思いで取り組んだものの、私の努力不足もあってやっと300人の方の記録をとりまとめることができました。それらの記録は、この春に開設された「人と防災未来センター」の資料室に納められ、歴史的記録そして犠牲者への弔意の形として、永遠に保存されることになります。しかし、6千人のうちの300というのはあまりにも少なく、阪神大震災を語り継ぐには、極めて不十分です。
 なんとかして千人そして2千人と諦めずに記録を残したいと考えています。そこで、もしご遺族の方を御存知でしたら、おしらせいただければ幸いです。今、最大の難関は、震災7年を経て、ご遺族の所在が私たちには、掴めない,ということです。切に、ご協力お願い致します。

by室崎 at 2002年4月30日(火)10時00分

>人と防災未来センター
 人と防災未来センターがオープンしました。是非ともご覧いただき、感想やご意見をお知らせ下さい。企画段階から携わっていたものとしては、安堵の気持ちと消化不良の気持ちが入り交じった複雑な思いで、参観者のご批判を甘受しています。
 オープンしてみて、1)現場とのつながりを失った資料や遺品のメッセージ性の弱さ、2)市民が手や肌で感じる部分の少なさ、3)双方向性の仕掛けの硬さが、気になります。反省点です。
 映像については、被災地の人々と被災地外の人々の反応が、予想通り両極端にわかれました。震災の悲しさから目をそらさないこと、復興を美化しすぎないこと、などに腐心したつもりですが、反省すべき点は多々あります。第2の映像については、少し「甘い」と私は感じていますが、いかがでしょうか。進化する展示あるいは市民参加の展示ということから、早速、次の展示にむけ改善策を考えていこうと思っています。
 私が力を入れたのは(それにしてはすぺーすも狭いし、チャチなできばえですいません)2階の情報ワゴンやワークスペースです。こども達が必死に手を動かしてトライしてくれているのをみると、もっと、このスペースを豊かにしたかったと思います。
 さて、もし私の解説付きでご覧になりたい方がおられれば、遠慮なく申し出てください。多分(すこし自信過剰ですが)、誰にも負けない震災展示解説ができます。1時間コースから5時間コースまであります。

by室崎 at 2002年4月29日(月)14時29分

>暴走する世界について
 アンソニー・ギデンズの「暴走する世界」(ダイヤモンド社)を読みました。ギデンズからみると、グロバリゼーションについてやや否定的な態度を取っている私は、懐疑論者あるいは旧左翼ということになりますが、ギデンズの考え方には共鳴するところが多く、久しぶりに充実感を覚えました。リスクの管理の話や伝統の考え方など、私がいいたかったことをずばりずはりと言いはなっているので、痛快です。家族や結婚についての考え方にも、共感するものがあります。ひまのある人は、是非お読み下さい。

by 室崎 at 2002年3月10日(日)16時00分

>オープンゼミナール
 50回目のオープンゼミ、60人ほどの参加で、無事終了しました。ご参加された皆さんのご協力の賜物です。とくに、台湾から参加のショウさん、東京から参加の鈴木恵子さん、村田さん、上西さん、復興塾から参加の石東さん、上田先生、野崎さん、久しぶりの多田千佳さん、山口浩史くん、その他の皆さんごくろうさまでした。
 蘇先生、立木先生の話も、50回にふさわしく素晴らしもので、もっと多くの人に聞いてもらいたかったと思います。立木先生の話は、現代の時代の課題を考えるうえでも、私たちの調査のいい加減さを反省するうでも、しっかりと受け止める必要があるでしょう。そにしても、本当の市民の方の参加が極端に少ないのが、反省しなければなりません。折角、市民に開かれた研究室をめざして開催しているオープンゼミなのに、市民にうけとめられないのはどうしてでしょう。大学と市民との距離を埋める努力がまだまだ足りないということでしょう。100回目のオープンゼミにむけ、市民が気楽に参加できるよう、もっと近づく努力をしなければと思います.

by室崎 at 2002年3月2日(土)23時42分

>明石事故調査委員会の報告書
 
明石の花火大会の事故調査委員会の報告書が発表されました。明石市のホームページからはいることができますので、ご一読ください。様々な制約のある中での報告書ですが、それなりに意味のある報告書になっていると思います。

byむろさき at 2002年 2月 1日(金)11時09分

>アイウォークのこと
 今年から、私たちがとりくんでいたアイウォークがなくりました。主催に関わっていたものとしてとても複雑な心境です。続けるだけの力かなかったこと、そしてなによりもそれに共感する被災者の連帯がなかったこと、を自省しなければなりません。
ただ、私にとってアイウォークは運動というよりも、巡礼としての意味が大きかったと思います。被災地を歩いて、震災後一緒に涙した人々と改めて手を結ぶ、そして二度と同じことを繰り返さない誓いをする、場だとおもっています。だから、アイウォークがなくなっても、被災地がある限り、巡礼は続けるべきだと思います。それで、1月17日は、一人ででも、大黒公園から御蔵まで、多くの友人や被災者を訪ねて歩こうと思います。17日は、おまつりをするためにあるのではなく、静かに慰霊を弔う為にある、と思います。
むろん、例年とおり、5時46分には、震災火災の現場を、心に刻むため、長田にまいります。今年は、みくらとくにづかにまいります。よろしく。

byむろさき at 2002年 1月 16日(水)10時01分
>震災8年目を迎えて
 震災後7年を経過し、8年目を迎えようとしています。
 いつも1月17日を迎えると、心が微妙にゆれ動きます。
 特に今年は、色々と思いが複雑です。後ろ向きではない「区切り」をどうつけるか、いつまでも感傷にひたっていても、という思いがつよいのです。この7年間はなんだったんだろうという、自らを責めたてる気持ちも強く、そろそろ震災を乗り越えて自立しなければと思います。
 やはり、一人の防災研究者に立ち戻ること、そこで世界のだれにも負けない立派な仕事をして初めて、震災を克服するあるいは被災に報いることになるのでは、と考えています。それには、時間と心のゆとりが必要です。それには、すこしだけ、震災とも被災地とも距離をおかねばなりません。
 震災前にやらなければと考えていた研究課題にもとりくまねばなりませんし、不義理をしていた親孝行をするように学生孝行をしなければなりません。聞き語り調査も、いい加減にせず、今年は私が率先して調査に赴くようにしたいと思います。
ということで、少し私に自由な時間をいただけるよう、ご配慮をお願いしたいと思います。被災地から少し距離をおくようなことがあっても、それは急がば回れということと、ご理解されお許しいただければと思います。
 限りある残された時間を、悔いのないよう頑張って進んで行きたいと思っています。

by 室崎益輝 at 2002年 1月 14日(月)11時33分