南氷洋航海記2(12/18〜12/31,1998)

下から上へと時が進みます。
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“1998年最後の1日”Dec.31, 1998{南緯61°33′東経98°05′水深4282.9m 全磁力-----nT}

仕事おさめ。

こ〜んな南の果てで年を越すことなんて最初で最後かもしれないと感慨にふける。
おセンチに“普通の生活してたらいけないトコに行くことが夢だったしなぁ〜〜〜”と。でも、所属研究室のチー フは昨年を除くここ10年、海上年越しとのコト。う、上には上が。って船員さんたちは1年のほ とんど海の上、だから、“彼女ができん!”とも。じ、次元がチガウ・・・。

仕事終えて、風呂入って、メシ食べた後に、ロビーで学生4人で映画“TAITANIC”を観た 。なんも縁起悪いんだろうけど・・・。そのブラウン管の中で、“船が沈む!”ってトキに白嶺丸の船内も 騒然、船員さんや調査団のヒトらが走り回りだす。あまりのタイミングに“なんや?なんやぁ!? ”と焦ったのだが、どうやら鯨が見えているらしいとのコト。 そっからは我ら学生4人がおおわらわ。

PULLの両開きガラスドアを押そうとしてドアに突っ込むわ、カメラをとりに戻った部屋のまえで友 と衝突するわ、別ルートをとった2人は研究室を通ったときにヘッドスライディングかますわ。 映画に負けてない騒動ぶり。
結局、鯨は背中だけ。でも、21:00にもカカワラズ太陽が出ている状態なので水平線がキレイだっ た。

そして、1998年も終わる頃、“やりたいことがあるんだ”と友。年越しの瞬間を甲板で写真を撮 ってほしいとのこと。ペンギンの着ぐるみで。ホントは夜に甲板に でることは御法度なんだけど、年越しってこともあり白嶺丸も運航停止状態。サスガに暗くなって きた前方甲板を2人でウロチョロしてたら、突然、強烈なスポットライトが!見回りの船員さんが 上部甲板から、運航中の夜の見張りに使う強烈なライトで我らに。

脱獄中の囚人なみにうろたえた。

1998年、終わり!


“増量中”Dec.30, 1998{南緯60°44′東経95°08′水深4355.0m 全磁力-----nT}

朝、昼、晩、そして夜食と連日相当なエネルギーを摂取している。

気付かないストレスが食事にいっているのか、はたまた胃が拡張してしまったのか?厨房員の方 に“ヤケ食いしとるみたいや”と言われる。船員さんたちにも“まだ食うんか”と突っ込まれたこと も。風呂場で体重計にのる。針もユレテイル。

少なく見積もっても5kg増えている・・・。


“夢”Dec.29, 1998{南緯61°48′東経90°04′水深4034.4m 全磁力-----nT}

昨日の仕事疲れから、泥のように眠る。

最近、日本でのなんでもない生活や帰国後の場面のゆめを頻繁に観る。
そーとーにリアルで、起きたときに“ここは何処?”という錯覚に陥ることも多々。別にホーム シックにかられている意識はないのだが・・・。

ひさしぶりに晴れる。日に照らされた氷山は青く、水色で美しい。


“餅”Dec.28, 1998{南緯--°--′東経--°--′水深----m 全磁力-----nT}

前半航海も折り返し地点を過ぎ、進路はオーストラリアへ。

海もこれから騒がしくなるということで、1999年に先駆けて餅つきが行われる。船上生活を 楽しむためにこの手のイベントはしっかりとしたものである。御神酒が用意され、全員が餅を つく。つきたての餅を砂糖とまちがえて片栗粉につけて食べて チョッサー(ファーストオフィサー)にツッこまれる。間抜けだ・・・。

餅つきの後は仕事。
暴風圏に入るまでにあらかた片付けないと、えらいコトになる。21時過 ぎまで仕事だったが最後のほうはヘロヘロになってしまった。余っていた御神酒に手を出したの がマズッたぁ・・・。


“第五局”Dec.27, 1998{南緯63°25′東経92°27′水深3811.2m 全磁力59272nT}

仕事が早めに終わったので、朋と娯楽室で将棋を打つ。本日白星、現在2勝3敗!
そして、1引き分け。暴風圏で打ってたら、中盤で駒が流れてしまったのである・・・。


“時差?”Dec.26, 1998{南緯63°24′東経89°41′水深3916m 全磁力58219nT}

朝から雪。霧で水平線上が白い。とても綺麗だ!
クリスマスのE-mailがまとめて届く!かなり嬉しい。 陸で忘れられてるんじゃぁないかとビクビクしてるから。届いたE-mailの日付が皆、昨日の金曜 である。“ああ、時差かぁ”と考えるが、こちらの方が西に来ており日本の方が早く日が進むハ ズ。

そういや船内の時間、オーストラリア時間のまま(日本とほとんど一緒)だったっけ・・・。

ちなみに白嶺丸は、衛星を経由して1日3回陸と交信しており、その時E-mailも送受信してくれる。 世の中便利になったものだ。


“クリスマス”Dec.25, 1998{南緯62°23′東経92°53′水深3955.6m 全磁力59067nT}

“白嶺丸は日本の船だ!!”と、いうコト。ツリーは無かった。

南緯60°を超えている、いわゆる“南極”と呼ばれる地域まで来た。極に近いから、地球磁場がか なり高くなってきている。日本ではだいたい45000nTで、磁極では60000nT。いやはや、実感が湧くも のである。

そういや、この辺りって、オゾンホールの下だ・・・。


“クリスマスイヴ”Dec.24, 1998{南緯63°44′東経92°44′水深3562.5m 全磁力-----nT}

クリスマスプレゼントは、まだ観ぬペンギンがみたいなぁ、と想いつつ仕事仕事!!
最近、日本での日常生活をよく夢に見る。心のどこかに“帰りたい”願望があるのかも? 意識している限りじゃぁ、日本に帰ってからの先が全然想像できなくらいに楽しい日々なのだが。


夜半、シケだす。一度不安になると、頭から離れない・・・。


“初勝利”Dec.23, 1998{南緯63°22′東経90°59′水深3904.8m 全磁力58345nT}

ちまたじゃ、クリスマスへの盛り上がりが加速しているこ ろであろう。バイト先の朋から、E-mailが届く。売上の最高記録をマークするほどクソ忙しか ったと。

海がうねる。夜中、明け方くらいからだろうか・・・?さすがに慣れているので、眠ってい ても無意識に手足でからだを固定している。しかし、後に2段ベッドの上段から落ちるヒトがで る。これは、またのお話。こまるのが朝飯のみそ汁。普通にもっていると勝手にこぼれる・・・。

最近、勉強していない・・・。仕事が忙しいのもあるが、船内のコミュニケーションに忙しい。 その1つ、牌を並べるお遊び。ようやく初勝利・・・。


“調査”Dec.22, 1998{南緯61°19′東経89°57′水深4185m 全磁力58371nT}

23:30、仕事終了。今日から所属研究室の仕事が本格的になり、仕事が忙しくなる。 ちなみに仕事開始は8:00。海底に5mの巨大な筒(グラビティコア:500kg)をぶっ刺し 溜まっている堆積物を採取する。もちろんこれは、機械での作業がほとんど。 その引き上げた泥を研究用&保存用に処理するのがメインのお仕事。 約50万年前〜、の泥を扱った。帰国する頃には泥マスターに・・・。

海に調査用の機器を沈めるトキに気付いた。海の透明度が高い。沈んでいくコアが数10m は見えていた。魚はいなかったけど。


“白夜”Dec.21, 1998{南緯62°57′東経90°00′水深3903.8m 全磁力58617nT}

夜の12時(正確には夜の9時)頃に雲の切れ目から陽がさしてる。
そう、白夜です。完全ではなく、夜中の数時間だけお天道様が沈んでいる。

暴風圏も過ぎ、今度は海がウソのように静かで海上を歩けそう。曇りのトキは、海面が 銀色の鏡のようだ・・・。


“余談”Dec.20, 1998{南緯63°25′東経90°00′水深3859m 全磁力-----nT}

そろそろ氷山にも見慣れて来た。それでも、大きなものが通るとカメラに収めてしまう。日本に 帰ってきたときにはフイルムが10本までいってたのも頷ける。同じ氷山を何枚も撮ってたのはあきれ てしまったが。
南極大陸から流れてくる氷山が多くなる、ということは、それだけ南の果てに 近づいているワケで、気温も下がる。もちろん、海水温も。乗船直後にあった、避難訓練で言われた ことを思い出す。“船が沈んで、救命艇に乗り移っても、濡れたら死ぬから。”、だから飛び込む な、と。


“白い群れ”Dec.19, 1998{南緯62°44′東経86°22′水深3775.1m 全磁力57371nT}

白嶺丸の周囲をとりかこむ氷の量が増えてきた。
初めて南氷洋にくる我らが浮かれ出すのと反比例して、船員サン方がピリピリしだす。

氷山にカスるだけで、弾かれて、終わりらしい・・・。感謝感謝です・・・。


“初雪”Dec.18, 1998 {南緯59°46′東経85°06′水深2483m 全磁力55962nT}

朝、起きると雪が真横に・・・。
南極での雪とは乙なものである。'99に船上に積もった。これはまたのお話。
夜中に仕事がある相棒が、オーロラを観たと・・・。羨望!!

そろそろ、白夜です!


うだうだ続くので、たまに観てやって下さい。

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