神戸大学農学部・大学院農学研究科・インターゲノミクス研究会

宅⾒ 薫雄 先⽣ 
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宅見さんのベスト・ワーク(私見)

農学研究科・教授 松岡 由浩

Okada M, Yoshida K, Takumi S.
Hybrid incompatibilities in interspecific crosses between tetraploid wheat and its wild diploid relative Aegilops umbellulata.
Plant Molecular Biology 95: 625–645 (2017).
https://doi.org/10.1007/s11103-017-0677-6

 宅見さんと知り合ったのは恐らく1994年頃のことでしたので、亡くなられるまで、26年ほどのお付き合いがあったことになります。当時宅見さんは、石川農業短期大学(現在は石川県立大学)で、パーティクル・ガンを用いたパンコムギの形質転換法の確立に取り組まれていました。ちょうど、それまで分子生物学的な解析が難しかったパンコムギでも色々な解析ができるようになり、たとえば、他の生物で同定された遺伝子のホモログを、PCRを使って単離することができるようになった時期でした。新しい実験手法を積極的に導入して果敢に研究を展開される宅見さんの姿に、1つ年下の僕は大いに刺激を受けておりました。その後、宅見さんはパンコムギの形質転換に成功され、海外からスカウトの声がかかるほどでしたが、1997年に神戸大学に移られた頃から、よりコアな「遺伝学」の方へ研究をシフトされ、表現型と遺伝子の関連を進化的な時間軸に沿って理解することを目指されるようになられたようにお見受けしておりました。「やっぱり、進化の研究をせんといかん」とどこかでいわれていたのを憶えています。そのような研究を近縁野生種を含めて行うことで得られる知見が、将来のパンコムギの品種改良に貢献することを、宅見さんは、早くから見通されていたように思います。

 宅見さんは、動植物を問わず、発生遺伝学、生殖遺伝学、細胞遺伝学、エピジェネティクスなどに関する深い知識をおもちでした。そして、そのような造詣に裏打ちされた多くの優れた論文(手元のリストによると155報)を残されました。この珠玉のリストの中から「ベスト」を選ぶのは大変難しいのですが、僕なりの基準で選ぶことが許されるとすれば、冒頭の作品を取り上げたいと思います。パンコムギ近縁野生種は約20種存在しますが、宅見さんは、パンコムギDゲノムの祖先であるタルホコムギを使って、種間雑種の生育不全に関する研究を精力的に進められました。そして、上に掲げた論文で、別の種(Aegilops umbellulata)を用いて、タルホコムギで培った方法論がパンコムギ近縁野生種研究において一般化できることを共著者とともに示され、それによってコムギ遺伝学の未踏査で豊かな領域が切り拓かれました。

 リストをみると、当時の学生の方々が共著者として頻繁にクレジットされていることに気づきます。そして、そのような方々の中には、現在研究者として活躍されている方が多くおられます。上掲の論文は、その点においても例外ではなく、神戸大学で長く教鞭をとられた宅見さんの教育者としての功績を記念するものとなっています。

宅見先生の業績解説

博士後期課程2021年3月卒業生(現新潟大学農学部助教) 岡田 萌子

1人1マップ計画から1人1野生種計画へ
〜コムギ・エギロプス属の種間雑種形成と種内多様性に関する研究〜

 2014年頃からの宅見先生のご研究は、パンコムギ、タルホコムギの研究で得た知見をもとに、他の野生種を用いた研究へと発展していきました。特に種内の多様性や種間雑種成立の可否、これらの知見を利用したコムギ育種への応用を念頭に精力的にご研究を進めておられました。特に「1人1野生種計画!」と言って、それぞれの学生に別の野生種を担当させ、雑種生育や遺伝的多様性を調べる計画を着実に遂行しておられました。

 私はちょうどこの「1人1野生種計画」が始まった2014年から宅見先生にお世話になり、カサコムギ(Aegilops umbellulata)という野生種を対象とする研究を始めました。マカロニコムギとカサコムギを交雑すると起こる雑種の表現型を評価し、生育異常の分子機構を明らかにした論文は、私が宅見先生と初めて発表した学術論文で、2017年にPlant Molecular Biology誌に掲載されました。58系統のカサコムギは開花などの表現型に多様性があること、マカロニコムギとタルホコムギを交雑して起こる雑種致死や雑種矮性と、カサコムギの場合を比較すると、雑種致死は同じ分子機構である一方で、雑種矮性では表現型は似ているが分子機構が異なることを、20ページにわたって報告しました。この論文はカサコムギの可愛らしい見た目も相まって、掲載号の表紙を飾りました。「写真は綺麗に撮らなあかん!」と日々カメラを持って圃場に出ておられた成果でもあります。

 この論文では材料について、さらっと1文で、「マカロニコムギの未熟なおしべを取り除き、カサコムギの花粉をかけることで雑種を作った」と書いています。しかし58種類のカサコムギの開花時期は、3月下旬に咲くものから5月下旬まで花が咲かないものまでバラバラです。しかも、カサコムギは朝8時から9時の1時間ほどしか花が咲きません。つまり、掛け合わせはこの1時間ほどが勝負。3月下旬から5月下旬まで、ほぼ毎日、朝7時半には圃場に出て、職業病であるコムギ花粉症に苛まれながら掛け合わせをする。こうした日常が詰まった1文なのです。これは宅見先生だけでなく、植物遺伝学の研究室メンバー全員の日常でした。この頃は本当に毎日、圃場で栽培実験、交配実験に汗を流しながら、コムギ遺伝学の面白さを話し、新しく発見した現象に目を輝かせ、他愛もない雑談をしており、今も会話の内容を詳細に思い出せるほど本当にいい思い出です。

 今振り返ると、研究室に所属していた時期は、個性豊かな野生種を圃場・温室でたくさん育て、毎日温室・圃場に出て、これとこれを交配するにはこっちを早めに播種して…、この種は夕方にしか花が咲かないから…、と日々工夫し、コツコツと進めてこられた材料が研究対象にまで育つ過程を本当に近くで毎日見ていた時期でした。1シーズンに500〜600交配をするという驚異の交配実験数には頭が下がります。2017年のカサコムギ論文だけでなく、連鎖解析や雑種生育異常、合成小麦に関する論文群は特に、この計画的に進められた材料作りが宅見先生のご業績を支えていたことを象徴しているように思います。

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