ELSI(エルシー)とはEthical, Legal and Social Issues(倫理的・法的・社会的問題)の略称です。ELSIを簡潔に定義するならば、「新しい科学技術を実際の社会に導入する際に、科学技術上の問題とは別に生じる様々な倫理的・法的・社会的問題を検討しその解決をめざすこと」と表すことができるでしょう。もともとは欧米において、遺伝子研究など医療研究の場面で提唱され始めたもので、現在では医療のみならず生命科学やコンピュータ科学など、様々な先端科学技術に適用されるようになりました。
現代の社会では、様々な先端科学技術(例えば医療に関しては遺伝子医療、再生医療、生殖補助医療など)が日進月歩で発展しており、多くの人々がその恩恵を享受しています。しかし一方ではそうした進展に応じて、従来は想定されていなかった様々な倫理的・法的・社会的問題が浮上し、それらの解消や解決が課題となっています。例えば、人工呼吸器などの装置は終末期の患者に用いられた場合、「死に際」の苦しみを長引かせることがあり得ます。いわゆる安楽死や尊厳死が法的に認められれば、そうした苦しみから人々が解放されるかもしれません。しかし、重い病気や障害を抱えながら生きる人々が周囲から圧力や差別を受ける懸念や、協力する医師が背負う負担などを考えただけでも、安易に法制化できるわけではないことが分かります。また、日本で盛んに行われている生殖補助医療については、人工授精や体外受精などさまざまなケースに対応した法律の整備、伝統的な親子関係との関係、子の人権(例えば出自を知る権利)、公的経済援助などをめぐる様々な問題が浮上しています。こうした状況を一般化すれば、本来は人々に豊かな生をもたらすために開発されたはずの科学技術によって、その導入の仕方次第では豊かな生が脅かされかねないという逆説的な事態が、現代社会に顕在・潜在していると言うことができるでしょう。
「神戸大学生命・自然科学ELSI研究プロジェクト」(略称:KOBELSI)は、このような状況を踏まえ、高度科学技術社会における現在および将来の様々な倫理的・法的・社会的諸問題を発見・予測し、それらの検討を行うものです。そうした検討はつきつめれば、果たしてその科学技術は人々に充実した生・生きがいのある生——そうした生を古代ギリシアの哲学者たちは「エウダイモニア」と呼びました——をもたらすのか、という人間にとって根源的な問に繋がります。ですので本プロジェクトは、現代社会における充実した生のありかたを探るという普遍的な意義を含んでいます。
本プロジェクトがELSI研究の主たる対象とするのは、神戸大学が今般立ち上げた「神戸大学デジタルバイオ&ライフサイエンスリサーチパーク(DBLR)」における5つの研究拠点(バイオものづくり研究拠点・先端膜工学研究拠点・医工学研究拠点・健康長寿研究拠点・社会システムイノベーション研究拠点)が展開するさまざまな先端科学技術研究です。DBLRは、未来社会に向けた新たな課題の解決に資する経済的・社会的価値を創造するために、傑出した知と有能な人材を創出するとともに、社会実装につなげる研究環境基盤を強化することを目指して開設されたものです。神戸大学生命・自然科学ELSI研究プロジェクトは、DBLRで展開される医療、生命科学、工学、保健学などそしてそれらの横断的な先端科学技術研究について、ELSI上の問題を検討し、よりよい仕方での社会への導入をめざします。その際、研究拠点の研究者から研究内容について直接情報提供を受け、研究者と密接な対話を行い、具体的・予見的な仕方で研究を遂行するのが本プロジェクトの一つの特色です。また、DBLRにおける研究に限らず、国内外におけるさまざまな先端科学技術もひろくELSI研究の対象にする予定です。
ところで、ELSI研究を進めるためには、その名称が示す通り、一つの学問分野、一つの学部・研究科が単独で行うのではなく、哲学・倫理学・法学・経済学・社会学・心理学・医学・工学・農学などのさまざまな学問分野が協力しあいながら考察を行い解決をめざす必要があります。そこで本プロジェクトは、さまざまな研究科・専門分野の研究者により構成された学域横断的な研究実施体制をとっています。また、本プロジェクトがELSIの基礎にある「人々の充実した生」「社会の福利」という根源的問題を見据えながら遂行することに鑑み、現代科学技術社会における哲学・倫理的問題の学際的研究をこれまで推進してきた人文学研究科の研究教育センター「倫理創成プロジェクト」のメンバーが組織の中核となり、多様な学問分野による学際的探究を統括するという形をとります。
2023年 プロジェクトリーダー
茶谷 直人
研究内容
神戸大学デジタルバイオ&ライフサイエンスリサーチパーク(DBLR)の研究拠点における研究をはじめとする、様々な先端科学技術の倫理的・法的・社会的問題を学際的に研究
オリジナリティ
将来的目標