

北極海域でのプラスチック汚染
- ポイント :
- 北極域とグローバルな対応の相乗効果
- 行動指針 :
- プラスチック汚染ホットスポットである北極の海をグローバルな視点で守ろう!

最近の科学研究により、海洋環境において濃度も蓄積量も増え続けているマイクロプラスチックは、海洋生態系に対して潜在的に悪影響をもたらしうることが分かってきています。北極の海でも、ヨーロッパ方面から海流に流されてくるマイクロプラスチックによる汚染が観測されており、世界の工業地帯や人口密集地から遠く離れている北極の海が、世界中のプラスチックゴミが蓄積しやすい海洋プラスチック汚染の「ホットスポット」の1つになりつつあることが、明らかになってきています。つまり、北極の海のマイクロプラスチック汚染問題には、グローバルな対応が必要です。他方で、その地域の近海で捨てられた漁網や釣り糸、ブイなどを海洋哺乳類や海鳥などが飲み込んだり、それに絡まったりして悪影響を与えている、地域レベルでのプラスチックごみ問題への対処も必要です。2021年5月、北極評議会の北極圏植物相・動物相保存作業部会(CAFF)は3つの報告書を発表し、北極圏の海鳥のプラスチック摂取が広範に発生していること、他方で十分な汚染情報が不足している地域がまだ多くあること、標準的なモニタリング手法と長期的なモニタリング計画が必要であることなどが指摘されています。北極の海のプラスチック汚染に対しては、さらなる科学的知見の蓄積を踏まえた上で、地域的な対応とグローバルな対応とが相乗効果をもたらしながら進められることが重要です。
プラスチックによる海洋汚染に対しては、陸起因の汚染発生源を規制すべきとする国連海洋条約や、船舶からの投棄を禁止するMARPOL条約とその改正附属書、さらにはプラスチック廃棄物の環境上適正な管理を義務づけるバーゼル条約2019年附属書II改正などが適用されますが、その規制内容が一般的すぎたり、プラスチックによる海洋汚染には部分的にしか適用されないといった限界が指摘されています。地域レベルでは、北極海に隣接する北東大西洋に適用がある環境保護条約(OSPAR)が、海洋ごみ地域行動計画を策定し、この中でプラスチック汚染への対応も定めていますが、法的拘束力のない行動指針に留まります。ヨーロッパでは、2019年に法的拘束力ある使い捨てプラスチック指令が定められています。日本でも、2022年4月から「プラスチック資源循環法」が施行され、プラスチックごみの排出抑制が進められます。北極評議会の海洋保護作業部会(PAME)は、北極特有の海洋ゴミの発生源や経路に焦点を絞った海洋ごみ地域行動計画を2021年に策定し、メンバー国である北極圏国間で情報を共有し、優先事項を協議するなどして、プラスチックごみへの対応をうながしています。プラスチック汚染問題への北極域特有の対応を検討し実施するための重要な取り組みではありますが、この計画も法的拘束力はありません。
そのような中、2022年3月2日、ケニアのナイロビで開かれていた国連環境総会では、海洋プラスチック汚染を始めとするプラスチック汚染対策に関する決議が採択され、プラスチックの有用性を認識しつつ、海洋を含む環境におけるプラスチック汚染が地球規模の喫緊の課題であること、世界規模で効果的で進歩的な行動を促進することが喫緊に必要であること、プラスチック汚染は越境性を有しており海洋環境及びその他環境での対策が必要なこと、またプラスチックのライフサイクル全体を踏まえた対策を講じる必要があるとの認識が共有されました。また、それらの決議の中で「プラスチック汚染を終わらせる:法的拘束力のある国際約束に向けて」という決議が採択され、新たな国際条約の作成に向けて、2022年までに政府間交渉委員会を設置し、2024年末までの作業完了を目指すことが決定されたことは大きな前進です。


中央北極海での将来的な漁業
- ポイント :
- 新たな北極海漁業協定の適正な実施
- 行動指針 :
- 北極特有の漁業のあり方に知恵を出し合おう!

北極圏は、大陸に囲まれた海が大部分を占めますが、北極の海における漁業を規律する基本的な国際法は、国連海洋法条約や、それを補完するために採択された国連公海漁業実施協定(1995年)、違法漁業防止寄港国措置協定(2009年)などのグローバルな国際条約となります。現在国連で交渉中の、国家管轄権を越える海域における生物多様性を保全し持続的に利用するための新条約(BBNJ)も、今後、採択・発効すれば、北極の海にも適用がありえます。北極の海では、従来から先住民族や各国の沿岸漁業者による北極タラ、カジカなどの漁業が、北極沿岸国の領海や排他的経済水域内(EEZ)において行われてきました。領海及びEEZ内での漁業には、沿岸国の主権ないし主権的権利がおよび、基本的には沿岸国が自由に規制・許可することができます。しかし北極海の中央部水域には、いずれの国の管轄権も及ばない、地中海より広い面積の公海域があります。国連海洋条約によれば、公海域にはすべての国の漁業の自由が認められており、海洋環境保護や漁業資源の持続的利用といった基本的ルールを守った上で、どの国の漁船も自由にその海域で漁業を営むことが許されています。中央北極海の公海域は、かつては一年中海氷に覆われて操業が困難であり、また商業規模の漁業に見合うだけの漁業資源はないと考えられていました。しかし、地球温暖化の結果、夏季には解氷域が出現し、漁業資源が北方に移動している可能性も指摘されるなど、今後は中央北極海でも商業漁業が行われる可能性が出てきました。
こうした可能性に対処するために、北極海沿岸5か国(米国、カナダ、ロシア、ノルウェー、デンマーク)に主要漁業関心国・機関(日本、中国、韓国、アイスランド、EU)を加えた全10締約主体は、中央北極海における規制されていない公海漁業を防止するための協定(CAO協定)を締結しました(2021年6月発効)。この協定は、北極域に特別に適用される法的拘束力ある条約において、初めて非北極圏国が北極圏国と対等な立場で条約交渉に参加し、条約の運用に責任を負っている点で、画期的です。日本政府及び関連する日本の団体は、中央北極海の漁業ガバナンスに直接に関与する権利を有すると共に、適切にその責任を果たすことが求められます。また、この協定に関わる実質事項の決定は、全10締約主体のコンセンサスによると明示されており(第6条)、1ヶ国の反対だけで物事が決まらなくなる危うさを合わせ持っていることを自覚する必要があります。特に、この協定の有効期限は当初発効から16年、すなわち2037年までと定めされており、1ヶ国でもその延長に反対したらこの条約は失効し(第13条)、以下に説明する北極特有の海域における適切な漁業のあり方がすべて台無しになってしまう可能性があります。
CAO協定の最大の特徴は、極めて強い予防的アプローチを採用している点です。すなわち、北極域の脆弱な生態系、その生態系に依存する先住民族の存在、そして当該生態系や商業活動がその生態系に与える影響等が未だに十分に科学的に解明されていないといった北極特有の状況を十分に反映させて、中央北極海における商業漁業が始まる前に、国際的な合意がない無規制漁業を原則禁止するという手段を採用しました。協定の締約主体は、自国の旗を掲げる権利を有する船舶に対し、締約主体が合意する保存管理措置に基づいてのみ、商業的漁獲及び試験的漁獲を許可する(第3条)としています。また締約主体は、科学的活動における協力を円滑にし、効力発生から2年以内に科学的調査・監視に関する共同計画を作成する(第4条)ことになっており、科学的知見と締約主体の合意に基づく適正な保存措置が講じられる仕組みを確立しています。日本政府及び漁業管理に専門性を有する日本の団体及び科学者は、この科学的共同計画に積極的に関与することで、中央北極海漁業ガバナンスに貢献することができるでしょう。
CAO協定のもう一つの特徴であり挑戦は、条約の運用、特に保存措置の適切性を判断する科学的知見に、先住民族及び地域住民の知識を取り込むことを要求している点です(第5条)。ただ、我々が知る科学的知見が定量的なデータと情報に基礎づけられているのに対して、先住民族や地域住民の知識は定性的で歴史的な情報です。両者を相互補完的に位置づけて、中央北極海の漁業ガバナンスにいかに有効活用するかの模索は、まだ始まったばかりです。


ウクライナ侵攻後の北極国際協力のゆくえ
- ポイント :
- 侵略行為がもたらす国際法秩序の危機
- 行動指針 :
- 北極域に法の支配に基づく国際協力をとりもどそう!

今から77年前、第二次世界大戦を経て採択された国際連合憲章は、すべての加盟国の主権平等と国際紛争の平和的解決義務を定め、他国の領土保全又は政治的独立に対する武力の行使と威嚇を禁止しています。これらの国際法の基本原則こそ、むき出しの暴力ではなく理性と法に基づく戦後の国際秩序の根幹をなし、国際社会に予測可能性と安定性をもたらしてきました。ソ連崩壊後に可能となった北極圏における国際協力も、またその後の経済のグローバル化の恩恵も、すべてこの戦後国際法秩序に基底されていたものです。2022年2月24日に始まったロシア連邦による隣国ウクライナへの軍事侵攻は、北極圏外で行われていたとしても、それが世界の国際法秩序の根幹を揺るがす重大な暴挙であるが故に、当然に北極における国際法の適用実施、そしてそれに基づく北極国際協力体制にも深刻な悪影響を及ぼすことになるのです。
事実、同年3月3日、ロシアを除く北極評議会メンバー7ヶ国は共同声明を発表し、ロシアによるウクライナに対する武力侵攻が北極圏を含む国際協力に重大な支障をもたらすと警鐘を鳴らしました。この共同声明は、国際法に基づく主権と領土保全の原則が北極評議会の作業を基底していたことを確認しつつ、その議長国たるロシアが、それら原則に重大な違反行為をしたとして、ロシアが主催する関連会合には代表団を派遣せず、当面の間すべての下部機関会合にも参加しないことを決定したのです。加えて、フィンランドなどのヨーロッパの国々は、ロシアとの科学協力を含む学術交流をも一時停止するとし、北極に関する最も重要な国際協力であった科学協力も悪影響をうけています。もちろん、各国による経済制裁により、ロシア・北極域における開発・ビジネスのみならず、北極域における環境・人権分野の協力関係にも影響が出ることは必至と言えます。
国際連合は、3月1日、緊急特別総会を開催し、ロシアによるウクライナの「侵略」(aggression)を最も強い言葉で非難し、ロシアに対し即時無条件のウクライナ領域からの撤退を要求しました。なお、この決議の審議のなかで、ロシア政府は、正面から国際法の存在を否定するのではなく、ミンスク協定を履行せず核武装しようとしているウクライナに対する自衛権の行使であると主張しており、国際法を援用して自国の行為を正当化しています。国連総会の決議には法的拘束力はありませんが、全193加盟国のうち141ヶ国がこの決議に賛成し、ロシアによる「侵略」を認定したことは国際法的に重要です。なぜなら、1974年の侵略の定義に関する国連決議によれば、侵略戦争は、国際の平和に対する犯罪であるとされ、侵略の結果としてもたらされる領域の取得は合法なものではなく、また他国も合法なものとしてそれを承認してはならない義務が生じます。さらに2001年国連国際法委員会が採択した国家責任条文によれば、侵略のような国際法上の強行規範に重大に違反する行為の場合には、その違反行為が生じた状態の維持を支援したり援助してはならない義務が発生し、直接の被害国であるウクライナ以外の国も、ロシアの国際法上の責任を追及する権利が生じうるからです。つまり、ロシアによるウクライナ侵略は、国際法上、もはや二国間の問題には留まりえないのです。日本も、そして日本の企業も国民も、北極に関わる活動もそうでない活動についても、以上のような法の支配の下で、北極域と国際社会全体に法の秩序を取り戻すための深慮ある行動が求められています。(2022年3月22日現在)
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北極域と国際法、そして日本
- ポイント :
- 国際社会一般に適用のある国際法と北極特有の国際法の区別
- 行動指針 :
- 北極特有の国際法を意識してアクセスしよう!

地球上の北緯66度33分以北の地域のことを「北極圏」といいます。北極点を中心として、ユーラシア大陸・北米大陸・グリーンランドに囲まれた海域には北極海をはじめチュクチ海などがあります。北極の海の大部分は夏場以外、凍っています。南極が「大陸」なのに対して、北極圏の大部分は大陸に囲まれた「海」であり、ここには国際社会一般に適用のある国際法(一般国際法)である国連海洋法条約が適用されます。北極海の沿岸には、ロシア・カナダ・米国・デンマーク(グリーンランド)・ノルウェーの5カ国があり、この5カ国が「北極沿岸国」です。これら北極沿岸国に、北極圏内に領土を持つフィンランド・アイスランド・スウェーデンを加えた8カ国を「北極圏国」と呼びます。北極圏国の領域には、これら北極圏国に適用される一般国際法には、例えば、武力行使を禁じる国連憲章、領域内の人々の人権を保障する一連の人権条約、気候変動に関するパリ協定、生物多様性条約などがあります。これら一般的な条約には日本も加盟しており、日本政府及びその国民・企業も、それら条約を北極圏国が守っていることに関心を有しています。
北極圏8カ国は、1996年オタワ宣言に基づいて、北極評議会(AC:Arctic Council)を設立し、北極における持続可能な開発、環境保護といった共通の課題について協力促進等を目的とするフォーラムを設立しました。北極圏国は、このフォーラムを通じて、北極特有の自然環境や社会状況を科学的に調査して知識を蓄積し、北極圏共通の課題に適した国際的ルールや行動指針を策定してきています。これら国際的ルールや行動指針は、一部の例外を除いて直接に日本政府を法的に拘束するものではありません。ただし、2013年から日本も、オブザーバーとして北極評議会に参加して科学的知見の蓄積に貢献しており、それら国際的ルールや指針を実質的に配慮すべきであると言えます。北極の資源開発や航路利用に関心を有する日本企業も、これら北極特有の国際法を十分に意識して行動すべきです。なお、北極で活動するビジネス団体の協議の場である、北極経済評議会(Arctic Economic Council)があり、「責任ある資源開発作業部会」が北極鉱物資源についての報告書を2019年に発表しています。
日本は北極の気候変動の影響を受けやすい地理的位置にあり、アジアにおいて最も北極の海に近く、その航路の利活用や資源開発など経済的・商業的な機会を享受し得ることから、 日本政府にとって北極政策は重要です。日本は北極評議会や北極圏国との二国間・多国間の取り組みに積極的に参加しながら、北極域におけるステークホルダーとしてのプレゼンスを高めようとしています。


先住民族と人権・国際社会
- ポイント :
- 北極域に住む人々の人権の国際的保障
- 行動指針 :
- 北極先住民族の人権・文化への配慮は不可欠!

北極圏とその周辺地域(北極域)は、北米大陸の「イヌイット」など多くの先住民族と地域住民合わせて400万人のホームランドです。北極域に住む先住民族は、長い間、氷と雪に囲まれた環境を生活圏として、狩猟採集、漁業など、地域の生態系と共存するライフスタイルを維持し、独特な文化を育んできました。北極域にアクセスするすべての人・企業・政府機関は、彼らのホームランドにお邪魔しており、共に北極域の持続可能な発展に貢献していくという意識を持つ必要があります。北極評議会(Arctic Council)という政府間フォーラムが、北極先住民族6団体に、常時参加者(PP: Permanent Participants)という特別の資格を与えて、緊密に彼らと議論しながら物事を決めているのも、北極域における先住民族の特別の位置づけを物語っています。
国際人権法の発展により、北極域住民、特に先住民族の人権を守ることは、すべての国家の責務になっています。先住民族の権利を明確に認める最初の国際条約は、1989年の国際労働機関(ILO)第169号条約です。その後、国連の先住民族に関する作業部会における長年の議論を経て、2007年には先住民族の権利に関する国連宣言が採択されています。この国連宣言は、先住民族の自決権、自治の権利や、伝統的に所有ないし占有してきた土地や自然に対する権利について規定しています。国連宣言は法的拘束力はありませんが、北極圏8カ国はすべて支持を表明していることに重要な意味があります。特に、先住民族の土地や文化に影響を与えうる開発活動を企業が行い、それを政府が許可する場合、影響をうける先住民族より「自由で事前の且つ十分な説明を受けた上での同意(FPIC)」を得ておく必要があるという規範は、国際社会が共通に認める国際ルールになりつつあります。例えば2011年イヌイット極域会議(ICC)による「イヌイットの地における資源開発に関する原則宣言」では、北極域での資源掘削開発活動について、このFPICのルールの尊重が先住民族から求められています。


北極LNG開発と国際法
- ポイント :
- 持続可能な資源開発に関する国際法
- 行動指針 :
- 北極特有の経済・環境・社会的要因を見極めよう!

天然ガスは比較的環境負荷が低いエネルギーとして注目されており、北極圏においては特にロシア沿岸域での埋蔵ポテンシャルが高いと言われています。天然ガスを液化したLNGの開発に、ロシアは優遇税制措置などを講じて積極的に乗り出しています。日本も、エネルギー供給源・供給ルートの多様化の観点からロシアにおけるLNGに高い関心を示しており、実際に日本企業も北極LNG開発プロジェクトに参画しています。
石油・天然ガス・鉱物などの掘削系の資源開発は、大規模且つ長期に渡るため、経済的な観点からのみならず、その周辺の自然環境や住民の生活環境等への中長期的影響をも考慮して、経済・環境・社会的要因を統合して持続性=サステイナビリティーを判断すべきというのが、国際的なルールとなっています。北極圏は、脆弱でありながら多様性に富む自然環境と生態系を有しており、またそうした自然環境と生態系に依存して生活を営む先住民族のホームランドであるということから、LNG開発には特に慎重な環境的、社会的な影響の評価が望まれます。1991年に北極圏国が採択した北極環境保護戦略(AEPS)には、北極における資源開発が重要な活動であることを認めた上で、それが「持続的な経済発展をもたらすためには、許容できないような生態系ないし社会的な悪影響が及ばないようにすること」が宣言されています。北極評議会の持続可能な開発作業部会(SDWG)の報告書でも、経済・環境・社会的側面の不可分性、特に先住民族への配慮が強調されています。2009年に北極評議会の北極海洋環境作業部会(PAME)が採択した「北極沖合石油・ガス指針」では、関係する先住民族との協議と協力が必要であると明示しています。
他方で、LNGを含む天然資源については、国際法上、その領域国が永久的主権を有しているため、越境的な環境損害を生じさせない限りは、資源開発に伴う国内での経済・環境・社会的要因をどうバランスさせるかについては、未だに領域国の広い裁量に任されているのが現実です。特に石油・天然ガスの開発に関する規制の多くが、国内法で規定されているため、ロシアのLNG開発に参入する日本企業は、まずロシアの国内法を精査することになります。しかしながら、先に述べたように、環境的・社会的状況を取り込んだ北極特有のサステイナビリティーの国際的基準は、少しずつではありますが明らかになってきており、これから北極資源開発に参入しようとする企業は、こうした将来的な国際的基準を見据えた行動様式が求められているといえるでしょう。なお、投資家が外国において安定的に予見性を持って投資活動を行うための国際法による法的枠組みに「投資協定」があります。日本とロシアも2000年に投資協定を締結しています。これにより、両国は、相手国投資家に対する投資環境の透明性の確保や投資財産の保護(内国民待遇,最恵国待遇,公正かつ衡平な待遇,不当な収用の禁止,紛争解決手続等)など、法的安定性と投資の促進につながる環境を整備することを約束しています。
世界の国々がロシアのLNG開発に参入する要因には、持続可能な資源開発に関する国際法の枠組み以外にも重要な要因があります。政治的軍事的要因です。2014年ロシアによるクリミア併合を受けて、欧米諸国は、将来的にロシアの石油生産のポテンシャルとなる北極海での石油開発をターゲットとした制裁を科した一方で、陸上における天然ガス開発は制裁の対象としませんでした。日本・中国・フランスなどがロシアにおけるヤマルLNGプロジェクトなどに参画してきたのはこのためです。ところが2022年2月に発生したロシアによるウクライナへの侵略により、国際社会がロシアへの経済制裁を強化しています。今後の展開を注視していく必要があるでしょう。
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北極海航路の利用と国際法
- ポイント :
- 海洋法、極海コード、重質燃料油規制
- 行動指針 :
- 北極海航路とその利用をめぐる国際的なルールの動向を見極めよう!

地球温暖化の増幅効果が顕著な北極では、海氷が益々減少しており、北極の海を航路として活用することが現実味を帯びています。特に日本にとって、ロシア沿岸を通る北極海航路(Northern Sea Route)は、ヨーロッパとアジアを結ぶ海上輸送ルート、またLNGを含むロシア産エネルギー資源輸送ルートとして期待が高まっています。日本の商船会社も、北極海航路で利用されるLNGタンカーや積み替え施設などに投資をしています。
北極海航路の商業的利用可能性は、主にその経済的フィージビリティーで決まりますが、航路利用に関連する国際的ルールの動向を見極めることも重要です。なぜなら、航路利用国(船舶の旗国)と沿岸国とが合意した国際ルールは、航路利用について中長期的な予測可能性をもたらし、安定的な経済活動のベースとなるからです。この点、もっとも基本となる国際ルールは国連海洋法条約です。北極海航路の大部分がロシアの領海ないし排他的経済水域(EEZ)内であることから、沿岸国たるロシアはそこでの船舶の航行につき、「国際的な規則や基準に適合すること」を前提として、海洋環境を保護するための国内法を制定して規制することができます。特にロシアは、氷に覆われた水域に特別に適用がある国連海洋法条約第234条を根拠に、船舶に起因する海洋環境の汚染を防止するための具体的な措置、例えば事前の届け出や原子力砕氷船の支援航行を義務付けています。もっとも、2013年のロシア国内法の改正により、船のアイスクラスや海氷状況によっては砕氷船による支援航行の義務を緩和するなど、ロシア側も航路活用の拡大に向けて動いています。その一方で、北極海航路における炭化水素及び石油の輸送を「ロシア籍船」や「ロシア製船舶」に限定するロシアの国内法(稼働済みのLNGプロジェクトを除く)は、事実上、北極海航路の輸送事業をロシアが囲い込むことにもなるため、国際貿易に関する国際法(WTO法)との整合性が別途問題となりえます。
北極の海のように気象・海象条件が厳しく、船舶の航行に伴う安全・環境上のリスクが高い水域における安全要件並びに環境保護要件など技術的基準を定めた特別の国際法が、国際海事機関(IMO)を中心に制定されており、北極海航路の利用拡大に伴って今後もその拡充が予想されます。これら国際ルールは、北極海航路を利用する船舶の旗国に対して、その船舶が満たすべき船舶の運航、構造や船員に関するより厳しい安全要件を課し、また極海特有の事情を勘案した海洋環境保護のためのより厳しいルールを定めています。2017年に発効した極海コード(Polar Code)は、例えば極海海洋環境保護に関する特別ルールとして、油及び油性混合物の海洋への一切の排出禁止規定などを、海洋環境保護に関するMARPOL条約の基準に上乗せして適用する厳格な基準を定めています。また、極海コードにより、国際船級協会連合が主導して船体構造ならびに推進システムについての世界で統一のルールが定められ、これまで各地域・各国の船級協会で個別に定められていた船舶のアイスクラスの規則については7種類の極地氷海船級(Polar Class)に整理されました。もっとも、船舶の構造や運航につき旗国を通じて規制をする極海コードの導入によって、国連海洋法条約第234条に基づく沿岸国による規制権限が制約されたとは言えませんが、沿岸国は、極海コードが定める要件等を参照しつつ、自国が定める規制の正当性につき、一層の説明が求められることになるでしょう。
北極の海に特有の国際ルールは、近年更に拡充されてきています。2021年にIMOは、北極海域における燃料の使用及び運搬に関する特別要件を採択し、2024年7月以降、北極海域において、いわゆる重質燃料油(HFO)を船舶の燃料として使用または運搬することを禁止しました。ただ、この禁止には重要な適用例外が設けられており、特に、2029年7月までは、北極海沿岸国を旗国とする船舶につき自国の領海・EEZを航行する間はこのHFO規制を適用除外することができるとしています。この除外規定については、環境保護団体等が批判をしています。
今後、北極海航路利用に対して環境保護の観点からの国際ルール作成が進むことが予想される分野として、当該海域を運航する船舶からの大気汚染物質、特にブラックカーボン排出等の規制があります。2021年11月、IMOの海洋環境保護委員会は、北極海域周辺で運航する船舶につきブラックカーボン排出を削減する自発的な措置をとることを求める決議を採択しています。今後も、北極海域での船舶からのブラックカーボン排出規制の議論が続く予定です。これまで人為的な干渉が少なかった北極海域における海運活動の増大は、海中ノイズを増やし、当該地域の脆弱な生態系、特にクジラやアザラシなどの海洋哺乳類に悪影響をもたらし、さらにそのような生物資源を糧に生きてきた北極先住民族の生活にも悪影響を与えるのではないかと心配されています。北極評議会の海洋保護作業部会は、北極海域での音響状況、2030年までの海中ノイズの増大予測、そして海中ノイズ影響を軽減させる運用上・技術上の方法につき検討を開始しています。他にも、バラスト水や船体への生物付着による北極海域への侵入種の増大、船舶からの生活排水による北極海洋環境への悪影響などが課題として議論の俎上にあがっています。
北極海航路が世界の国々にとって利便性の高い航路となる一方で、この海域での急激な海運業の増大がもたらす北極環境・生態系・先住民族の生活等への悪影響にも十分配慮しつつ、今後も北極海航路の持続可能な利用を可能にする国際ルールの内容や新たな制定の動きを注視していくことが重要です。
さらに学ぶ
北極域を持続的に利用するための国際ルールとは?
北極域における自然環境や先住民族の暮らしを守りつつ、その資源を開発したり北極海航路を利用したりするための国際法について解説し、北極域にアクセスする日本のステークホールダーにその行動指針を提示します。このページでは北極域の持続的利用の観点から特に関連する7つのキーワードに基づいて解説しています。
作成:神戸大学極域協力研究センター(PCRC)
このページは三井物産環境基金2019年度研究助成「国際法規範の実施による北極資源の持続可能な利用の実現」の研究成果報告の一部として作成されました。
北極域を持続的に利用するための国際ルールとは?
北極域における自然環境や先住民族の暮らしを守りつつ、その資源を開発したり北極海航路を利用したりするための国際法について解説し、北極域にアクセスする日本のステークホールダーにその行動指針を提示します。このページでは北極域の持続的利用の観点から特に関連する7つのキーワードに基づいて解説しています。
作成:神戸大学極域協力研究センター(PCRC)
このページは三井物産環境基金2019年度研究助成「国際法規範の実施による北極資源の持続可能な利用の実現」の研究成果報告の一部として作成されました。

北極域と国際法、そして日本
- ポイント :
- 国際社会一般に適用のある国際法と北極特有の国際法の区別
- 行動指針 :
- 北極特有の国際法を意識してアクセスしよう!
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地球上の北緯66度33分以北の地域のことを「北極圏」といいます。北極点を中心として、ユーラシア大陸・北米大陸・グリーンランドに囲まれた海域には北極海をはじめチュクチ海などがあります。北極の海の大部分は夏場以外、凍っています。南極が「大陸」なのに対して、北極圏の大部分は大陸に囲まれた「海」であり、ここには国際社会一般に適用のある国際法(一般国際法)である国連海洋法条約が適用されます。北極海の沿岸には、ロシア・カナダ・米国・デンマーク(グリーンランド)・ノルウェーの5カ国があり、この5カ国が「北極沿岸国」です。これら北極沿岸国に、北極圏内に領土を持つフィンランド・アイスランド・スウェーデンを加えた8カ国を「北極圏国」と呼びます。北極圏国の領域には、これら北極圏国に適用される一般国際法には、例えば、武力行使を禁じる国連憲章、領域内の人々の人権を保障する一連の人権条約、気候変動に関するパリ協定、生物多様性条約などがあります。これら一般的な条約には日本も加盟しており、日本政府及びその国民・企業も、それら条約を北極圏国が守っていることに関心を有しています。
北極圏8カ国は、1996年オタワ宣言に基づいて、北極評議会(AC:Arctic Council)を設立し、北極における持続可能な開発、環境保護といった共通の課題について協力促進等を目的とするフォーラムを設立しました。北極圏国は、このフォーラムを通じて、北極特有の自然環境や社会状況を科学的に調査して知識を蓄積し、北極圏共通の課題に適した国際的ルールや行動指針を策定してきています。これら国際的ルールや行動指針は、一部の例外を除いて直接に日本政府を法的に拘束するものではありません。ただし、2013年から日本も、オブザーバーとして北極評議会に参加して科学的知見の蓄積に貢献しており、それら国際的ルールや指針を実質的に配慮すべきであると言えます。北極の資源開発や航路利用に関心を有する日本企業も、これら北極特有の国際法を十分に意識して行動すべきです。なお、北極で活動するビジネス団体の協議の場である、北極経済評議会(Arctic Economic Council)があり、「責任ある資源開発作業部会」が北極鉱物資源についての報告書を2019年に発表しています。
日本は北極の気候変動の影響を受けやすい地理的位置にあり、アジアにおいて最も北極の海に近く、その航路の利活用や資源開発など経済的・商業的な機会を享受し得ることから、 日本政府にとって北極政策は重要です。日本は北極評議会や北極圏国との二国間・多国間の取り組みに積極的に参加しながら、北極域におけるステークホルダーとしてのプレゼンスを高めようとしています。

先住民族と人権・国際社会
- ポイント :
- 北極域に住む人々の人権の国際的保障
- 行動指針 :
- 北極先住民族の人権・文化への配慮は不可欠!
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北極圏とその周辺地域(北極域)は、北米大陸の「イヌイット」など多くの先住民族と地域住民合わせて400万人のホームランドです。北極域に住む先住民族は、長い間、氷と雪に囲まれた環境を生活圏として、狩猟採集、漁業など、地域の生態系と共存するライフスタイルを維持し、独特な文化を育んできました。北極域にアクセスするすべての人・企業・政府機関は、彼らのホームランドにお邪魔しており、共に北極域の持続可能な発展に貢献していくという意識を持つ必要があります。北極評議会(Arctic Council)という政府間フォーラムが、北極先住民族6団体に、常時参加者(PP: Permanent Participants)という特別の資格を与えて、緊密に彼らと議論しながら物事を決めているのも、北極域における先住民族の特別の位置づけを物語っています。
国際人権法の発展により、北極域住民、特に先住民族の人権を守ることは、すべての国家の責務になっています。先住民族の権利を明確に認める最初の国際条約は、1989年の国際労働機関(ILO)第169号条約です。その後、国連の先住民族に関する作業部会における長年の議論を経て、2007年には先住民族の権利に関する国連宣言が採択されています。この国連宣言は、先住民族の自決権、自治の権利や、伝統的に所有ないし占有してきた土地や自然に対する権利について規定しています。国連宣言は法的拘束力はありませんが、北極圏8カ国はすべて支持を表明していることに重要な意味があります。特に、先住民族の土地や文化に影響を与えうる開発活動を企業が行い、それを政府が許可する場合、影響をうける先住民族より「自由で事前の且つ十分な説明を受けた上での同意(FPIC)」を得ておく必要があるという規範は、国際社会が共通に認める国際ルールになりつつあります。例えば2011年イヌイット極域会議(ICC)による「イヌイットの地における資源開発に関する原則宣言」では、北極域での資源掘削開発活動について、このFPICのルールの尊重が先住民族から求められています。

北極LNG開発と国際法
- ポイント :
- 持続可能な資源開発に関する国際法
- 行動指針 :
- 北極特有の経済・環境・社会的要因を見極めよう!
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天然ガスは比較的環境負荷が低いエネルギーとして注目されており、北極圏においては特にロシア沿岸域での埋蔵ポテンシャルが高いと言われています。天然ガスを液化したLNGの開発に、ロシアは優遇税制措置などを講じて積極的に乗り出しています。日本も、エネルギー供給源・供給ルートの多様化の観点からロシアにおけるLNGに高い関心を示しており、実際に日本企業も北極LNG開発プロジェクトに参画しています。
石油・天然ガス・鉱物などの掘削系の資源開発は、大規模且つ長期に渡るため、経済的な観点からのみならず、その周辺の自然環境や住民の生活環境等への中長期的影響をも考慮して、経済・環境・社会的要因を統合して持続性=サステイナビリティーを判断すべきというのが、国際的なルールとなっています。北極圏は、脆弱でありながら多様性に富む自然環境と生態系を有しており、またそうした自然環境と生態系に依存して生活を営む先住民族のホームランドであるということから、LNG開発には特に慎重な環境的、社会的な影響の評価が望まれます。1991年に北極圏国が採択した北極環境保護戦略(AEPS)には、北極における資源開発が重要な活動であることを認めた上で、それが「持続的な経済発展をもたらすためには、許容できないような生態系ないし社会的な悪影響が及ばないようにすること」が宣言されています。北極評議会の持続可能な開発作業部会(SDWG)の報告書でも、経済・環境・社会的側面の不可分性、特に先住民族への配慮が強調されています。2009年に北極評議会の北極海洋環境作業部会(PAME)が採択した「北極沖合石油・ガス指針」では、関係する先住民族との協議と協力が必要であると明示しています。
他方で、LNGを含む天然資源については、国際法上、その領域国が永久的主権を有しているため、越境的な環境損害を生じさせない限りは、資源開発に伴う国内での経済・環境・社会的要因をどうバランスさせるかについては、未だに領域国の広い裁量に任されているのが現実です。特に石油・天然ガスの開発に関する規制の多くが、国内法で規定されているため、ロシアのLNG開発に参入する日本企業は、まずロシアの国内法を精査することになります。しかしながら、先に述べたように、環境的・社会的状況を取り込んだ北極特有のサステイナビリティーの国際的基準は、少しずつではありますが明らかになってきており、これから北極資源開発に参入しようとする企業は、こうした将来的な国際的基準を見据えた行動様式が求められているといえるでしょう。なお、投資家が外国において安定的に予見性を持って投資活動を行うための国際法による法的枠組みに「投資協定」があります。日本とロシアも2000年に投資協定を締結しています。これにより、両国は、相手国投資家に対する投資環境の透明性の確保や投資財産の保護(内国民待遇,最恵国待遇,公正かつ衡平な待遇,不当な収用の禁止,紛争解決手続等)など、法的安定性と投資の促進につながる環境を整備することを約束しています。
世界の国々がロシアのLNG開発に参入する要因には、持続可能な資源開発に関する国際法の枠組み以外にも重要な要因があります。政治的軍事的要因です。2014年ロシアによるクリミア併合を受けて、欧米諸国は、将来的にロシアの石油生産のポテンシャルとなる北極海での石油開発をターゲットとした制裁を科した一方で、陸上における天然ガス開発は制裁の対象としませんでした。日本・中国・フランスなどがロシアにおけるヤマルLNGプロジェクトなどに参画してきたのはこのためです。ところが2022年2月に発生したロシアによるウクライナへの侵略により、国際社会がロシアへの経済制裁を強化しています。今後の展開を注視していく必要があるでしょう。
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北極海航路の利用と国際法
- ポイント :
- 海洋法、極海コード、重質燃料油規制
- 行動指針 :
- 北極海航路とその利用をめぐる国際的なルールの動向を見極めよう!
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地球温暖化の増幅効果が顕著な北極では、海氷が益々減少しており、北極の海を航路として活用することが現実味を帯びています。特に日本にとって、ロシア沿岸を通る北極海航路(Northern Sea Route)は、ヨーロッパとアジアを結ぶ海上輸送ルート、またLNGを含むロシア産エネルギー資源輸送ルートとして期待が高まっています。日本の商船会社も、北極海航路で利用されるLNGタンカーや積み替え施設などに投資をしています。
北極海航路の商業的利用可能性は、主にその経済的フィージビリティーで決まりますが、航路利用に関連する国際的ルールの動向を見極めることも重要です。なぜなら、航路利用国(船舶の旗国)と沿岸国とが合意した国際ルールは、航路利用について中長期的な予測可能性をもたらし、安定的な経済活動のベースとなるからです。この点、もっとも基本となる国際ルールは国連海洋法条約です。北極海航路の大部分がロシアの領海ないし排他的経済水域(EEZ)内であることから、沿岸国たるロシアはそこでの船舶の航行につき、「国際的な規則や基準に適合すること」を前提として、海洋環境を保護するための国内法を制定して規制することができます。特にロシアは、氷に覆われた水域に特別に適用がある国連海洋法条約第234条を根拠に、船舶に起因する海洋環境の汚染を防止するための具体的な措置、例えば事前の届け出や原子力砕氷船の支援航行を義務付けています。もっとも、2013年のロシア国内法の改正により、船のアイスクラスや海氷状況によっては砕氷船による支援航行の義務を緩和するなど、ロシア側も航路活用の拡大に向けて動いています。その一方で、北極海航路における炭化水素及び石油の輸送を「ロシア籍船」や「ロシア製船舶」に限定するロシアの国内法(稼働済みのLNGプロジェクトを除く)は、事実上、北極海航路の輸送事業をロシアが囲い込むことにもなるため、国際貿易に関する国際法(WTO法)との整合性が別途問題となりえます。
北極の海のように気象・海象条件が厳しく、船舶の航行に伴う安全・環境上のリスクが高い水域における安全要件並びに環境保護要件など技術的基準を定めた特別の国際法が、国際海事機関(IMO)を中心に制定されており、北極海航路の利用拡大に伴って今後もその拡充が予想されます。これら国際ルールは、北極海航路を利用する船舶の旗国に対して、その船舶が満たすべき船舶の運航、構造や船員に関するより厳しい安全要件を課し、また極海特有の事情を勘案した海洋環境保護のためのより厳しいルールを定めています。2017年に発効した極海コード(Polar Code)は、例えば極海海洋環境保護に関する特別ルールとして、油及び油性混合物の海洋への一切の排出禁止規定などを、海洋環境保護に関するMARPOL条約の基準に上乗せして適用する厳格な基準を定めています。また、極海コードにより、国際船級協会連合が主導して船体構造ならびに推進システムについての世界で統一のルールが定められ、これまで各地域・各国の船級協会で個別に定められていた船舶のアイスクラスの規則については7種類の極地氷海船級(Polar Class)に整理されました。もっとも、船舶の構造や運航につき旗国を通じて規制をする極海コードの導入によって、国連海洋法条約第234条に基づく沿岸国による規制権限が制約されたとは言えませんが、沿岸国は、極海コードが定める要件等を参照しつつ、自国が定める規制の正当性につき、一層の説明が求められることになるでしょう。
北極の海に特有の国際ルールは、近年更に拡充されてきています。2021年にIMOは、北極海域における燃料の使用及び運搬に関する特別要件を採択し、2024年7月以降、北極海域において、いわゆる重質燃料油(HFO)を船舶の燃料として使用または運搬することを禁止しました。ただ、この禁止には重要な適用例外が設けられており、特に、2029年7月までは、北極海沿岸国を旗国とする船舶につき自国の領海・EEZを航行する間はこのHFO規制を適用除外することができるとしています。この除外規定については、環境保護団体等が批判をしています。
今後、北極海航路利用に対して環境保護の観点からの国際ルール作成が進むことが予想される分野として、当該海域を運航する船舶からの大気汚染物質、特にブラックカーボン排出等の規制があります。2021年11月、IMOの海洋環境保護委員会は、北極海域周辺で運航する船舶につきブラックカーボン排出を削減する自発的な措置をとることを求める決議を採択しています。今後も、北極海域での船舶からのブラックカーボン排出規制の議論が続く予定です。これまで人為的な干渉が少なかった北極海域における海運活動の増大は、海中ノイズを増やし、当該地域の脆弱な生態系、特にクジラやアザラシなどの海洋哺乳類に悪影響をもたらし、さらにそのような生物資源を糧に生きてきた北極先住民族の生活にも悪影響を与えるのではないかと心配されています。北極評議会の海洋保護作業部会は、北極海域での音響状況、2030年までの海中ノイズの増大予測、そして海中ノイズ影響を軽減させる運用上・技術上の方法につき検討を開始しています。他にも、バラスト水や船体への生物付着による北極海域への侵入種の増大、船舶からの生活排水による北極海洋環境への悪影響などが課題として議論の俎上にあがっています。
北極海航路が世界の国々にとって利便性の高い航路となる一方で、この海域での急激な海運業の増大がもたらす北極環境・生態系・先住民族の生活等への悪影響にも十分配慮しつつ、今後も北極海航路の持続可能な利用を可能にする国際ルールの内容や新たな制定の動きを注視していくことが重要です。
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中央北極海での将来的な漁業
- ポイント :
- 新たな北極海漁業協定の適正な実施
- 行動指針 :
- 北極特有の漁業のあり方に知恵を出し合おう!
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北極圏は、大陸に囲まれた海が大部分を占めますが、北極の海における漁業を規律する基本的な国際法は、国連海洋法条約や、それを補完するために採択された国連公海漁業実施協定(1995年)、違法漁業防止寄港国措置協定(2009年)などのグローバルな国際条約となります。現在国連で交渉中の、国家管轄権を越える海域における生物多様性を保全し持続的に利用するための新条約(BBNJ)も、今後、採択・発効すれば、北極の海にも適用がありえます。北極の海では、従来から先住民族や各国の沿岸漁業者による北極タラ、カジカなどの漁業が、北極沿岸国の領海や排他的経済水域内(EEZ)において行われてきました。領海及びEEZ内での漁業には、沿岸国の主権ないし主権的権利がおよび、基本的には沿岸国が自由に規制・許可することができます。しかし北極海の中央部水域には、いずれの国の管轄権も及ばない、地中海より広い面積の公海域があります。国連海洋条約によれば、公海域にはすべての国の漁業の自由が認められており、海洋環境保護や漁業資源の持続的利用といった基本的ルールを守った上で、どの国の漁船も自由にその海域で漁業を営むことが許されています。中央北極海の公海域は、かつては一年中海氷に覆われて操業が困難であり、また商業規模の漁業に見合うだけの漁業資源はないと考えられていました。しかし、地球温暖化の結果、夏季には解氷域が出現し、漁業資源が北方に移動している可能性も指摘されるなど、今後は中央北極海でも商業漁業が行われる可能性が出てきました。
こうした可能性に対処するために、北極海沿岸5か国(米国、カナダ、ロシア、ノルウェー、デンマーク)に主要漁業関心国・機関(日本、中国、韓国、アイスランド、EU)を加えた全10締約主体は、中央北極海における規制されていない公海漁業を防止するための協定(CAO協定)を締結しました(2021年6月発効)。この協定は、北極域に特別に適用される法的拘束力ある条約において、初めて非北極圏国が北極圏国と対等な立場で条約交渉に参加し、条約の運用に責任を負っている点で、画期的です。日本政府及び関連する日本の団体は、中央北極海の漁業ガバナンスに直接に関与する権利を有すると共に、適切にその責任を果たすことが求められます。また、この協定に関わる実質事項の決定は、全10締約主体のコンセンサスによると明示されており(第6条)、1ヶ国の反対だけで物事が決まらなくなる危うさを合わせ持っていることを自覚する必要があります。特に、この協定の有効期限は当初発効から16年、すなわち2037年までと定めされており、1ヶ国でもその延長に反対したらこの条約は失効し(第13条)、以下に説明する北極特有の海域における適切な漁業のあり方がすべて台無しになってしまう可能性があります。
CAO協定の最大の特徴は、極めて強い予防的アプローチを採用している点です。すなわち、北極域の脆弱な生態系、その生態系に依存する先住民族の存在、そして当該生態系や商業活動がその生態系に与える影響等が未だに十分に科学的に解明されていないといった北極特有の状況を十分に反映させて、中央北極海における商業漁業が始まる前に、国際的な合意がない無規制漁業を原則禁止するという手段を採用しました。協定の締約主体は、自国の旗を掲げる権利を有する船舶に対し、締約主体が合意する保存管理措置に基づいてのみ、商業的漁獲及び試験的漁獲を許可する(第3条)としています。また締約主体は、科学的活動における協力を円滑にし、効力発生から2年以内に科学的調査・監視に関する共同計画を作成する(第4条)ことになっており、科学的知見と締約主体の合意に基づく適正な保存措置が講じられる仕組みを確立しています。日本政府及び漁業管理に専門性を有する日本の団体及び科学者は、この科学的共同計画に積極的に関与することで、中央北極海漁業ガバナンスに貢献することができるでしょう。
CAO協定のもう一つの特徴であり挑戦は、条約の運用、特に保存措置の適切性を判断する科学的知見に、先住民族及び地域住民の知識を取り込むことを要求している点です(第5条)。ただ、我々が知る科学的知見が定量的なデータと情報に基礎づけられているのに対して、先住民族や地域住民の知識は定性的で歴史的な情報です。両者を相互補完的に位置づけて、中央北極海の漁業ガバナンスにいかに有効活用するかの模索は、まだ始まったばかりです。

北極海域でのプラスチック汚染
- ポイント :
- 北極域とグローバルな対応の相乗効果
- 行動指針 :
- プラスチック汚染ホットスポットである北極の海をグローバルな視点で守ろう!
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最近の科学研究により、海洋環境において濃度も蓄積量も増え続けているマイクロプラスチックは、海洋生態系に対して潜在的に悪影響をもたらしうることが分かってきています。北極の海でも、ヨーロッパ方面から海流に流されてくるマイクロプラスチックによる汚染が観測されており、世界の工業地帯や人口密集地から遠く離れている北極の海が、世界中のプラスチックゴミが蓄積しやすい海洋プラスチック汚染の「ホットスポット」の1つになりつつあることが、明らかになってきています。つまり、北極の海のマイクロプラスチック汚染問題には、グローバルな対応が必要です。他方で、その地域の近海で捨てられた漁網や釣り糸、ブイなどを海洋哺乳類や海鳥などが飲み込んだり、それに絡まったりして悪影響を与えている、地域レベルでのプラスチックごみ問題への対処も必要です。2021年5月、北極評議会の北極圏植物相・動物相保存作業部会(CAFF)は3つの報告書を発表し、北極圏の海鳥のプラスチック摂取が広範に発生していること、他方で十分な汚染情報が不足している地域がまだ多くあること、標準的なモニタリング手法と長期的なモニタリング計画が必要であることなどが指摘されています。北極の海のプラスチック汚染に対しては、さらなる科学的知見の蓄積を踏まえた上で、地域的な対応とグローバルな対応とが相乗効果をもたらしながら進められることが重要です。
プラスチックによる海洋汚染に対しては、陸起因の汚染発生源を規制すべきとする国連海洋条約や、船舶からの投棄を禁止するMARPOL条約とその改正附属書、さらにはプラスチック廃棄物の環境上適正な管理を義務づけるバーゼル条約2019年附属書II改正などが適用されますが、その規制内容が一般的すぎたり、プラスチックによる海洋汚染には部分的にしか適用されないといった限界が指摘されています。地域レベルでは、北極海に隣接する北東大西洋に適用がある環境保護条約(OSPAR)が、海洋ごみ地域行動計画を策定し、この中でプラスチック汚染への対応も定めていますが、法的拘束力のない行動指針に留まります。ヨーロッパでは、2019年に法的拘束力ある使い捨てプラスチック指令が定められています。日本でも、2022年4月から「プラスチック資源循環法」が施行され、プラスチックごみの排出抑制が進められます。北極評議会の海洋保護作業部会(PAME)は、北極特有の海洋ゴミの発生源や経路に焦点を絞った海洋ごみ地域行動計画を2021年に策定し、メンバー国である北極圏国間で情報を共有し、優先事項を協議するなどして、プラスチックごみへの対応をうながしています。プラスチック汚染問題への北極域特有の対応を検討し実施するための重要な取り組みではありますが、この計画も法的拘束力はありません。
そのような中、2022年3月2日、ケニアのナイロビで開かれていた国連環境総会では、海洋プラスチック汚染を始めとするプラスチック汚染対策に関する決議が採択され、プラスチックの有用性を認識しつつ、海洋を含む環境におけるプラスチック汚染が地球規模の喫緊の課題であること、世界規模で効果的で進歩的な行動を促進することが喫緊に必要であること、プラスチック汚染は越境性を有しており海洋環境及びその他環境での対策が必要なこと、またプラスチックのライフサイクル全体を踏まえた対策を講じる必要があるとの認識が共有されました。また、それらの決議の中で「プラスチック汚染を終わらせる:法的拘束力のある国際約束に向けて」という決議が採択され、新たな国際条約の作成に向けて、2022年までに政府間交渉委員会を設置し、2024年末までの作業完了を目指すことが決定されたことは大きな前進です。

ウクライナ侵攻後の北極国際協力のゆくえ
- ポイント :
- 侵略行為がもたらす国際法秩序の危機
- 行動指針 :
- 北極域に法の支配に基づく国際協力をとりもどそう!
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今から77年前、第二次世界大戦を経て採択された国際連合憲章は、すべての加盟国の主権平等と国際紛争の平和的解決義務を定め、他国の領土保全又は政治的独立に対する武力の行使と威嚇を禁止しています。これらの国際法の基本原則こそ、むき出しの暴力ではなく理性と法に基づく戦後の国際秩序の根幹をなし、国際社会に予測可能性と安定性をもたらしてきました。ソ連崩壊後に可能となった北極圏における国際協力も、またその後の経済のグローバル化の恩恵も、すべてこの戦後国際法秩序に基底されていたものです。2022年2月24日に始まったロシア連邦による隣国ウクライナへの軍事侵攻は、北極圏外で行われていたとしても、それが世界の国際法秩序の根幹を揺るがす重大な暴挙であるが故に、当然に北極における国際法の適用実施、そしてそれに基づく北極国際協力体制にも深刻な悪影響を及ぼすことになるのです。
事実、同年3月3日、ロシアを除く北極評議会メンバー7ヶ国は共同声明を発表し、ロシアによるウクライナに対する武力侵攻が北極圏を含む国際協力に重大な支障をもたらすと警鐘を鳴らしました。この共同声明は、国際法に基づく主権と領土保全の原則が北極評議会の作業を基底していたことを確認しつつ、その議長国たるロシアが、それら原則に重大な違反行為をしたとして、ロシアが主催する関連会合には代表団を派遣せず、当面の間すべての下部機関会合にも参加しないことを決定したのです。加えて、フィンランドなどのヨーロッパの国々は、ロシアとの科学協力を含む学術交流をも一時停止するとし、北極に関する最も重要な国際協力であった科学協力も悪影響をうけています。もちろん、各国による経済制裁により、ロシア・北極域における開発・ビジネスのみならず、北極域における環境・人権分野の協力関係にも影響が出ることは必至と言えます。
国際連合は、3月1日、緊急特別総会を開催し、ロシアによるウクライナの「侵略」(aggression)を最も強い言葉で非難し、ロシアに対し即時無条件のウクライナ領域からの撤退を要求しました。なお、この決議の審議のなかで、ロシア政府は、正面から国際法の存在を否定するのではなく、ミンスク協定を履行せず核武装しようとしているウクライナに対する自衛権の行使であると主張しており、国際法を援用して自国の行為を正当化しています。国連総会の決議には法的拘束力はありませんが、全193加盟国のうち141ヶ国がこの決議に賛成し、ロシアによる「侵略」を認定したことは国際法的に重要です。なぜなら、1974年の侵略の定義に関する国連決議によれば、侵略戦争は、国際の平和に対する犯罪であるとされ、侵略の結果としてもたらされる領域の取得は合法なものではなく、また他国も合法なものとしてそれを承認してはならない義務が生じます。さらに2001年国連国際法委員会が採択した国家責任条文によれば、侵略のような国際法上の強行規範に重大に違反する行為の場合には、その違反行為が生じた状態の維持を支援したり援助してはならない義務が発生し、直接の被害国であるウクライナ以外の国も、ロシアの国際法上の責任を追及する権利が生じうるからです。つまり、ロシアによるウクライナ侵略は、国際法上、もはや二国間の問題には留まりえないのです。日本も、そして日本の企業も国民も、北極に関わる活動もそうでない活動についても、以上のような法の支配の下で、北極域と国際社会全体に法の秩序を取り戻すための深慮ある行動が求められています。(2022年3月22日現在)
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