南氷洋航海記

下から上へと時が進みます。
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南氷洋航海記2へ(12/18〜)

“初!!!”Dec.17, 1998{南緯58°17′東経91°12′水深4568.3.4m 全磁力58845nT}

生まれて初めて、氷山を観る!
同室の相棒が、部屋に飛び込んでくるなり“氷山!デカイ!右側!”と、カメラ持って消え去る。 疾風のようだった。数kmは離れているのに船の何倍はあろうかという氷が過ぎ去る。

感無量。このために、船に乗ったのだから。
目的1つ達成!!


“明るい夜”Dec.16, 1998{南緯56°17′東経97°33′水深4125.4m}

学生仲間と飲む。船に乗る前に、酒は買い込んである。仲間の1人が北海道出身。地元ネタになる。 “北海道では、カーナビは必要無い。”とのコト。路が一直線だからだそうだ・・・。

夜11時。時差があるとはいえ・・・、明るい。


“食”Dec.15, 1998{南緯51°36′東経101°54′水深3593.5m}

夕食に蟹一匹鯛一匹が。
よっぽど、危険なトコに行くのか?と正直思った。

船の食事は豪勢豪華。1食にメインのおかずが2品、小鉢が複数。そして、なにより、とても 美味しい!!!増量して船を降りる人が多いのが良く分かる・・・。


“暴風域”Dec.14, 1998{南緯47°08′東経105°04′水深3352.3m}

昨晩から、南緯45°以南の暴風域に入る。
椅子から転げ落ちそうだ。部屋の中は、机に置いていたものが散乱。部屋は2人部屋、二段ベッドに 机が並んで二つである。我は上段のベッドを使っているのだが、机と並びにある下段ベッドに様々な ものが雪崩れ込んだ。

ほとんど我のモノ。相棒、ゴメン・・・。


“適応力”Dec.13, 1998{南緯42°33′東経108°04′水深3382.2m}

“船酔いはどうすりゃ治るのですか?”
昨日、南氷洋には8回目という仕事場のチーフに尋ねる。このままでは胃液もでなくなり、 船上で干からびてしまう。で、答えは・・・。 慣れろ、とのこと。 解かりやすっ!!で、その“慣れる”ためには、しんどくても辛くても横になって眠らない こと。船酔いすると、とても眠たくなる。それで、寝てしまうと楽なのだけど、船の揺れに 対する耐久力がつかない。教授されたとおりに頑張る。耐える。メシを抜く(喰えなかった・・・)。

頑張ったおかげで、昨晩の飯はなんとか胃袋に収納されたままだ。


“空白”Dec.12, 1998{南緯38°10′東経110°44′水深4648.3m}

日記が途切れている。
別になにも無かったわけじゃぁない。12/10の出航日など、旅立ちへの感極まるモノがあったくら いだ。豪人の税関の人が出航後も乗っており、湾をでる辺りで併走していた小型艇に飛び乗って 去ったトキなど“いよいよ!”と胸の高鳴りを覚えた。なら、何故?

船酔い。

“帰りたい。”と思った。昨日は3回、吐いた。
水平線が窓から見えなくなる、青い空と青い海のシーソー・・・。


“盗難”Dec.9, 1998

ある研究者のデジカメ、そして財布が盗まれる。
“買ったばかりのデジカメだったのに”、といふコメント。 外にに1番近い部屋から盗まれた。部屋に鍵を掛けていなかったらしい。 船は港に横付け(?)で停泊しており、乗船するには見張りの船員がいる小橋を通らねばならない。 その見張りの方が、少し離れたトキに入られたのかも?。とは言え、小橋から入ったとは思えない。 多分、陸から後部甲板にでも直に飛び移ったのだろう。
ってのも、陸地と甲板1階が同じ高さ。

港街ってのは物騒な・・・、ではなく、“鍵してなかったんかい!!”。


“パース”Dec.7, 1998

出航は12/10ということで、それまでは自由行動。
友達になった他大学の学生とパース市街へ。オーストラリア第4番目の都市は、のどかでおだやかで そして、程よく都会であった。広々としたモールを歩いていると、世界で住んでみたい地として上位 なのが分かる気がした。
ゲームソフト店やブティックがある通りにコンドームのお店を発見。あまりに普通に、そして、堂々 とした店だったのでまるで違和感が無い。子供が入っていても、なにも感じないだろうな。
多分・・・。


“白嶺丸”Dec.6, 1998

オーストラリア西南部パースに早朝到着。時差は約1時間。1オーストラリア$は約80円。紙幣は 人生ゲームのオモチャに見える。昨晩は、ビジネスクラスのシートで“マスク・オブ・ゾロ”をシャ ルドネ片手に観ながら眠りに落ちたので気分は爽快。

乗船する“白嶺丸”が停泊しているフリーマントル港へ。 白嶺丸とご対面。地球科学の世界じゃ有名な船で、諸々の設備がカッコよい。音波探査のフロート (機器を備え付ける浮き)が魚雷のようやった。

しかし、懸念が1つ。
“小さくないの・・・。南極行くには・・・。”
白嶺丸は2000t弱の船。日本海フェリーの約10分の1。
隣のタンカーの大きいコト大きいコト・・・。


“出発”Dec.5, 1998

成田空港からオーストラリアのパースへ出発。南氷洋航海と言っても、自分は船乗りではなく 調査団の補助員みたいなもんだから、調査団と供に飛行機で船の泊まっている国そして港まで行く。 補助員=バイトなので、給料ももらえる。分割で渡されるその1回目が、成田空港のエグゼブティブ ラウンジで手渡された。
あまりの額に、手が震えてしもた・・・。


うだうだ続くので、たまに観てやって下さい。

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