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研究の紹介

研究者探訪


口頭伝承の色合いが強いイラン音楽を研究対象とされ、即興演奏におけるルール(旋法体系)の解明に取り組む谷正人先生に、刊行予定の英語書籍の内容や、理系研究者等との異分野融合研究の現状の取り組み及び今後の研究展望について伺いました。

イラン伝統楽器サントゥールの演奏

聞き手:令和4年度JSPS科学研究費助成事業 研究成果公開促進費「学術図書(英語)」(以下、学術図書)へのご採択おめでとうございます。現在のご研究(民族音楽学)を始められたきっかけ、イランの民族楽器サントゥールとの出会いについてお教えください。

谷先生:私は子どもの頃からピアノを習っており、「クラシック音楽」は好きでしたが、それ以外に世界にはどのような音楽があるのか、中高時代にかけて興味を持つようになりました。音楽大学には音楽を学術的に研究する音楽学専攻を持つところもあり、そこに民族音楽学という学問があることを知り、関西圏で「民族音楽」を学べる大学として大阪音楽大学に進学しました。大学1年生のときは、インドネシア・バリ島へのスタディツアーに参加するなど、バリ島の音楽ガムランにかなり熱中しました。並行してイランの伝統的な打弦楽器サントゥールの授業があり、サントゥールにも興味を持つようになりました。イランへはスタディツアーなどはなく、また当時はインターネットもなかったためより深く知るためには自ら現地に赴くしかありませんでした。そこで大学2年生だった1992年度に初めてイランを訪れたのです。その訪問は音楽の勉強以外にもイランでの生活がどのようなものか、今後滞在が本当に続けられそうかを見極めるという側面が強かったわけですが、現地の方々の人柄が良かったこともあり、より一層興味を持つようになりました。このときからイラン伝統楽器サントゥールの演奏・イラン音楽の研究を続けており、今に至っています。
 イランに滞在し人々の日常生活に触れるなかで、音楽とは直接関係ない面でも、日本とは違う習慣があって興味深く感じました。イランでは社交辞令や礼儀が非常に重要で、例えばタクシーの運転手でも支払いのときに建前で「結構ですよ」と料金の受け取りを一度は拒むのです。私が外国人ということもあったのでしょうが、再度こちらからお願いしないと料金を受け取ってくれないことが多々ありました。また学校やレッスンの場においても、先生が部屋に入ってくるや否や生徒は皆一斉に起立することや、人に背中(尻)を向けて座ってはいけない(座る際は一言非礼を詫びる)といった慣習もありました。
 その一方で、「我が強い」側面が垣間見えることもありました。私は毎週サントゥールのレッスンに通っていたのですが、自分のレッスン時間以外にも残って他の人のレッスンを見学し続けていると、前回のレッスンからあまり練習せずにレッスンを受けている人が分かるようになってきます。先生もそのことを指摘するのですが、当の本人は練習をしなかったことを認めようとしません。練習はしたがうまく演奏できないのだとあくまで主張し、「練習時間の少なさを認める」ところから話をスタートさせる「譲歩」をしないのです。日本で「クラシック音楽」を学んできた自分の常識とは違う反応であると思いました。今思えばそういった姿勢は、既成曲をそのまま演奏するのではなく、アレンジや即興演奏というかたちで奏者の個性の表出を必須とする、イラン音楽の一側面に繋がっているような気がします。

超絶技巧で知られるアルダヴァーン・カームカール氏のレッスンに参加。イラン・テヘランにて。

聞き手:学術図書の採択により刊行されるご予定の英語書籍の内容について教えてください。

谷先生:イラン音楽の特徴の一つは即興演奏ですが、即興演奏とは一体何なのかが今回の学術図書出版の主要テーマです。即興とは、自由に瞬発的に、何も準備されていないところから生み出されるイメージがあるかもしれませんが、世界の多くの音楽文化を見てみると、濃度や程度の差はあれ、実際には準備されているものがあります。完全に100%自由というものではなく、意識されていないレベルで「制約」があり、それが一体何なのかを今回出版する書籍の前半部分で明らかにしています。専門的にいうと、音階(例:ドレミファソラシド)の中に力関係が様々にあるという旋法体系の解明です。旋法とは、特定の音に向かって旋律を動かしたくなるという欲求や、特定の音に向かって音楽が終止すると落ち着くといった力関係が音階の中にある状態を言い、イラン音楽ではダストガーと呼ばれています。イラン音楽の演奏は、全体を大きく見ても小さな部分を見てもダストガーに基づく様式や型があり、本書ではその旋法体系の解明と、現実の演奏での運用について考察しています。
 また、「西洋芸術音楽」は楽譜を通して視覚的に音楽を把握する傾向が強くありますが、イラン音楽は今でこそ五線譜が定着していますが20世紀の前半あたりまでは口伝えで、鳴り響いた瞬間に消えゆく音声として聴覚から理解する傾向が強かったと言えます。しかし、かつての音楽学は、歴史学の影響を強く受けていたこともあり、楽譜を一次資料として研究のベースに据えていました。その意味で、楽譜のある音楽は研究の俎上に乗りやすいが、口頭伝承の傾向が強いイラン音楽や即興演奏というテーマは、一次資料となる楽譜がないため、研究テーマとして扱い難かったと言えます。そこで必要となるのが、文化人類学や社会学などでの参与観察、質的研究、そして一人称研究などの方法論です。民族音楽学の分野では、研究者でありつつ自分も実際に演奏を行う人が多いのですが、私も例外ではありません。一般的には、研究者は研究対象と距離を置くことが推奨されていますが、自ら演奏するからこそ見えてくる問いもあります。更に、外国人として「お客さん」のまま外部から観察するだけではなく、自ら弟子入りして師匠から怒られるといったプロセスを経るからこそ得られるデータも多くあります。自らの経験をサンプルとすることには、過度な一般化が生じやすい、サンプルの偏りなどの問題もありますが、重要なのは自らのそうした経験を安易に客観と装うことなく、ひとつのケーススタディーとして世に出す態度かと思います。

インドサントゥール奏者シヴクマール・シャルマ氏と。インドのサントゥールとの比較研究のために訪れたムンバイにて。

 

 書籍の後半部分では、即興演奏における個性についての議論へと徐々にシフトしていきます。イランを含め「伝統音楽」はただ守るだけのものではなく、個々人が伝統や規範を解釈し、そこに個性やオリジナリティを発揮することで全体として継承されてゆきます。実際に演奏する立場から見ると、私も20代から30代のうちは、とりわけ外国人にとって巨大な権威・規範であるダストガーを学んで使いこなせるようになるだけで精一杯でしたが、40代以降になると、そのダストガーを使って自らが何をどう表現するのかが問われるようになりました。そこで書籍の後半では自らをサンプルにしつつそこに踏み込んだ研究をしていますが、これも前述の研究スタンスの表れと言えます。

聞き手:今後の研究展望についてお聞かせください。

谷先生:総合大学である神戸大学に着任してから、徐々にですが異分野融合研究に取り組むようになりました。2021年に人間発達環境学研究科の認知科学、パフォーマンス科学の先生方と共同で、サントゥールの撥をもつ手の動きを記録し、モーションキャプチャやスローモーション映像により叩く動作の中の多様性(スピードの違いによる叩き方の違い、プレーヤーによる動作の違い)を計測しました。肘や手指などの動き、前腕の回内・回外の動き、手首の動きなど、複雑な動きが互いに連動しあって撥を叩くという一つの動作に繋がっていますが、その違いは肉眼では十分に追いきれないので、それをデータ化するためです。奏者や速度により大きな違いがあることが明らかになっただけではなく、それぞれに異なった動きの合理性についても考えるよいきっかけとなりました(論文は現在査読中)。
 次の展開として、撥を持つ三本の指が、実際にどれくらいの圧で撥を持っているか、それが演奏するフレーズの難易度によりどう変化しているかを調べていきたいと考えています。教科書的な記述ではサントゥールの撥は三本指で持つと記載されていますが、単純に均等な力ではないはずです。そこには比重があって、また弾くフレーズによってもダイナミックに変わるのではないかと考えており、センシング関係の研究者と組んで、今後実際にデータを取っていきたいと思います。なぜそれがイラン音楽で今重要なのかというと、イランで近年台頭している超絶技巧系の奏者の存在があります。若い世代では、とてつもない速さ・超絶技巧での演奏が流行しており、それを活かしたコンテンポラリーな作品も数多く出てきています。それらの作品は、従来的な体の使い方・撥の持ち方では技巧が追い付かず演奏できないのですが、音楽家は自分たちがどのように撥を持っているのかを十分に言語化できていません。演奏家たちが意識していない、演奏中に起きていることを研究者として明らかにしてゆきたいです。
 音楽科学の分野においては、指先の微細で複雑な動作を圧力などを含め、演奏したまま計測する技術がまだ追い付いていないため、やりたい研究があっても、実際は行われていないことも多くあると思います。その部分で理系の研究者の協力は今後も必要かと思います。演奏以外でも、例えばサントゥールの金属弦は調律が狂いやすいのですが、狂いにくい弦の素材や張り方は何か、金属工学の先生がたと連携して検討できれば面白いと感じています。



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URA支援へのコメント:
 申請書の記載に関して公募開始前から面談にてノウハウを伺い、公募開始後は申請書へのコメントをもらいました。外国語での出版のため海外出版社の選定がハードルでしたが、URAから海外出版社の情報をいただいたTrans Pacific Press Co., Ltd.に決まりました。URAと相談していなかったら学術図書への申請ができなかったと思いますので、そこも含めた支援はありがたかったです。また、学術図書とは別件ですが、センサ関係の学内研究者の情報を提供してもらい、共同研究に繋がっています。


関連リンク
 神戸大学HP
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 JSPS科学研究費助成事業 研究成果公開促進費



2022年8月(配信)  聞き手:平田充宏,城谷和代 文責:平田充宏

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